ウヅの地にヨブという名の人があった。
そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。
彼に男の子七人と女の子三人があり、その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。ヨブ記 第1章
ウィリアム・ブレイクの銅版画、「ヨブ記」の挿絵です。
詩人としてのブレイクは、「羊飼い」でご紹介してますね。
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
ウヅの地にヨブという名の人があった。
そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。
彼に男の子七人と女の子三人があり、その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。ヨブ記 第1章
ウィリアム・ブレイクの銅版画、「ヨブ記」の挿絵です。
詩人としてのブレイクは、「羊飼い」でご紹介してますね。
羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。門からはいる者は、羊の羊飼である。ヨハネによる福音書 第10章
ピーテル・ブリューゲルの下絵による銅版画、「良い羊飼いのたとえ」です。
ブリューゲルの絵は、「ネーデルラントの諺」、「人間嫌い」、 「イカロスの墜落のある風景」を、
良い羊飼い、というテーマについては、新約聖書からの引用やウィリアム・J.ウェッブの「迷える羊」などをご紹介しています。
老人は一頭の生きた羊を連れて来て、一同これをほふり、その皮をはぎ、皮をきれいに掃除しました。
それから彼らは私に言いました、
「あなたはこれから、この羊の皮の中に縫いこまれて、そしてこの銅の御殿の露台の上に出しておかれることになります。
すると、象でもさらって行くことのできるような、大きな『怪鳥ロク』が、これをほんものの羊と思って、あなたの上に襲いかかり、あなたを雲までつりあげて、それから人間の近づきえない高山の頂上におろして、あなたをひと呑みにくらおうとするでしょう。
だがそのときあなたは、この刀をさしあげますから、これでもって羊の皮を破って、外に飛び出してしまうのです。
すると恐ろしいロクも、人間は食わないから、あなたを食べないで、どこかに見えなくなってしまうでしょう。
千一夜物語のマルドリュス版から、第9夜から第18夜にあたる「荷かつぎ人足と乙女たちとの物語」の中で語られるエピソードです。偏食怪鳥……。
わが魂のために祈ってくれ。祈りによって
この世が考えているより、
もっと多くの事柄が成就されるのだ。それゆえ、
お前の声を
夜昼となく噴水のように上げてほしいのだ。
脳の中で盲目の生命を育む羊や山羊にくらべて
どうして人間がより優れていると言えようぞ、
もしも神を知りながら、祈りの手を挙げ、
自らや友と呼んでくれる人々のために祈らないと
すれば?
アルフレッド・テニスンの、アーサー王伝説に取材した叙事詩から。
アヴァロンに向かう王の遺言のなかで、祈ることのない人ならぬ動物として、羊が挙げられています。
また次におりましたのは、家扶に粉屋、召喚吏に免罪符売り、賄い方とこのわたしで、ほかにはもう誰もいません。
この粉屋はなかなか頑丈な男でした。
筋骨隆々としてとてもたくましく、行くところどこでも、相撲ではいつも、雄羊の賞品をよく手に入れたのも、そのためでした。
※訳注 雄羊の賞品―中世、相撲の賞品には雄羊がよく与えられた。
ジェフリー・チョーサーの「カンタベリー物語」巻頭「総序の歌」から、登場人物のひとり、粉屋の紹介部分です。
クロード・ロランの「パリスの審判」です。
パリスの審判をテーマにした絵については、ルーベンスのプラド美術館のものとナショナル・ギャラリー(ロンドン)のものをご紹介しています。
17世紀オランダのパウルス・ポッテルによる、「若い牡牛」です。
緑釉羊圏 後漢(1?2世紀) 高9.5 径21.0愛知県陶磁資料館 「中国古代の建築とくらし」展カタログ
愛知県陶磁資料館で八月十七日(日)まで開かれている、「中国古代の建築とくらし ―茂木計一郎コレクション―」展に行って参りました。
新石器時代から明代にいたる明器(副葬品)の個人コレクション展ですが、ひつじがあちこちにひそんでいます。上はそのひとつで、囲いの中で飼われている羊が毛刈り(屠殺かも)されている場面の模型。
明器については、後漢の羊形のものや作坊などをご紹介しています。
17世紀オランダの画家、フランソワ・リッカルスの「農家の裏庭」です。
The Shepherd
How sweet is the Shepherd’s sweet lot!
From the morn to the evening he strays:
He shall follow his sheep all the day
And his tongue shall be filled with praise.
For he hears the lambs innocent call.
And he hears the ewes tender reply,
He is watchful while they are in peace,
For they know when their Shepherd is nigh.
なんと楽しいことだろう、羊飼いの楽しい身の上は!
彼は朝から夕べまで歩き回る。
彼は一日じゅう自分の羊の後を追い、
彼の舌は神への称賛に満ちている。
だって、彼は子羊の無邪気な呼び声を聞き、
母羊のやさしい返事を聞くんだから。
彼が見守っているあいだ羊たちは平和でいられる、
だって羊たちは羊飼いが近くにいるのを知っているから。
ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢と経験のうた」より、「羊飼い (The Shepherd)」です。
17世紀フランスのカラヴァッジオ追随者、ヴァランタン・ド・ブーローニュによる、タッソーの叙事詩「解放されたエルサレム」の一場面を描いた、「エルミニアと羊飼い」です。
フランス語の辞書を引いてみると、羊に関連する語彙が彼の国にはきわめて豊富であることがわかる。(略)
そのうちでもっとも広く使われるのはmouton(ムートン)であって、これが英語のmutton(マトン)になったわけであるが、この名詞にそのまま動詞の語尾をつけてmoutonner(ムートンネ)としたりする。
この語は、海の波などが、あたかも羊の毛が縮れ波うつようにうねって、白く泡立つ様、あるいは羊の群がもくもくと移動するように波うつ様を表すのである。
(略)
広い場所といえば日本ではまず海原であるけれど、大陸ではそれは、見わたすかぎりの草原である。
広大な緑の草原に、侵蝕されて背の丸くなった白い石灰岩が点在している。
それを見て彼等は、もちろん羊の群が草を食うあり様を連想する。
羊背岩(ロッシュ ムートンネ)というのがまさにそれであろう。
中国でいえば黄初平の故事、「石を叱して羊と化す」は、やはりその風景から生まれたものに違いない。
奥本大三郎のエッセイ集「干支(エト)セトラ、etc.」から、「未」の章を。
羊の群れのような波、というと、ミレーの「牧養場の羊の群れ」で触れたことがありますね。
あと、昨日からひっぱっている白い石の話ですが、羊背岩……羊背岩ですか。
羊背岩とは、羊の背のような丸いコブ状の岩の突起のことです。固い岩盤が氷河時代に、氷河によって磨かれた結果できました。
なんか……羊と見まごうには大きすぎるような……。
小川芋銭の「黄初平」です。
羊ともつかず白い石ともつかぬなにかがわらわらと。茨城県近代美術館蔵。
鑽羊洞のお話をしてからこちら、白い石と羊の関係が気になってしかたないんですが、やっぱり正体というかイメージの由来はこのへんなんでしょうか。
なお、黄初平については、島田元旦や円山応挙などをご紹介しています。
フラ・アンジェリコの「聖母戴冠」です。
右端に聖アグネス。ファン・エイク兄弟のヘント祭壇画やアンドレア・デル・サルトの「聖女アグネス」でご紹介しています。ルーブル美術館蔵。
皐陶(こうよう)が裁判を行なって、決することができなかったときには、神羊に触れさせた。
罪があるものの場合は直ぐに触れ、罪の無い場合は触れなかった。
とすると、皐陶が判決を下したのは神羊の力によるのである。
後世、張釈之・于定国らの如きは、羊に補佐してもらうことなくして、民に冤罪を蒙ったものは無かった。
皐陶よりもはるかにすぐれていたではないか。
中国、明代の随筆集『五雑組』の巻九、物部一より、「皐陶と神羊」の章を。
神羊については、裁判獣カイチや羊神判などのお話をしているのですが、そこに出てくる舜帝の賢臣皐陶が、漢代の司法官たちと比べられた上で、負け判定されてます。……そう言われれば。たしかに。