フランチェスコ・モーラ 「楽園追放」

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「楽園追放」 「楽園追放」(部分)
彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。
そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。

 旧約聖書 創世記第三章 

17世紀ローマの画家、ピエル・フランチェスコ・モーラの「楽園追放」です。

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ファン・エイク兄弟 ヘント祭壇画 「神秘の仔羊」部分

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「神秘の仔羊」(部分)

ファン・エイク兄弟の「ヘント祭壇画」について、下段中央の「神秘の仔羊」、閉翼時下段中央左の「洗礼者ヨハネ」、開翼時左上角の「カインとアベル」、と、羊探しをしているのですが、もうひとつだけ。
「神秘の仔羊」のすぐ右手に居並ぶおおぜいの聖女たちの、いちばん左に、羊を抱いた聖女アグネスが立っています。
この聖女については、アンドレア・デル・サルト「聖女アグネス」をご紹介しています。

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肉袒牽羊(にくたんけんよう)

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宣公一二年
(略)
はふたたび軍を進めてを包囲し、三ヶ月でこれを攻略した。
楚軍が皇門から入城して大通りに達すると、鄭伯(襄公)は肌脱ぎとなり、羊を牽いてこれを迎えて述べた。
「孤(わたくし)は天意を無視し、貴君に奉仕する能わず、貴君を怒らせて、わがくににお出でいただきしこと、ひとえに孤の罪なれば、いかなる仰せにも従いまつります。(略)」
王の近臣は、「許してはなりません。一国を手に入れるのに赦す必要はありません」と言ったが、王は、
「あの国君は、あれだけ人に謙虚になれるのだから、必ず自国の民に信をもって接している。まだ望みがある」
と、三十里退いて、鄭との講和を許した。

降伏し服従するさまを意味する、「肉袒牽羊」という故事成語の由来です。
中国の春秋時代に敗れた小国のは、鄭伯の「肉袒牽羊」によって滅亡からまぬがれます。羊を牽くのは、相手の料理人になって仕える、という意志を示すものなのだとか。

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ラファエッロの聖書

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「ノアの燔祭」 「ヤコブとラケルの出会い」

バチカン美術館ラファエッロのロッジアにある天井画のシリーズ、「ラファエッロの聖書」から、「ノアの燔祭」及び「ヤコブとラケルの出会い」です。
ノアの燔祭については、同じくバチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂のミケランジェロをご紹介しています。
ヤコブとラケルについては、ジェイコブ種の名前の由来とか、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」のお話なんかはしてるんですが、ラケルとの出会いというのはその少し前の場面なのですよ。下に旧約聖書の該当場面を引用しておきます。

ヤコブはその旅を続けて東の民の地へ行った。見ると野に一つの井戸があって、そのかたわらに羊の三つの群れが伏していた。
(略)
ヤコブがなお彼らと語っている時に、ラケルは父の羊と一緒にきた。彼女は羊を飼っていたからである。
ヤコブは母の兄ラバンの娘ラケルと母の兄ラバンの羊とを見た。そしてヤコブは進み寄って井戸の口から石をころがし、母の兄ラバンの羊に水を飲ませた。

旧約聖書 創世記第29章

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ファン・エイク兄弟 ヘント祭壇画 「カインとアベル」

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ヘント祭壇画「カインとアベル」

「神秘の仔羊」で知られるファン・エイク兄弟「ヘント祭壇画」には、他にもこっそり羊がいます。
「洗礼者ヨハネ」はご紹介済みですが、もうひとつ、パネルを開いた状態での、左上の角の部分に、「カインとアベルの供儀」の場面が。
カインとアベルの供儀については、こちらでどうぞ。

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四川万県唐墓出土 青磁十二支俑

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四川万県唐墓十二支俑
1978年8月、四川省万県市(現在は重慶市万州区)で田地の改修工事中に一基の唐墓が発見され、報せを聞いた四川省博物館が万県地区文教局とともに発掘調査を実施した。
(略)
十二辰俑はただ龍・馬・羊の三点が出土しただけである。
いずれも獣頭人身に作られ、底板の上に跪座している。
高さはすべて18センチであった。

唐代初期の墳墓から出土した副葬品です。
獣頭人身の副葬品については、「新羅の十二支像」でご紹介したことがあります。

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後漢代の羊形明器

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羊形明器

リシマコス銀貨をご紹介するときに引用した「託されたイメージ動物意匠 -西から東へ-」から、もうひとつ。後漢時代の明器(副葬品)です。明器については、可愛らしい小屋の形のものをご紹介したことがあります。

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南宋の美食家

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中国北部を女真族の金王朝に支配され、江南に避難した漢民族が立てた亡命政権南宋では、食文化が花咲いた。
とりわけ首都杭州の資産家はきそって、専門的訓練を受けた厨娘(チューニャン、女料理人)を雇い、贅沢な食事を作らせるのが常だった。
南宋末、引退して故郷に帰ったある老官僚は、食事のまずさに閉口し、杭州の知り合いの紹介で厨娘を雇い入れた。
老官僚はさっそく自慢たらたら、四人の友人を招いて宴会を催し、このお抱え厨娘に腕をふるわせることにした。
ところが厨娘は、羊の頭の部分を使った串焼きを五人分(五本)を作るのに、なんと十個の羊頭がいるという。
羊頭のうち彼女が使うのは両頬の部分だけ、あとは惜しげもなく捨ててしまうのである。

井波律子による中国文化、文学にまつわるエッセイ集の中から、「美食家たちの饗宴」の章を。
同時代の羊料理として、全羊席というのをご紹介したことがあるのですが、贅沢の度合いではこちらのほうが上ですね。上のお話では、贅沢が過ぎて、料理人が暇を出されてしまうという落ちがついています。

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ゲインズバラ 「羊飼いのいる山の風景」

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「羊飼いのいる山の風景」 「羊飼いのいる山の風景」(部分)

コンスタブル「麦畑」に続いて、イギリスの風景画を。トマス・ゲインズバラの「羊飼いのいる山の風景」です。ゲインズバラは、他に「羊飼いと羊のいる風景」をご紹介しています。

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コンスタブル 「麦畑」

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「麦畑」 「麦畑」(部分)

19世紀イギリスの風景画家、ジョン・コンスタブルの「麦畑」です。

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古代エジプトの象嵌用牡羊頭部

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象嵌用牡羊頭部
眼と角は紺色のラピスラズリで作られている。
牡羊は、アメン神の聖獣であり、特に新王国時代以降、多くの図像が製作された。
本作品は極めて精巧なもので、白ガラスとラピスラズリという材質の組み合わせも第3中間期のものと考えられる。

古代エジプト美術の個人コレクションである菊川コレクションの解説書から。
アメン神については、ヘロドトスの「歴史」特徴的な形態(おもに角の)について、クリオスフィンクスリシマコス銀貨羊膜の語源アンモナイトの語源、等々、なんだかちまちまとご紹介しています。

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「石の羊と黄河の神」

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いつからともなく、村には、こんな謎言葉が言い伝えられていた。
 うまい水飲むのはたやすいことよ
 石の羊出てくりゃ水を吐く
だが、いったい石の羊とはどんな宝物なのか、どこにかくしてあるのか、だれも知らなかった。
(略)
かなづちとのみの音をコン、コンとひびかせて、石工の少年は石の羊を彫りきざんだ。
石くずが山のようにたまり、石工の服は汗でびしょびしょ。
曲がった二本の角ができ、カールした羊のやわらかい毛ができ、キラキラ光る目玉、小さい四本の足ができ、九日のあいだ昼も夜もせっせと彫りつづけて、まるでほんとうに生きているような石の子羊がとうとうできあがった。

鑽羊洞のお話に続いて、中国の説話をもうひとつ。清水の湧く岩の由来説話です。
「石の羊」というイメージは、ひょっとして、ずいぶん奥深いのかもしれません。調べてみよう……。

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シルクロードの伝説

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鑽羊洞
崆峒山(こうどうさん)の北側の斜面に、鑽羊洞(さんようどう)という洞窟がある。
この名前についても、またおもしろいいわれがある。
   ※
はるか昔のこと、山のふもとに、ある一家が住んでいた。
(略)
そのように暮らしていたある日の夜のこと、いつものように見張りに立っていた娘は、思いもかけず、野を駆ける羊の群れを目にした。
真っ白な羊の群れは、その毛が月明かりに照らされて、まるで雪のように銀色に輝いてみえた。
(略)
ところが、羊たちは人がやってくるのを見ると、やかましく鳴き騒ぎながら、いっせいに山の方へ向かって走りだした。
羊は走る、一家は追いかける。どんどん追いかけているうちに、たくさんいた真っ白な羊たちは、どこへいったものやら、ただの一匹も見えないようになってしまったのだった。
それで一家はしかたなく山を下りて戻ってきた。
夜が明けるのを待って、さっそく見にいってみると、三人とも驚きのあまり、開いた口がふさがらなかった。
これはまたどうしたことだ。畑の麦も、豆も、ちっとも荒らされていない。
それどころか、作物はみな前よりずっと伸びているではないか。

西安からウルムチにいたる一帯の口承文芸を集めた「シルクロードの伝説―説話で辿る二千年の旅」から、平涼の崆峒山(こうどうさん)にまつわる説話を。
この「仙羊」たちは、その後、噂を聞きつけた悪人に追いかけられて山の洞窟に逃げ込みます。羊を追って中に入った人間たちが見たものは、大小の白い石だった、というお話。
ちょっと黄初平修羊公を連想してしまいますが、どこかでつながってたりするんでしょうか。

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リシマコス銀貨のアレクサンダー大王

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リシマコス銀貨
リシマコス銀貨  トラキア  前323―281
リシマコスアレクサンダー大王直属の将軍で、大王没後トラキア、小アジアを領有した。
彼は自分が発行したコインにアレクサンダー大王の肖像を用いていた。
大王が被るディアデム(鉢巻)はゼウス・アモン神の雄羊の角がついたもので、大王のエジプト遠征を示す。

古代オリエント博物館の展覧会カタログ「託されたイメージ動物意匠 -西から東へ-」から。
アモン(アメン)神については、こちらなどを。

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