「アルゴー号乗組員の帰還」に続いて、ギュスターヴ・モローの金毛の羊をもう一枚。英雄イアソンとと王女メディアです。
アンドレア・デル・サルト 「聖女アグネス」
16世紀、イタリア・ルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトの「聖女アグネス」です。聖アグネスについては、ずいぶん前に一度お話してますね。
ジョン・インチボールド 「初春」
ラファエル前派追随者のひとり、ジョン・インチボールドの「初春」です。三月の空と、幼い二頭の子羊。
ギュスターヴ・モロー 「アルゴー号乗組員の帰還」
ギュスターヴ・モローの「アルゴー号乗組員の帰還」です。ギリシアの英雄たちに守られて運ばれる、金毛の羊、の頭。
アルゴー号と金毛の羊については、こういうお話もご紹介しています。
「ドン・キホーテ」
「ドン・キホーテ様、どうか引き返しておくんなさい! 旦那様が攻めようとしていなさるのは、神に誓って、間違いなく羊でござりますぞ! (略)」
もとよりドン・キホーテは、こうした呼びかけに耳を貸そうとはしなかった。それどころか、彼は大声を張りあげながら、突進していった―
「やあやあ、武勇の誉れ高き大帝、≪腕まくり≫のペンタポリンの旗のもとに戦う騎士の方々、いざ参りましょうぞ。拙者のあとにお続きなされ。さすれば、拙者がおのおの方の仇敵アリファンファロン・デ・ラ・トラポバーナを、いかにたやすく討ちとるかごらんになれるは必定。」
こう言いながら羊の大群のまっただ中に突っこんだ彼は、まるで本当に不倶戴天の敵を相手にしているかのように、戦意をむき出しにし、すさまじい勢いで槍をふるいはじめた。
家畜に付き添っていたその所有者と羊飼いたちは、声を限りに叫んで制止しようとしたが、いっこうに効き目がないのが分かると、それぞれ石投げ器を取り出し、ドン・キホーテの顔面めがけて、こぶし大の石を飛ばしはじめた。
セルバンテスの「ドン・キホーテ」より、反対方向から近づいてくる二つの羊の大群を合戦中の大軍勢と思いこんだドン・キホーテの活躍の一幕。風車だけじゃなかったんですね……。
カラヴァッジオ、ボルゲーゼの「洗礼者ヨハネ」
カラヴァッジオの数多い「洗礼者ヨハネ」のうち、ローマのボルゲーゼ美術館のものです。
カラヴァッジオの聖ヨハネは、これまでにカピトリーノ美術館のものや、バーゼル市立美術館のものなどをご紹介しています。
多岐亡羊
楊先生の隣人が羊を一匹逃がしてしまった。
そこで彼は家中の者どもを引きつれた上に、先生のところの召使まで借りていって、羊のあとを追っかけるという騒ぎ。
先生が「ああ、たった一匹の羊を逃がしただけなのに、どうしてそんなに大勢の人間をかり出して追っかけるのだ」ときかれると、その隣人がこたえた。「なにぶん枝路が多いので。」
やがて一同が帰ってきたから、先生が「羊をつかまえたか」ときかれると、「いや、逃がしてしまいました」という。
「どうして逃がしてしまったのか」ときかれると、「枝路の途中にまた枝路があって、どっちへ逃げたのか分かりません。それで帰ってきたのです」とこたえた。
(略)
「つまりこうだよ。大きな道は、枝路が多いから羊をとり逃がしてしまうし、学問をする者も、やり方がいろいろあるから生き方が分からなくなってしまう。
(略)
ただ根本はみな同じであり一つである原点に立ち帰りさえすれば、「道」と一体となって、利害得失の煩わしさから免れることができるのだ。」
故事成語「多岐亡羊(岐路亡羊)」の出典、列子説符篇の一章です。
和辻哲郎 「イタリア古寺巡礼」
もう一つ注意をひいたのは、絵の構図の簡素なことである。
六面の絵のうちでは<よき羊飼い>の図が一番複雑で、あとはもっと簡単にできている。
(略)
この図が複雑になっているのは、羊や草や岩などを並べたからであって、人物を組み合わせたからではない。
これでも羊が多すぎるといえばいえないこともないが、しかし牧場に動いている羊の群れのことを思うと、これはまず極度の簡単化だといってよいであろう。
その羊や草が背景として人物よりも引っ込んだ別の層になっているのでなく、人物と同じ層に人物を囲んで置かれていることも、ほかにないことである。
このように自然を重く取り扱うということ、自然と人物とがちょうど平衡に釣り合っているということは、どうもヨーロッパ風の感じでない。むしろ東洋風といってよいものであろう。
和辻哲郎の「イタリア古寺巡礼」より、ガラ・プラキディア廟堂のモザイク「善き羊飼い」について語られた部分です。
クチャ 石窟寺壁画
天山南路最大のオアシス、クチャ。
七世紀初め、玄奘が「伽藍百余か所、僧徒五千余」と記したように、この周辺には仏教遺跡が少なくない。
著名なものにクムトラ、キジル、スバシなどの石窟寺群がある。
仏教は、パミールの高嶺を越えた西域で独自の仏教美術を生んだ。
石窟寺の壁画の内容には西域色の強いものがあり、美術・風俗史上の好資料となっている。
エルミタージュ美術館におさめられた、クチャの石窟壁画。
天井に描かれた黄道十二宮の、牡羊座と牡牛座のあたりです。
ウィリアム・J.ウェッブ 「迷える羊」
ウィリアム・ホルマン・ハントに強い影響を受けたラファエル前派の一人、ウィリアム・J.ウェッブの「迷える羊」です。
ハントは、以前「雇われ羊飼い」をご紹介しています。ウェッブが受けた影響のうちに、「羊好き」というのもあるようですね。
「迷える羊」というモチーフについては、こちらやこちらでどうぞ。
祇園祭山鉾 保昌山前掛
保昌山(ほうしょうやま)
恋のために花を手折ってくる姿を表しているので、明治初年までは『花盗人山』と呼ばれ、親しまれてきた山。
前掛と両胴掛が円山応挙の下絵として特に有名である。
また、その下絵が三点共屏風に仕立てられて大切に保存されている。
祇園祭の山鉾のひとつ「保昌山」の前掛、「蘇武牧羊図」です。
「蘇武牧羊」については、李白の「蘇武」を、
円山応挙は、「群獣図屏風」と「黄初平図」をご紹介しています。
ミレー 「二人の羊飼いの少女」
ジャン=フランソワ・ミレーの「二人の羊飼いの少女」です。
ミレーの少女羊飼いを描いたものは、「雁」、「小さな羊飼い」、「羊飼いの少女」などをご紹介しています。
旧約聖書 雅歌
あなたの歯は洗い場から上ってきた
雌羊の群れのようだ。
みな二子を産んで、一匹も子のないものはない。旧約聖書 雅歌 第四章及び第六章
旧約聖書の雅歌より。
愛する人を賛美しつくした詩のなかで、その歯が羊にたとえられています。真っ白なのですね。
トマス・ゲインズバラ 「羊飼いと羊のいる風景」
18世紀イギリスの肖像画家にして風景画家、トマス・ゲインズバラの「羊飼いと羊のいる風景」です。マンチェスター市立美術館所蔵。