「羊メール」

ひつじ話

ハドリアンズ・ウォール
「ローマ時代の遺跡は珍しい?」
「教科書でしか見たことないですよ」
「そう? 実はこの家は100年前に建てられたんだけど、正面の窓と窓の間にはローマン・ウォールの石が使われているんだよ」

澁谷正信のフォトエッセイ、「羊メール」の一章、「ラストドラゴン」から。
著者はイングランドとスコットランドの国境付近で、ハドリアンズ・ウォールの姿に「世界で最後のドラゴン」を見いだすのですが、そのドラゴンのそばになにくわぬ顔で羊が立っています。
こういうのは、洋の東西を問わないものなのですね。

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ニュースになった牧羊犬

ひつじ話

さて、では牧羊犬の目が悪くなったらどうするか。
コリーのティブと、飼い主のイアン・ロスは、いままで通りやることに決めた。
ティブの敏感な聴力と、鋭いカンがあれば大丈夫だ。視力は必要ない。
1962年、そんなことは信じられないという人たちに、イアンはスターリングシアのフィントリーにあるオーバー・グリンズ牧場を公開した。
吠えたりうなったりしながら、目の見えない七歳のティブが、草地に散っている百頭のヒツジを一カ所に集める。
集め終わるのに、わずか二分しかかからなかった。さらにそれから三分で、ティブは全部のヒツジを囲いのなかに入れてしまったのである。
(略)
反対に、こちらはほとんど仕事をしない牧羊犬の話。
牧場主のガレス・エバンスは、バイクに乗ってヒツジを集める。
それで牧羊犬のロイは、そのバイクの後ろに乗って、一緒に見回るだけなのだ。
ノース・ウェールズのフォール・キャサンにある四百エーカーの牧場で、ロイはめったに地面におりることもない。

マーティン・ルイスの「ニュースになった犬」から。
どちらの子も、それぞれに愛されているようなので、良しです。

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「戦場に行った動物たち」

ひつじ話

戦場の羊たち
第一次大戦中、食用の羊を連れて、フランスの田舎道を移動中のイギリス陸軍歩兵部隊。
土煙を上げて行進する一行の右手には、朝露に濡れて青々と輝く牧草地が広がっています。

歩いてます……ね。

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ハンス・ハイセン 「夕陽の方へ羊を追って」

ひつじ話

ハイセン 「夕陽の方へ羊を追って」  「夕陽の方へ羊を追って」(部分)
20世紀の初頭、ハンス・ハイセンは、オーストラリアの風景に関して、彼独自のアルカディア的ヴィジョンを創り出した。
(略)
ヨーロッパで学んでいる間に、ハイセンは、クロード・ロランとコローへの生涯にわたる称賛の念を培い、さらに、ミレーやバルビゾン派の画家たちの作品から影響を受けた。

「オーストラリア絵画の200年 自然、人間、芸術」展図録

ハンス・ハイセンの「夕陽の方へ羊を追って」。トム・ロバーツアーサー・ストリートンより、少しあとのオーストラリア絵画です。

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金製羊頭形リュトン

ひつじ話

金製羊頭形リュトン
口縁にはパルメット文とロータス文が交互に配されている。
羊頭部は渦巻き状に表現される角、後ろに大きく伸びる耳など、器形にあわせて形式化されている。
動物前躯で先端を装飾するリュトンは、アケメネス朝に多く見られるが、その先駆とも考えられる。

 「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝」展図録 

前7世紀後期、古代イランのリュトンです。長31.5?、径18.5?とのことですから、わりと大振りの杯ですね。
リュトンは、銀製のものと、陶器のものをご紹介しています。

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オラウス・マグヌス 「北方民族文化誌」

ひつじ話

「北方民族文化誌」挿画
第2巻 北方の驚くべき自然
第11章 グリーンランドのこびととフヴィートサルクの岩山
このグルントランディア〔グリーンランド〕(この名は《戦い》、あるいは見事な砂から名づけられたのか、それとも、外の説では、その緑色からグルントランディアと呼ばれた)の国の不思議について、しばしば人の語ること、つまり、この地の住民が鶴の大群と戦わなければならなかったことを、もしもプリニウスがその著書の第七巻、第二章でスキタイの人々に触れたところの文書や報告で同じことを述べているのでなかったら、たとえ尊敬に値する人々から耳にしたとしても、わたしはほとんど信じなかっただろう。
すなわち、前述の箇所で彼は言っている。《アストムの種族〔インドの伝説的な種族〕の住む彼方、山のはずれに、身長が三スピュータマ〔一スピュータマは二・三フィート〕、つまり三ドドラントを越えない小人族スピタマエイがいると言う。
山が北風をさえぎるため、常春の健康地に住むが、鶴に脅かされていることはホメーロスも報告している。
言い伝えでは住民は羊や山羊の背に乗り、矢で武装し、春には一団となって海岸に下りていき、鶴の卵と雛を始末する。
この遠征には三か月を要する。さもないと殖える鶴の群れに抵抗できない。

16世紀に著されたオラウス・マグヌスの「北方民族文化誌」から、小人族と鶴の戦いの場面です。

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今昔物語集 「震旦韋慶植、殺女子成羊泣悲語」

ひつじ話

  震旦韋慶植、殺女子成羊泣悲語(しんだんのゐのけいしょく、にょしのひつじとなれるをころしてなきかなしめること)
今昔(いまはむかし)、(略)韋ノ慶植ト云フ人有ケリ。一人ノ女子有リ。其ノ形チ美麗也。而ルニ、幼クシテ死ヌ。父母、此ヲ惜ミ悲ム事無限(かぎりな)シ。
其ノ後、二年許ヲ経テ、慶植、遠キ所ヘ行ムト為(す)ルニ、親シキ一家ノ類親等ヲ集メテ、遠キ所ヘ可行(ゆくべ)キ由を告グ。
食ヲ儲ケテ、此等ニ備エムト為ルニ、家ノ人、市ニ行テ、一ノ羊ヲ買ヒ取テ持来レリ。殺テ此レニ備ヘムトス。
其ノ母、前ノ夜ノ夢ニ、死ニシ娘、(略)「今、羊ノ身ヲ受タリ。来(きたり)テ其ノ報ヲ償ハムガ為ニ、明日ニ来テ被殺(ころさ)レムトス。願クハ母、我ガ命ヲ免(ゆる)シ給ヘ」ト云フト見テ、夢覚ヌ。哀レニ思フ事無限シ。

今昔物語集、巻第九 震旦付孝養第一八話、「震旦韋慶植、殺女子成羊泣悲語」です。
親不孝のために羊に転生してしまった娘が、あろうことか、かつての両親の台所に買われてきてしまいます。娘は母の夢枕に立って訴え、母は羊を助けようとするのですが、すれ違いが重なり、という悲劇。
これだけだと救いが無くてどうも、という感じなのですが、これに続く第一九話「震旦長安人女子、死成羊告客語」は、途中まではよく似たお話なのですが、最後に助かって寺に送られます。良かった……のかな?
ちなみに、震旦というのは中国のこと。

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イェイツ 「幸せな羊飼いのうた」

ひつじ話

     幸せな羊飼いのうた
アルカディの森は死に絶えた
往にし日の森の愉悦はすでにない
(略)
わしも消えねばならぬ 黄すいせん
ゆり花の咲きゆらぐあたりに墓がある
ねむたげな大地の下に埋もれたままの
不運な野神フォーンを陽気なうたで
夜の明けぬ間を楽しませてやりたい
※注(訳者)
ギリシア・ローマ時代から、チョーサーやスペンサーなどを通して受けつがれてきた牧歌詩の伝統も、いまやアルカディの森や夢とともに失われんとする時代の潮にたいして、イェイツの審美的理念が表明される。

W・B・イェイツの詩集「十字路」より、「幸せな羊飼いのうた」です。
訳注の中にある牧歌詩の伝統については、スペンサー「羊飼の暦」ウェルギリウス「牧歌」をご紹介しています。
あと、この詩は、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の献辞にも使われてますね。

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ルイ=エメ・ジャピー 「羊を連れ帰る羊飼い」

ひつじ話

ジャピー 「羊を連れ帰る羊飼い」  「羊を連れ帰る羊飼い」(部分)
三日月が姿を見せるが、まだかなり明るい夏の夕暮れ、羊飼いが群れとともに移動する情景を彼方にとらえたこの作品は、1885年のサロンに《夏の夕べ》として出品された。
自然のサイクルとともに生きる羊飼いをミレーは英雄的に描き出したが、この作品ではむしろかれらは風景の中に完全にとけ込んでしまっている。

 「ゴッホ、ミレーとバルビゾンの画家たち」展図録 

19世紀フランスのルイ=エメ・ジャピーによる、「羊を連れ帰る羊飼い」です。なんともあわあわとした羊たちですが、これはこれで実に。
解説にあるミレーの英雄的な羊飼いについては、こちらこちらで。

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ブリューゲル 「ネーデルラントの諺」

ひつじ話

ブリューゲル「ネーデルラントの諺」  「ネーデルラントの諺」(部分)
ひとりは羊の毛を刈り、もうひとりは豚の毛を刈る
レンガの壁の前で、エンジ色の上衣の男が無心に鋏で羊の毛を刈り、もうひとりの黒い服の男が、豚の毛を刈りながら、羨ましそうに仲間を見ている。
この諺は、同じことをしながら、ひとりは有利で、他は不利になること、ひとりはいつも豊かであり、他は貧しい、という意味である。

ピーテル・ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」です。
数多くの(こちらの「ブリューゲルの諺の世界」では、85の諺が吟味されています)諺がひとつの画面に描き出されているのですが、前景やや左に羊がいます。
「ひとりは羊の毛を刈り、もうひとりは豚の毛を刈る」という諺を絵にしたもののようですね。
ブリューゲルは、「人間嫌い」「イカロスの墜落のある風景」をご紹介しています。

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「怪物のルネサンス」より、植物羊あれこれ。

ひつじ話

半ば植物、半ば羊というこの存在は「ボナレッツ」とか「ボラメッツ」と呼ばれて、プロテスタント詩人ギヨーム・サリュスト・デュ・バルタスによって文学の分野に導入される。
(略)
根は臍につながっていて、周りに伸びる草を喰ってしまった
その日のうちに死んでしまうのだ。
ああ、神の右手の驚嘆すべき成果よ!
植物が肉と血をもち、動物が根をもつ。
(略)
     (デュ・バルタス『第二聖週間』「第一日、第一巻、エデンの園」、第515―524行)
デュ・バルタスが1578年に『聖週間あるいは世界の創造』を上梓してから、1581年にはプロテスタント牧師シモン・グーラールの厖大な註釈付きで改訂版が出版されるなどして、このおよそ6500行におよぶ長編詩は大きな成功を収めたのだった。
(略)
それの続編として1584年に出版されたのが右に引用した『第二聖週間』であり、これについてもグーラールは1589年に詳しい註釈を世に送ったし、デュ・バルタスの死後一年経った1591年には言語学者クロード・デュレも『第二聖週間』の「エデンの園」の巻だけの註釈を発表した。
そのグーラールがデュ・バルタス言うところのボナレッツを説明するに際して、その典拠を明らかにしている。
それは1549年にウィーンでフェルディナント皇帝に献呈されたジークムント・フライヘル・フォン・ヘルバーシュタインの『モスクワ公国事情解説』である。
(略)
この植物動物には血があって肉は皆無である。
でも肉の代わりになにかしらザリガニの身に似たものを具えている。
(略)
その根は臍ないし腹の中央についている。
自分の周りにある草を喰い、草が続くかぎり生きている。
(略)
『第二聖週間』の註釈を公刊したクロード・デュレも『驚嘆すべき植物草本の驚異譚』(1605)の第29章でヘルバーシュタインの伝える話を採り上げながら、マンデヴィルやスカリジェールやカルダーノやギヨーム・ポステルなどが「ボラメッツ」について触れたと指摘している。

伊藤進「怪物のルネサンス」から、植物羊の解説を引いてみました。
植物羊には、オドリコ 「東洋旅行記」マンデヴィル「東方旅行記」のような羊が莢に入っているものと、ヘルバーシュタインやデュ・バルタスやクロード・デュレの言う臍からのびた茎で地面につながっているものの二種類があるようです。こちらでご確認ください。左がマンデヴィル「東方旅行記」、右がクロード・デュレ「驚嘆すべき植物草本の驚異譚」からのものです。
あと、関係があるのかないのか、たぶん無いと思うんですが、「本草綱目」の地生羊は、臍でつながってるようですね。

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ロマン・ロラン 「ミレー」

ひつじ話

この時期に彼は最も美しい作品を制作したのだった。
1856年から57年にかけて『夜の欄の中の羊飼い』と『日没に羊を連れ帰る羊飼い』と『立って杖に寄りかかる牛飼い』との連作を描いた。
彼は物思いに沈む農夫や牧人などという、田舎の人物の中でも神秘的な姿や、一日の終りにあたって、草地の靄や羊の群れから発する温い蒸気が空中にただよう夜、冷たい月光を浴びて深く眠っている大きな牧場や広い野などの詩的な静寂さに、心を引かれていたのであった。
このように彼が「牧人」を好んで描いた結果、それまで彼が人物のために犠牲にしていた風景に、おのずから作品の中で大きな位置を占めさせるようになった。

ロマン・ロランによるジャン=フランソワ・ミレーの伝記から。
「この時期」というのは、あまりの貧困と薄倖に自殺さえ考えたという、ミレーの最も苦しい時期を指すのですが、そうした中で描かれた一枚として、以前ご紹介した「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」があるようです。
なお、ミレーの「牧人」に対する興味については、アルフレッド・サンスィエの「ミレーの生涯」をご紹介したときにお話したことがあります。

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アーサー・ストリートン 「黄金の夏、イーグルモント」

ひつじ話

ストリートン 「黄金の夏、イーグルモント」  「黄金の夏、イーグルモント」(部分)
アーサー・ストリートンは、トム・ロバーツと並んで「オーストラリア印象主義」あるいは「ハイデルバーグ派」の創始者とされている。
二人は他の誰よりも、まさにヨーロッパの印象派がそうしたように、その土地特有の風景や題材を描くことの価値を、自国の人々に納得させた。
(略)
戸外でこの作品の油彩習作を描きながら、ストリートンはロバーツに書き送った。
「僕は、黄金色の丘、北側の丘に座っている。風は太陽に灼かれたようで、僕の髭を炎のようにかすめてゆく。……そう、僕はここ、上の方の、銅と金とに囲まれた所に座っている。嬉しくてしょうがない。……光も、輝きも、移り変る明るさも、皆ゆっくりと自由に目の前を通り過ぎて行く」。

 「オーストラリア絵画の200年 自然、人間、芸術」展図録 

トム・ロバーツ「羊毛の刈取り」に続いて、オーストラリア絵画をさらに一枚。アーサー・ストリートンの「黄金の夏、イーグルモント」です。

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プリニウス 「博物誌」

ひつじ話

テオフラストスが書いているところによると(『植物誌』 七・一三・八)、川岸の周辺に球根植物の一種が生えていて、いちばん外側の皮と食べられる皮との間に羊毛のような性質のものがあり、それでフェルト靴やある種の衣服が作られるということである。
しかし、彼はその植物がエリオフォロン(「羊毛を生むもの」の意)と呼ばれていることのほかは、靴や衣服が作られている地域のことも、その他の詳しいことも、私が個人として手に入れた写本の中では伝えていない。

プリニウス「博物誌」第一九巻より、羊毛を生む球根植物についての一章です。
どうやらこれも、ヘロドトス「歴史」巻三 一0六節と同じく、植物羊伝説成立の一助になっていそうです。

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トム・ロバーツ 「羊毛の刈取り」

ひつじ話

ロバーツ 「羊毛の刈取り」
トム・ロバーツは、オーストラリア美術史上最も重要な人物の一人である。(略)国民的な風景画の一派、ハイデルバーグ派を起こし、オーストラリアの人々の想像力を捉えた。
(略)
その作品に与えられた「印象派」のレッテルにもかかわらず、ロバーツは、基本的には叙述的な内容を持つ美術に興味を持ち続けた写実主義者であった。
(略)
≪羊毛の刈取り≫は、1889年から1890年にかけて、ニューサウスウェールズ州コロワのブロクルズビー牧場で描かれた。
この植民地風のブッシュ生活の生産のイメージは、1880年代末にロバーツが示したナショナリズムへの関心、典型的なオーストラリア的主題への関心の高まりを反映している。

 「オーストラリア絵画の200年 自然、人間、芸術」展図録 

「群れからの逸脱」をご紹介したことのある、トム・ロバーツの「羊毛の刈取り」です。
解説によると、羊小屋に8ヶ月以上カンヴァスを据えて描かれたものらしいです。画家も大変ですが、モデルの人や羊も相当大変だったんじゃないかと。ヴィクトリア州立美術館蔵。

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