シャルル7世の財務官エティエンヌ・シュヴァリエのために描かれた時祷書である。
(略)
聖女マルガリータとオリブリウスとの出会いは、光に満ちた野原で展開している。ここにはすでに印象派的な光の描写が見られる。
15世紀フランスのジャン・フーケによる、「エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書」から。
羊飼いとして育った聖マルガリタの、その受難の始まりであるオリブリウスとの出会いの場面です。
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
シャルル7世の財務官エティエンヌ・シュヴァリエのために描かれた時祷書である。
(略)
聖女マルガリータとオリブリウスとの出会いは、光に満ちた野原で展開している。ここにはすでに印象派的な光の描写が見られる。
15世紀フランスのジャン・フーケによる、「エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書」から。
羊飼いとして育った聖マルガリタの、その受難の始まりであるオリブリウスとの出会いの場面です。
鏡背文様は、中央に大形の獣形を伏せて鈕とし、それを中心に四重の界圏をめぐらしている。
内側の第一区には青龍、朱雀、白虎、玄武の四神を配し、その間に花卉の生えた山岳文をあしらい、第二区には八卦文を表し、第三区には十二支文をめぐらし、最も外側の第四区には葡萄唐草文帯を設ける。
四神は東西南北、十二支文は北から右回りに十二方位、八卦文は東西南北に東北、東南、西南、西北を加えた八方位を意味し、これらの図様は時間と空間の座標を象徴していると思われる。「平成十年 第五十回正倉院展 図録」
あけましておめでとうございます。今年もひつじnewsをよろしくお願い申し上げます。
今年最初のひつじは、正倉院宝物から。十二支八卦背円鏡(じゅうにしはっけはいのえんきょう)です。十二支の文様がついた鏡ですね。むかって右上に羊らしき動物が。巻き角でなんとかわかる感じですが。
正倉院宝物は、これまでに、羊木臈纈屏風と樹下鳳凰双羊文綾、新羅羊脂、銀壺をご紹介しています。
●1月1日午前5時頃?午後6時半頃まで、ひつじnewsの借りているサーバーが落ちていたため見れない状態になっていたようです。見に来てくれたかたごめんなさい。
蟇蛙を乗せ轡をつけた子羊は、いよいよお姫様の館へ乗り込んで行きます。美しいお姫様は、窓のそばにより添い、綺麗な手を差し伸べて、可愛らしい眼を嬉しそうに輝かしていました。
いままで悄(しお)れ返ったようにしていた蟇蛙は、口の手綱をぐいと引き締め、両脚でしかと子羊の脇腹を締めつけて、手にしていた棒を羊の頭にかざしていました。
(略)
「おや、子羊は気が狂ったか。可哀想に轡までつけられて、乗馬になっているぞ。はははは。ほほほほ」
どの窓からも、人々の笑声がどっと響いて来ます。
子羊は、眼を小さくして、なにもいわないで、ただおとなしく自分の家へ帰って行きました。
こういうことがあって以来、人々は今日でも「従順(おとなしい)」ということを口にすれば、きっと、
「羊のようにおとなしく」
というようになりました。
ブラジルの神話伝説集から、「羊がおとなしい理由」です。
天にも昇りそうなほど陽気な子羊を苦々しく思っていた蟇蛙は、子羊をへこませるために一計を案じ、仮病を使ってその背中に乗せてもらいます。さて、目的地の館が近づくと……?
19世紀フランスの風景画家、ジュール・エローの「羊小屋の開門」です。ボルティモア美術館蔵。
道連れの麗しい貴婦人は、
雪よりも白い慎ましい驢馬に品よく乗っていたが、
(略)
心の中には何か心配事を秘めているようで、
そばには乳白色の子羊を紐でつないで連れていた。
「羊飼の暦」をご紹介したことのあるエドマンド・スペンサーの「妖精の女王」から、第一巻「赤十字の騎士の神聖の物語」冒頭、ヒロインにあたるユーナ姫の登場シーンです。訳注によれば、この子羊は無垢と真理の象徴として、乙女とともに描かれているようです。
巻三 一0六節
またインドでは野生の木が(羊)毛の実を結び、この(羊)毛は外見も質も羊からとった毛に優る。
インド人はこの木(の実)で作った衣類を用いているのである。
巻二に続いて、ヘロドトスの「歴史」巻三から。
なんのことはない、おそらくワタの木のことなのですが、ヘンリー・リー「スキタイの子羊」によれば、この記述が植物羊の伝説が生まれるのに一役買っている可能性があるようです。
なおこの「歴史」巻三には、一一三節に、以前ご紹介した脂肪尾種の記述も含まれています。
写真もあるんですが……ちょっとびっくりしますよ?
19世紀フランスのジャン=ヴィクトール・ベルタンによる、「古典的な風景」です。中央に小さく羊の群れが……って、拡大しないと全くわかりませんね。ほんとに羊? スコットランド国立美術館蔵。
巻二 二節
エジプト人はプサンメティコスが王になるまでは、自分たちが全人類の中で最古の民族であると考えていた。
(略)
プサンメティコスはいろいろ詮索してみたが、人類最古の民族を知る手段を発見できず、とうとう次のような方法を案出した。
生れ立ての赤子を全く手当り次第に二人選び出し、これを一人の羊飼にわたして羊の群と一緒に育てるように言いつけ、その際子供の前では一言も言葉を話してはならぬ、子供はほかに人のいない小屋に二人だけでねかしておき、然るべき時々に山羊を連れていって十分に乳を飲ませ、そのほかの世話もするようにと厳命しておいたのである。
(略)
羊飼は言いつけられたとおりを行って二年たったある日のこと、小屋の戸を開けて中へ入ると、二人の子供は手を延べて彼のところへ駈けより「ベコス」といった。
(略)
王も自分の耳でその言葉を聞くと、「ベコス」という言葉を使うのは何国人であるかを調べさせた。そして詮索の結果、プリュギア人がパンのことをベコスということが判ったのである。
巻二 四二節
ヘラクレスがどうしてもゼウスの姿を見たがり、ゼウスは彼に姿を見られることを欲しなかったが、結局ヘラクレスがそれを望んで止まぬので、ゼウスは一計を案じた。
すなわちゼウスは一頭の牡羊の皮を剥ぎ、切りとった牡羊の首を前へ差し出し、羊の皮で蔽った自分の姿をヘラクレスに示したのだという。
エジプト人がゼウスの神像を、牡羊の頭をつけた姿に作るのはここに由来するのであり、この風習はエジプト人がらアンモン人にも及んでいるのである。
アンモン人は元来エジプトおよびエチオピアからの移民であり、その言語も両国語の中間に当るものを使用している。
彼らがアンモン人と名乗るのもこの故事にちなんだものであろうと私には思われる。
エジプト人はゼウスのことをアムンと称するからである。
従ってテバイ人は牡羊を生贄に供さない。牡羊は右に述べた理由で、彼らにとっては神聖な獣なのである。
ただしかし一年に一日だけ、ゼウスの祭礼の折に一頭の牡羊を屠って皮を剥ぎ、かつてゼウスがしたと同じようにゼウスの神像を皮で蔽い、それからヘラクレスの神像をそのゼウスの神像に近付ける。そうしてからこの神殿の氏子一同は、胸を打って牡羊の死を悼み、その後死骸を神聖な墓地に葬るのである。
ヘロドトスの「歴史」第二巻は、主としてエジプトの事物を説明することに費やされていますが、そこから、羊関係の記述をふたつ。
上は、世界最古の民族の調べ方のお話。訳注を見ると、「ベコス」が山羊の鳴き声である可能性も指摘されていたりしますが。
下は、何度かお話しているアメン神について。
「羊飼いと羊の群」、「羊飼い」、「夕暮れの羊飼いと羊」や「牧場の羊」などをご紹介したことのある、バルビゾン派の動物画家シャルル=エミール・ジャックの「羊のいる風景」です。ボルティモア美術館蔵。
「神の仔羊」をご紹介したことのあるフランシスコ・デ・スルバランの、「幼児洗者聖ヨハネのいる聖母子像」です。
聖ヨハネの足下に子羊が。三角形の端正な構図が特徴です。
幼い聖ヨハネを描いたものとしては、スルバランとほぼ同時代の画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョの「貝殻の子供たち」をご紹介したことがあります。
それで、まま母は魔法をつかうことを心えているものですから、子どもふたりに魔法をかけて、にいさんをお魚に、妹を子羊にしてしまいました。
ちいさなおさかなは、池の中をおよぎまわりましたが、かなしくってしかたがありません。子羊は、草原をのそのそあるきましたが、かなしくって、草なんぞ、たべるどころか、茎にさわりもしませんでした。
こんなふうで、かなりながいことたちましたが、あるとき、このおやしきへ、よそからお客さまがたがみえました。悪人のまま母は、これはうまいつごうだぞと思って、お料理番をよんで、
「おまえ、あの子羊を原っぱからつれてきて、つぶしておくれ、お客さまがたには、ほかに、なんにもごちそうがないのだからね」と、いいつけました。
グリム童話から。魔法使いの継母に子羊に変えられた小さな妹が、お料理番の前で訴えたことは。
ホロルというゲームの一種。十二支の動物や宝珠、卍、天輪などを表した牌を用いて遊ぶ。双六に似ている。
遊牧民としてのモンゴル人の娯楽には、その厳寒期のために発達した室内ゲームが大きな位置を占めています。
こちらは「ホロル」の牌。木彫りの札です。羊の造形がリアルですね(当たり前?)。
モンゴルの室内ゲームについては、羊のくるぶしの骨のサイコロ「シャガイ」と、その関連情報をご紹介しています。
クヌムはエジプトの雄羊の神のなかで最も有力なもののひとつであり、ナイルと生命の誕生に関わりを持っていた。
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クヌムがナイルやそれによって運ばれる肥沃な土壌と関わりを持っていたことはおそらく、この神がすべての生物を轆轤の上で成形した陶工として描かれるようになった一因と言えるだろう。
その創造の能力の結果、そして雄羊の擬声語―「バァ」―が生物の霊的側面を表す単語(バァ)に似ていたために、クヌムはラーのバァとみなされた。
(略)
クヌムは雄羊の頭部を持ち、短いキルトと3つの房に分かれた長い鬘をつける神という、なかば人間の姿で最も頻繁に表現された。
この神は本来、エジプトで飼育された羊の最初の種(Ovis longipes)の水平に波打つ角を持つ姿だったが、時が経つにつれて別の雄羊(Ovis platyra、「アムンの雄羊」)の短く湾曲した角を持つ姿でも表されるようになり、頭上にこれら二対の角を持つ場合もある。
エジプト神話の主要な雄羊神、クヌム神です。創造神ですね。
角の形云々については、こちらでお話したことがあります。
昨日に続いて、国芳をもうひとつ。
英雄たちと十二支の動物を組み合わせた十二枚のシリーズ「武勇見立十二支」から、「関羽 未」です。
「頼豪 子」とか、「素盞嗚尊 辰」とか、比較的わかりやすいものが多い中、関羽と羊って、どこでつながるんでしょうね? ヒゲ? しばらく自分の宿題にしておきます。
なお、「武勇見立十二支」は、山口県立萩美術館・浦上記念館の収蔵作品検索システムで、全作品が見られるようです。
「道外獣の雨やどり」と「かみゆいどこ未」をご紹介したことのある歌川国芳の、「年が寄ても若い人だ」です。
十二支の寄せ集めで人の顔が描かれているのですが、着物の線が、よく見ると「ひつじ」です。