江戸期に描かれた絵巻物「怪奇鳥獣図巻」は、その知識の多くを「山海経」に拠っています。
「山海経」に登場する羊っぽい生き物たちについては何度かご紹介したことがあるのですが、その内いくつかは「怪奇鳥獣図巻」にも引用されているようです。
というわけで、「カン」と「葱聾」の「怪奇鳥獣図巻」バージョンを。
「怪奇鳥獣図巻」
チェーホフ 「幸福」
羊どもは眠っていた。もう朝焼けが東の空をおおいはじめた薄ぐらい大空を背景にして、眠っていない羊たちのシルエットがあちらこちらに見えていた。羊たちは立ったまま、うなだれて、なにごとか考えこんでいる。果てしない曠野と空、昼と夜だけの観念に呼びさまされた長々しい、のろのろとした考えが、羊たちを茫然とさせるくらいに驚かせ、気をめいらせているらしく、いま棒のように立ちすくんで、見知らぬ人のいることにも、犬の落ちつかないことにも気づかぬふうだった。
アントン・チェーホフの短編小説、「幸福」から。掘り出されることのない埋められた宝について語る老羊飼いと、彼が番をする羊たちの風景です。
ひつじ田
ひつじだ 【櫓田】 (※正しくは、のぎへんに魯。引用者注)
秋の刈入の後の稲の切株に、再び青い芽が萌えている田。
ひつぢ田に紅葉ちりかかる夕日かな 蕪村・蕪村句集
ひつぢ田や青みにうつる薄氷 一茶・句帖
櫓田に我家の鶏の遠きかな 高浜虚子・定本虚子全集
秋の季語です。語源が動物の羊である可能性はまず無さそうですが、せっかくですし。
エジプトの複合神
エジプトの「万神殿」は、それを眺める部外者にとって、男神や女神などさまざまな存在が、ほとんど愚かしいほど多様な姿を示すまったくの珍獣動物園で占められているように見える。そのことは事実ではあるが、それにもかかわらず、エジプトの神々はだいたいにおいて、人間、動物、それらの合成・複合という、論理にかなったタイプで思い描かれていた。
(略)
羊頭のスカラベ甲虫、4つの頭を持つ羊という「風の神々」は、エジプト人が「複合神」を生みだすのに用いた多彩な方法を示す一例である。
デイル・エル=メディーナに造営されたプトレマイオス朝時代の神殿の浮彫より。
エジプト神話に出てくる、羊の姿を持つ多くの神々の一柱です。エジプトの神々に関しては、アメン神について何度かお話しています。
フラムスチード天球図譜
17世紀イギリスの天文学者、ジョン・フラムスチードによる「天球図譜」より、牡羊座を。
秋冬は、牡羊座が見頃です。地味な星座だし寒いしで強くお薦めはしにくいのですが、お気が向かれたら、ぜひ。
羊膜の語源は?
胎児を包む膜のことを羊膜、そのなかの液体を羊水という。
遊牧民が神にたいする供儀として、羊(妊娠羊)を犠牲にして腹を切り開いたところ、胎児が液体を満たした袋に包まれていることを見つけたことから、つけられた名前だ。
羊膜は英語でamnionという。これはラテン語のAmmon(古代エジプトの太陽神アモンのことで、羊の角を生やした神)に由来する。
動物に関するエピソード集から。アモン神については、このあたりで。
「シートン動物解剖図」
四肢を含めたヒツジの胴体は一辺が2½ 頭身の正方形の中に納まるが、多くの小型のシカ類と同様、背の部分がこの正方形からはみだして盛り上がる。
首は1頭身で、これはおそらくすべての草食動物にあてはまる。
鼻先から胴体の端までを結ぶ線DEの中間点Fは、腕の後ろ側にくる。
胸は肩までの高さの半分である。
GHIJで囲まれた正方形は、胴体全体が納まる正方形の半分の長さの正方形が腹部の下にできることを示している。
アーネスト・トンプソン・シートンについては、一度、「動物誌」のビッグホーンのお話をしていますが、こちらは、シートンが画家時代に刊行した動物の解剖学研究の成果から、「ヒツジの体型」です。
モンゴルの民話 「なぜ野うさぎの上唇は裂けているのか」
「地上に生きるもののなかで、敵を追いはらう方法や、身を守る方法を知らないものはいない。だがわれわれは、あらゆる生き物のなかでもっともみじめだ。木の葉がそよとしただけで、ちぢみ上がる。兄弟たちよ、こんな生き方をつづけてなんにでもびくついているくらいなら、井戸に身を投げた方がましではないか」
そこで苦しみ悩む野うさぎたちは長老のあとをとぼとぼ歩き、井戸に向かった。途中でかささぎに出会うと、
「どうしたの、うさぎさん?」 かささぎはたずねた。
(略)
「まあ、なんてばかなことを! さあ、藪の陰に隠れなさい。もうすぐ羊飼いの少年が羊に水を飲ませにやってくるから。少年がきたら全員で飛び出して、四方八方に走ってごらんなさいな。なにが起こるかわかるから。あなた方だけがこの世でみじめな動物でないと、わたしは思うわ」
かささぎはこういうと、飛び去って行った。
野うさぎたちは藪の陰に隠れ、羊が近づくと飛び出して、四方八方にぴょんぴょん跳びはねながら駆け出した。そしてふり返ってみると、羊たちが驚いて、群れをなして逃げて行く。羊飼いの少年ときたら、必死になって羊の群れを止めようとして、乱暴に鞭をふりまわしているではないか。
モンゴルの民話集より。そんなわけで、自分たちより弱い生き物がいることを知った野うさぎたちは、喜びのあまり、笑いすぎて上唇が裂けてしまったのです。羊って、そこまで。
エジプト神話のアメン神
古王国時代の全体を通じて、アメンはテーベの人目に付かない神であった。テーベ州の首都ヘルモンティスの隣接都市の神モントよりも重要性の小さい神であった。
(略)
テーベの君侯とモントとアメンは、第一中間期のあと、彼らがエジプトをその統治下におさめた紀元前2050年ごろ、初めて目立って来た。中王国時代のあいだ、アメンは主として創造神であると考えられた。
(略)
もっと重要なことは、中王国時代において彼が(略)牡羊と結び付いたことである。
かつてアメンは、大気の神シュウが彼に向かって隠れているところから出てくるように懇請したとき、牡羊の皮を剥ぎ、その首を切り取り、その皮と首で変装してあらわれた、と言われた。
アメンがこの姿で自らを世界に示してからあと、牡羊は彼と結び付いて神聖となり、一年に一度だけ、彼に捧げるために牡羊の皮を剥いでその首を切り取る時のほかは、不可侵のものであった。
アメン神については、角の形のお話や、カルナック神殿のクリオ・スフィンクス、アンモナイトの語源などをご紹介しておりますが、あらためてもう少し。
ルーベンス 「パリスの審判」(プラド美術館)
ナショナル・ギャラリー蔵のものをご紹介したことのある、ピーテル・パウル・ルーベンスの「パリスの審判」ですが、こちらは同じテーマで描かれたプラド美術館蔵のもの。やっぱり真ん中に羊が。
ラ・フォンテーヌ 『寓話』より「オオカミたちとヒツジたち」
千年以上も公然の戦争状態にあったのち
オオカミたちはヒツジたちと和解した。
(略)
そこで、平和条約がむすばれて、
誓いのしるしがとりかわされた。
オオカミたちはオオカミの子を、ヒツジたちはイヌをあたえた。
(略)
しばらくたって、オオカミの子の諸君が
殺戮を好む、申し分のないオオカミになると、
かれらは、羊小屋に
羊飼諸君がいない時をねらって、
よく肥えた小ヒツジたちの半数を噛み殺し、
歯にかけて運び去り、森の中へひきあげた。
「羊飼になったオオカミ」に続いて、ラ・フォンテーヌの寓話詩をもうひとつ。
このお話の教訓は、「悪人とは戦わなければならない」です。前回の以上に厳しい落ちですね……。
ガラ・プラキディア廟堂モザイク 「善き羊飼い」
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。旧約聖書 詩編第23篇
ひさしぶりに、ラヴェンナのモザイクを。
今までに、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂の聖アポリナリス、サン・ヴィターレ聖堂のメダイヨン、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の「羊と山羊を分けるキリスト」をご紹介しているのですが、こちらはガッラ・プラキディア廟堂の「善き羊飼い」です。
「善き羊飼い」のテーマについては、こちらやこちらなどを。
曲亭馬琴 「烹雑の記」
牛の性は、その死を聞ときはいたくおそるゝものなり。又羊の性は、その死を聞といへども、あへて懼れざるものなりといふ。
(略)
牛と羊と共に丑未(ちうび)の位に居れり。牛の色は蒼し、雑色(くさぐさのいろ)ありといへども蒼が多し。春陽の生気に近きが故に、死を聞ときは則ちコクソクす。羊の色は白し。雑色ありといへども白が多し。秋陰の殺気に近きが故に、死を聞ときは則ち懼れず。
(略)
孟子梁恵王篇に、斉宣王羊をもて牛に易よといひし段を按ずるに、王の意小をもて大に易るにあらず。又牛を見て未(いまだ)羊を見ざる故にあらず。牛は死を聞ていたく懼るゝが為に忍びず。
以前、孟子の「以羊易牛(羊をもって牛にかえる)」についてお話をしたことがあるのですが、この故事成語について、江戸の戯作者曲亭馬琴が、随筆「烹雑の記」の中で別の解釈をしています。つまり、羊は死を怖がらないように見えるので犠牲にふさわしい、というお話ですね。そんなー。
みや こうせい 「羊の地平線」
草はむ羊、雲となり
雲はいつか羊となって
空と小川と口笛吹けば
カルパチアの村々は
羊の地平に
瑠璃色にまどろんで
みやこうせいの写真集です。ルーマニア北部のマラムレシュに点在する美しい村々と、そこに暮らす人々と、そして羊たちの記録がぎっしりとつまっています。
白鶴美術館の青銅器
突然ですが、秋期展を開催中の、神戸の白鶴美術館に行って参りました。
白鶴美術館
◆開館期間 2007年9月8日(土)?12月2日(日)
◆開館時間 午前10時?午後4時30分(但し、入館は午後4時まで)
◆休館日 毎週月曜日
住吉川沿いの遊歩道を登っていくと、特色のある屋根が木の間から見えてきて、良い感じです。
目的は、古代中国の青銅器。
今までにも、藤田美術館の兕觥(じこう)や、台北の故宮博物院の四羊乳釘文瓿(ほう)などをご紹介していますが、今回見たのは西周時代の卣(ゆう)。アルガリをかたどったとおぼしき犠首が、両脇にくっついてました。
「白鶴美術館名品選」
殷周青銅器のひつじは、全体に、思いのほか可愛らしい気がします。お近くにいらっしゃることがあれば、ぜひ。