村上春樹 「シドニーのグリーン・ストリート」

ひつじ話

「この世界には、たぶんあなたは御存じないと思うのですが、約三千人の羊男が住んでおります」と羊男は言った。
「アラスカにもボリヴィアにもタンザニアにもアイスランドにも、いたるところに羊男がおります。しかしこれは秘密結社とか革命組織とか宗教団体とかいったようなものではありません。会議があったり機関誌があったりするわけでもありません。要するに我々はただの羊男でありまして、羊男として平和に暮したいと願っているだけなのです。羊男としてものを考え、羊男として食事をとり、羊男として家庭を持ちたいのです。だからこそ我々は羊男なのです。おわかりでしょうか?」
 よくわからなかったけれど「ふむふむ」と僕は言った。

村上春樹の羊男もの(?)の一篇、「シドニーのグリーン・ストリート」です。架空の町グリーン・ストリートで私立探偵を営む「僕」のもとに現れる依頼人、羊男の頼み事とは。
村上春樹の作品は、羊男の出てくるものとしては、「羊男のクリスマス」と「ふしぎな図書館」「羊をめぐる冒険」を、
羊男とは無関係ながら、羊の出てくる短篇として、「彼女の町と、彼女の緬羊」をご紹介しています。

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スペンサー 「羊飼の暦」

ひつじ話

「羊飼の暦」(一月)
ある羊飼(と呼べばよい)
冬の寒さが落ち着いて
ある日折よく晴れた日に
小屋の羊を連れ出した。
閉じ込められて弱ってて
足で立つのもやっとこさ。
それに劣らず羊飼
やつれ青ざめその顔は
恋の悩みか心痛か、
笛の名手で歌上手。
弱った群れを丘へ連れ
草食ませつつこう嘆く。
「恋を哀れむ神々よ
(悲恋哀れむ神あれば)
天の園から見下ろして
どうかお聞きをわが哀歌。
恋したパーン 牧神よ
身に覚えある哀れみを。

エドマンド・スペンサーの牧歌「羊飼の暦」の冒頭部分です。羊飼いコリン・クラウトの悲恋と、それを象徴するかのような冬の羊たちの姿が歌われます。

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福田恆存 「一匹と九十九匹と」

ひつじ話

 ぼくはぼく自身の内部において政治と文學とを截然と區別するやうにつとめてきた。その十年あまりのあひだ、かうしたぼくの心をつねに領してゐたひとつのことばがある。「なんじらのうちたれか百匹の羊をもたんに、もしその一匹を失はば、九十九匹を野におき、往きて失せたるものを見いだすまではたづねざらんや。」(ルカ傳 第十五章) 
(略)
 が、天の存在を信じることのできぬぼくはこの比喩をぼくなりに現代ふうに解釋してゐたのである。このことばこそ政治と文學との差異をおそらく人類最初に感取した??のそれであると、ぼくはさうおもひこんでしまつたのだ。かれは政治の意圖が「九十九人の正しきもの」のうへにあることを知つてゐたのにさうゐない。かれはそこに政治の力を信ずるとともにその限界をも見てゐた。なぜならかれの眼は執拗に「ひとりの罪人」のうへに注がれてゐたからにほかならぬ。九十九匹を救へても、殘りの一匹においてその無力を暴露するならば、政治とはいつたいなにものであるか―イエスはさう反問してゐる。
かれの比喩をとほして、ぼくはぼく自身のおもひのどこにあるか、やうやくにしてその所在をたしかめえたのである。ぼくもまた「九十九匹を野におき、失せたるもの」にかゝづらはざるをえない人間のひとりである。もし文學も―いや、文學にしてなほこの失せたる一匹を無視するとしたならば、その一匹はいつたいなにによつて救はれようか。

 「福田恆存著作集 第七巻・評論編(四) 日本および日本人」 

福田恆存によって戦後すぐに著された評論、「一匹と九十九匹と」です。
新約聖書の羊飼いに関する章句を引き、政治と文学とを区別する必要性が説かれています。
こちらは、もりもとさんからネタ提供をいただきました。上記の本もお借りしました。ありがとうございます。

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ミレー 「雁」

ひつじ話

ミレー 「雁」

ジャン=フランソワ・ミレーの少女羊飼いを描いた一作、「雁」です。晩秋の風景ですね。
ミレーの描いた少女たちについては、「小さな羊飼い」「羊飼いの少女」などをご紹介しています。

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折り紙でひつじを。

ひつじ話

 そろそろあったかいものを食べたいものだと「ホットペッパー」を繰っておりましたら、こんなラブリーネタが載ってまして、

「出没! 箸袋族」
出没! 箸袋族
おもな用途
? 会話のすき間を埋める
? お皿のすき間を埋める
? 心のすき間を埋める、など

思わず、参考資料として紹介されていた「おりがみ自遊帖 十二支を折る」を入手してしまいました。

この本では、「正月の干支」をテーマに、年賀状やお誕生日に合わせた演出をしています。海外へのお便りに添えたら、まさにおりがみ付きの「和の心」といえるでしょう。
毎日の暮らしにすぐ取り入れられる「折って使えるおりがみ」も紹介します。可愛い箸袋やポチ袋など、すぐに作れて使えるものばかりです。

作ってみました。
ひつじ折り紙
自分で折ると……、な……なんか……違う?
つくづく自分の不器用を実感してしまいましたが、せめて箸袋バージョンだけでもマスターして、これからの宴会シーズンに役立ててみたいところです。

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トマス・モア 「ユートピア」

ひつじ話

『(略) しかし、以上のべたことだけが窃盗の多い唯一の必然的な原因ではありません。私の考えますところでは、もう一つ、あなた方イギリス人だけに特有な原因があります。』
『といわれますと、一体それは何でしょうか』と、ここで枢機卿はいわれました。
 
『他でもありません(と私は答えました)、イギリスの羊です。以前は大変おとなしい、小食の動物だったそうですが、この頃では、なんでも途方もない大喰いで、その上荒々しくなったそうで、そのため人間さえもさかんに喰殺しているとのことです。おかげで、国内いたるところの田地も家屋も都会も、みな喰い潰されて、見るもむざんな荒廃ぶりです。(略)』

トマス・モア「ユートピア」第一巻より、モアが登場人物の口を借りて主張した、16世紀イギリスの囲い込みに対する批判の部分です。土地を追われた農民たちが飢えるか盗賊として絞首台にのぼるかしかなくなっているという事態に対して、「羊が人を食う」という言い回しが使われています。

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シェイクスピア 「ヴェニスの商人」

ひつじ話

シャイロック ヤコブが伯父ラバンの羊飼いをしていたとき―
       このヤコブってのは、頭のいいおふくろのおかげで、
       兄貴をさしおいてわれらが先祖アブラハム様の
       三代目の、そう、三代目の跡とりになった人だが―
アントーニオ そのヤコブがどうした? 利息でもとったのか?
シャイロック いや、利息はとらなかった、あんたらのいわゆる
       利息はな。ヤコブの手口ってのはこうなんだ、
       あらかじめラバンとのあいだに約束を交わしておく、
       その年に生まれる子羊のうち、まだらとぶちはみんな
       ヤコブのものとするってな。
       (略)
       これが利殖の道であり、ヤコブは天の恵みを受けた、
       つまり金もうけは天の恵みなのだ、盗むのでなけりゃ。

ウィリアム・シェイクスピアの「ヴェニスの商人」から。金貸しのユダヤ人シャイロックが、旧約聖書のヤコブになぞらえて自らの立場を説明する場面です。
ヤコブの話は、ジェイコブ種の名前の由来として、ご紹介しています。

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北アフリカの岩面線刻画

ひつじ話

北アフリカ、アトラス地方の線刻画
アフリカではカプサ後期からひどい乾燥の時期に入り、人々は渓谷やオアシスに移り住んで狩猟採拾の生活をつづけたが、やがてエジプト方面からの影響で新石器文化をもつようになり、家畜を飼い、土器なども作るようになった。
(略)
北アフリカのアトラス地方では非常に多くの岩面線刻画が発見されたが、(略) 頭上に聖なる円盤をいただいて、エジプトの神聖獣との関係を想わせる牡羊などの神話的なものもある。

江上波夫の文化史論「美術の誕生」から、新石器時代北アフリカの岩面線刻画です。

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ミレー 「牧養場の羊の群れ」

ひつじ話

ミレー 「牧養場の羊の群れ」
ゴッホは手紙のなかで、moutonner(白波が立つ、泡立つ)という言葉を用い、文字どおり羊の群れを描く難しさについて述べている。
ミレーはそれを可能にした画家だ。よほど羊(mouton)の習性を、光の技法を知っていなければ描けない絵の一つだろう。

ジャン=フランソワ・ミレーの「牧養場の羊の群れ」です。月明かりに映える羊の背中。オルセー美術館蔵です。
なお、フィンセント・ファン・ゴッホとミレーの関わりについては、「羊の番をする女」「羊の毛を刈る人」をご紹介しています。

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「黄金伝説」の聖クレメンス

ひつじ話

聖クレメンスは、「みんなでここに井戸を掘って、水が湧きだしてくるようわれらの主イエス・キリストにお願いしましょう。と言いますのは、シナイの荒地で岩を打つように命じられ、そこから滝のような水を噴出させてくださったかたは、きっとわたしたちにもゆたかな水源をあたえて、お恵みにあずからせてくださるにちがいありません」
そう言って、祈りをささげ、それからあたりを見まわすと、一匹の子羊が立っているのが見えた。
子羊は、右の足をあげて、彼にある場所を教えた。それを見た彼は、この子羊は主イエス・キリストで、自分にだけ姿をあらわしてくださったのだとわかった。
彼は、しめされた場所に行って、こう言った。 「父と子と聖霊の御名において申しつけます。ここを掘りなさい」 ところが、子羊の立っているところをだれも掘りあてることができなかった。
そこで彼は、みずから小さなつるはしを取って、子羊の足の下をかるく打った。すると、たちまち大きな泉が湧きだし、見るみるうちに川となった。

13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネによって著された聖人伝「黄金伝説」から、聖クレメンスの章を。流刑を受けた土地で、流されて苦役に服していた信者たちのために井戸を掘り当てる場面です。

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トム・ロバーツ 「群れからの逸脱」

ひつじ話

ロバーツ 「群れからの逸脱」
オーストラリア美術の父と呼ばれるトム・ロバーツは、ロンドンのロイヤル・アカデミーの学校で学び、フランスとスペインに写生旅行した。
彼は戸外制作に刺激をうけて、オーストラリア絵画にもその方法を取り入れた。
(略)
オーストラリア印象派は、しばしば奥地にテントを張り、夜明けとともにその光景を描いた。このような画家のキャンプの初めのものは、メルボルン郊外の町、ボックス・ヒル近くに、1880年代に置かれた。他の画家たちもそれに続き、オーストラリア風景画派は大きく育っていく。

入植者の国民意識が成立したばかりの19世紀末オーストラリアで、大陸の自然を描いたトム・ロバーツの「群れからの逸脱」です。羊の暴走とカウボーイ大ピンチの図。

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シェイクスピア 「お気に召すまま」

ひつじ話

コリン  そりゃあ違うな、タッチストーン。宮廷でのいい礼儀作法ってもんは田舎じゃ滑稽に見えるんだよ、田舎の行儀が宮廷じゃ物笑いになるのとおんなじでね。あんたの話だと、宮廷じゃあいさつがわりに手にキスするっていうんだろう、そんな作法は不潔だよ、宮廷にいる人が羊飼いだとしたら。
タッチストーン  それを証明できるかね。さあ、手っとり早く証明してみな。
コリン  だっておれたちはしょっちゅう羊をいじくってるだろう、ところが羊の皮ってやつは脂でねちねちしてるんでね。
タッチストーン  じゃあ、宮廷人の手は汗をかかないって言うのか? 羊の脂は人間の汗より不潔だって言うのか? だめだ、だめだ、もっとうまく証明してみな。
コリン  それに、おれたちの手は硬えんだ。
タッチストーン  それだけちゃんと唇に感じるじゃないか。それでもだめだ、もっとしっかり証明してみな。
コリン  おれたちの手は羊の傷に塗ってやるタールで汚れている、タールにキスしろって言うのかね? 宮廷の人たちの手には麝香が塗ってあるんだろう。
タッチストーン  まったくだめな男だな! 上等肉にくらべたらおまえは蛆虫の餌にしかならん腐れ肉だ。賢い人から教えてもらってよおく考えてみるんだな、麝香ってやつはタールよりも卑しい生まれなんだぞ、不潔きわまる猫の糞から作るんでな。証明しなおしてみな、羊飼い。

ウィリアム・シェイクスピアの喜劇「お気に召すまま」から、公爵の元を逃げ出して森で暮らし始めた道化のタッチストーンと、老羊飼いコリンの会話です。最初は、「田舎暮らしは慣れたか」程度の世間話をしていたはずなのに、なんでこんな会話に。
シェイクスピアは、「リア王」の一節と、「冬物語」をご紹介しています。

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フィリップ・ド・シャンパーニュ 「アベルの死の哀悼」

ひつじ話

シャンパーニュ 「アベルの死の哀悼」  「アベルの死の哀悼」(部分)

17世紀フランスの有力な画家、フィリップ・ド・シャンパーニュの「アベルの死の哀悼」です。アダムとエバの、息子アベルの死への嘆きの図ですが、その背景にアベルが飼っていたのであろう羊たちが。
嘆きのシーン自体は聖書にはありませんので、カインのアベル殺しのあたりを引用します。

アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
(略)
彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
主はカインに言われた。「弟アベルは、どこにいますか」。

 旧約聖書 創世記第四章 

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ミレー 「小さな羊飼い」

ひつじ話

ミレー 「小さな羊飼い」

ジャン=フランソワ・ミレーの「小さな羊飼い」です。ミレーの描く羊飼いの少女たちは不思議なほどに愛らしいのですが、彼女は特にそんな感じですね。オルセー美術館蔵。
女羊飼いたちの絵は、これまでに、「オーヴェルニュの山の牧場」「家路につく羊飼い」「羊飼いの少女と羊の群れ」エッチングの「羊飼いの少女」「羊飼いの少女」「生まれたての子羊」をご紹介しています。

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