代表的景勝地「羊ケ丘展望台」のかわいらしい羊をモチーフにしたキャラクター。
街の魅力や楽しいことの発見に関しては、フットワークが軽いらしい。
名前の由来 名探偵みたいな服で羊だから
札幌のキャラクターについては、以前から思うところはあったのですが、こんな子もいたのですね。迷わない羊探偵。家は羊ケ丘展望台周辺らしいです。周辺……?
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
代表的景勝地「羊ケ丘展望台」のかわいらしい羊をモチーフにしたキャラクター。
街の魅力や楽しいことの発見に関しては、フットワークが軽いらしい。
名前の由来 名探偵みたいな服で羊だから
札幌のキャラクターについては、以前から思うところはあったのですが、こんな子もいたのですね。迷わない羊探偵。家は羊ケ丘展望台周辺らしいです。周辺……?
フランドル語による銘文には次のように書かれている。「この世が不実だから、私は喪に服す」。この絵の教訓はこのような厭世的思考ではいけない、世界の困難に立ち向かうべきであり、それらに対する責任を放棄してはならないというものである。
(略)
彼は背景の羊を守っている羊飼と比べられている。その羊飼は、純真さで、義務に対する正直さで、また、彼に課せられたものに対する責任感の強さで、人間嫌いよりもずっと高潔なのである。
ピーテル・ブリューゲルの「人間嫌い」です。ブリューゲルは、他に「イカロスの墜落のある風景」をご紹介しています。
1401年フィレンツェの毛織物商組合は、フィレンツェ大聖堂のファサードに面したサン・ジョヴァンニ洗礼堂にブロンズの門扉を寄進することを決め、その制作者を決めるためのコンクールを実施しました。
(略)
コンクールの課題は旧約聖書からとった「イサクの犠牲」でした。
(略)
ブルネレスキとギベルティの二人のコンクール提出作品は、現在もフィレンツェの国立バルジェロ美術館にのこされていますが、ギベルティの作品が均斉のとれたむしろゴシック的端正さをもっているのに対して、ブルネレスキの作品は激しい動きをもったドラマチックな表現で、当時としては革新的なものでした。
上がフィリッポ・ブルネレスキ、ふたつめのがロレンツォ・ギベルティの、ブロンズの「イサクの犠牲」です。
「イサクの犠牲」については、プリンストン大学美術館のカラヴァッジオ、ウフィツィ美術館のカラヴァッジオ、バルトロメオ・マンフレーディ、後日談(?)などをご紹介しています。
いったん終了になった「ひつじのショーン」ですが,
下記のとおり英国では新シリーズの放映が9月3日から開始されたようです.
このメイルは8月30日に”Shaun the sheep Newsletter”で受け取りました.
(半年でこの1通のみです.このマイペースさもひつじなのでしょうか???)
kjさまより、ひつじのショーンの新シリーズが始まっている(らしい)とのご連
絡をいただきました。
じつは8月30日にひつじnewsにもこのニュースレターは届いていたのですが、不覚にもさらっと目を通したきりすっかり忘れておりました。ご指摘ありがとうございました。
The BBC have confirmed the following show times for the new episodes of Shaun the Sheep for the next 2 weeks:
CBBC ON BBC ONE
Every day from Monday 3rd Sept – Friday 7th September at 4.10pm
Every day from Monday 10th Sept – Friday 14th Sept at 4.10pm
と、いうことらしいです。毎日……?
気がつけばひつじのショーン DVD-BOX1まであと一ヶ月に……。20話収録なので、どうやら2も出るようです。
第三十一章
一頭の子羊大の獣が生れるというメロンについて。
(略)
その話というのはカデリと呼ばれる大王国のことで、其処にはカスピ山脈と呼ばれる山々があり、其の地に非常に巨大なメロンが生ずると云われている。
このメロンが成熟すると割れて、その中に一頭の子羊ほどの大きさの小動物が見られるという。それゆえメロンには果実と、その中の小さな肉とをもっていることになる。
植物羊に関する記録として、マンデヴィル「東方旅行記」と並んで紹介されることの多い、オドリコの「東洋旅行記」です。というか、同じ記述ですね。
植物羊関係では、この他に、ホイジンガ「中世の秋」、ヘンリー・リー「スキタイの子羊」、南方熊楠「十二支考」、澁澤龍彦「幻想博物誌」、「和漢三才図会」、ボルヘス「幻獣辞典」、タカワラビの根茎、レオ・レオーニ「平行植物」、「幻想図像集 怪物篇」などをご紹介しています。
『創世記』の第二十二章十三節でエホバはアブラハムに、アブラハムの息子イサクのかわりに生贄に供するようにと一頭の雄羊を提供している。
ユダヤの民話によると、その雄羊は天地創造の第六日目に茂みの中で捕えられて、アブラハムとイサクがやってくるのを待っていたのだということになっている。
この聖なる雄羊の骨を使ってユダヤ教の至聖所の土台が築かれ、雄羊の血管はダヴィデ王のハープの絃線となり、皮はエリアのベルトとガードルに造り変えられ、左の角は、モーゼがシナイ山で使った吹奏楽器ショーファーとなり、右角は予言者エリアが救世主の到来を告げるためにモリア山で吹くショーファーとなったという。
「イサクの犠牲」の羊については、カラヴァッジオの絵と共に創世記の該当部分をご紹介しておりますが、なんだか大変な後日談があったようです。
羊のあゆみ隙のこま。羊のあゆみ隙の駒。
移り行くなる六つの道。
因果の小車の火宅の門を出でざれば。
回(めぐ)り転(めぐ)れども生死(いきしに)の海は離るまじやあぢきなの浮世や。
※注解
人は時には早く時には遅く六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)をめざして因果の車に乗ってこの火に包まれた迷いの現世の門から出ていくのでなければ。「観世流・声の百番集 27 砧」
能「砧」から、クライマックス近くの地謡です。
ここでの「羊」は、幸田露伴の「羊のはなし」や「十二類絵巻」、羊の歩みのお話でご紹介した、古い時代のひつじイメージである、「無常」を意味しているようです。
羊飼になったオオカミ
近隣のヒツジたちに
いくらか知られてきたあるオオカミは、
はかりごとを用いて、
新しい扮装をしなければならない、と考えた。
かれは羊飼の衣装をつけ、外套を身にまとい、
棒きれを杖にして、
風笛も忘れない。
(略)
ぺてん師はかれらをそのままにしておいて、
ヒツジたちを自分の棲処へひっぱっていけるように、
衣装のほかに、ことばを用いようとした。
それが必要と考えたので。
が、それがことをぶちこわした。
かれは羊飼の声をまねることができなかった。
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話詩から、「羊飼になったオオカミ」です。羊飼いに化けてヒツジたちに近づき、その声のためにたくらみがあばかれ、着込んだ外套のために逃亡にさえ失敗するオオカミのお話。「オオカミはオオカミらしくふるまえ。」という教訓が最後につくのですが、そう言われても。
羊は紙を食べるからカミ結床屋。客も紙屑屋で、土間の籠の中にも紙屑がある。当時の髪結床の様子がよくわかる。「御一人前十六文」と書いた貼紙があるのも面白い。
動物好きで知られた浮世絵師歌川国芳の、十二支の動物に江戸っ子たちの風俗習慣を演じさせたシリーズの一枚です。……そうか、やっぱり紙か。
正倉院南倉 八世紀
甲 口径42.2? 胴径61.9? 総高49.4?
甲・乙一対からなる大形の銀製鉄鉢形の壺で、同じく銀製の台に据えられている。
(略)
本器は、全金属器を通じて正倉院で最大の作品であり、加えてその狩猟文様はまさに唐朝の流れにあることの確実な作例として注目される。
正倉院宝物の銀壺です。線刻で表された狩猟文のなかに、羊らしき動物が。
ところで。
今年の正倉院展に、なんとあの、羊木臈纈屏風が出陳されるようです。
平成19年10月27日(土)?11月12日(月)
全17日、会期中無休
奈良国立博物館 東新館・西新館
行かねば。
ミレーは友人にこう説明している。
「『毛を刈られた羊』で私が表現しようとしたのは、毛を刈られたばかりの羊が体験するある種の虚脱感と混乱、そして未だ刈られていない羊が、裸の仲間の戻ってくるのを見て示す好奇の目と驚きである。」「アサヒグラフ別冊 美術特集 西洋編9 ミレー」
「垣根に沿って草をはむ羊」に続いて、羊がメインのミレーをもうひとつ。
ジャン=フランソワ・ミレーの「垣根に沿って草をはむ羊」です。「家路につく羊飼い」や「羊飼いの少女」、荘厳な「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」などと比べて、羊たちを主役に据えているのが見どころです。千葉県立美術館蔵。
ハントの『雇われ羊飼い』は『リア王』(第3幕第6場)のエドガーの歌に着想を得た。ハントが自ら情景を説明する。
「羊の世話を忘れた羊飼いが描かれる。彼は仕事でなく、自分の楽しみのために声を出す。こうして、常に危険にさらされている信者のために働くことのない、頭の混乱した牧師たちが、人間の魂には価値のない問題を論じ合う様が表現される」。エドガー 公平な処分をいたそう。 〔うたう〕
寝てはいまいか、羊飼い。
そちの羊が麦畑荒らす。
口をすぼめて笛吹いたとて、
羊に害はあるまいに。
ニャー、猫も灰色さ。
ラファエル前派のひとり、ウィリアム・ホルマン・ハントの「雇われ羊飼い」と、元になった「リア王」の一節です。
「いやはや!」レジーは溜息をついた。
「違いますよ。そんなもんじゃない。これが年代ものの証拠だなんて。むしろ偽物の証拠ですよ。これは鼠がかじった穴なんかじゃない。最初からあいていた穴です。
この羊皮紙は羊の頭の皮で、穴は目があったところですよ。
だから文字はかじりとられたんじゃなしに、最初から書かれなかったんです。なぜか?これを書いた人間が本物の古写本の断片を手に入れて、目玉の穴を鼠がかじった穴とかんちがいしたからですよ。そこでそいつはおしまいの三字をわざと書きおとした。だからこれは偽物にきまっています」
本への愛情をテーマにしたアンソロジーに収められた、H.C.ベイリーの短篇ミステリ「羊皮紙の穴」です。稀覯本蒐集にまつわる事件のなか、写本にあいた穴が解決への糸口になるのですが、まさかこういうオチがつこうとは。