「本朝食鑑」

ひつじ話

近世中華より来たが、まだ蕃息(はんしょく)していない。その状は、頭・身相等しく、毛は短い。惟一両(ひとつがい)だけが公家で牧われ、これが数十頭になっている。それ故、人もこれを食べることは希である。
儘これを食べた者の謂うに、「肉は軟らかく味は美い。能く虚を補う」というが、予は食べていないので、その主治については詳らかでない。
牧家が戯れに紙を与えれば、羊は喜んで紙を食べる。然ども、これは常の食物ではなくて、たわむれに食べるだけなのである。

「本朝食鑑」は、江戸元禄期における食品学の集大成です。獣畜部には羊の項目もあるのですが、食べ物としての羊の話であるにもかかわらず、やっぱり紙を食べるとの記述が。江戸の羊って・・・。

記事を読む   「本朝食鑑」

羊の群れはみな亡命者

ひつじ話

 左慈は仙人だから、術をつかって羊に変身したが、人間がじっさいに羊の皮をかぶり、住みたくない土地、あるいは住めない土地から脱出するのは現代の話である。ホメイニ師のイラン革命のあと、亡命希望者はそんな恰好をして、羊群にまぎれ、草原を匍って国境をこえたという。
 (略)
 イランでこれについての小咄をきいたことがある。
 羊群を国境まで連れ出した牧人が、「もう大丈夫だぞ」と呼ばわると、亡命者はほっとして両脚で立ちあがった。ところが、いっしょに歩いてきた数百の羊が、みな一斉におなじように立ちあがったので仰天したという話である。

日産CUBECMの立って逃げる羊を見ているうちに、ふと左慈仙人のことを思い出し、左慈について書かれていたはずだと陳舜臣「西域日誌」を読んでいたら、たいへんな一節に出会ってしまいました。なんというか・・・物理的に可能なんでしょうか。

記事を読む   羊の群れはみな亡命者

「アレッサンドロ・ファルネーゼ公爵の胸像」

ひつじ話

「アレッサンドロ・ファルネーゼ公爵の胸像」 「アレッサンドロ・ファルネーゼ公爵の胸像」(部分)
アレッサンドロは、16世紀の武人の中で最も偉大な人物のひとりとされている。彼は、1571年にはレパントの海戦で従兄弟にあたるオーストリアのドン・ファンとともに勇猛果敢に戦い、1578年にはフェリペ2世よりフランドル総督に任命された。当時のフランドルは、カトリックとプロテスタントの宗教対立の渦中にあり、流血の惨事が絶えない紛争地域であった。
長期にわたる包囲ののち1585年にアントウェルペンを見事に攻略したことにより、アレッサンドロは、フェリペ2世より名誉ある金羊毛騎士団の勲章を授けられた。アレッサンドロは、この作品を含めて、この年以降の全ての公的肖像画の中でこの勲章を身に着けている。

金羊毛勲章を身につけたパルマ公アレッサンドロの胸像です。パルマ県庁所蔵。

記事を読む   「アレッサンドロ ...

森徹山「仏涅槃図」

ひつじ話

森徹山「仏涅槃図」 「仏涅槃図」(部分)
釈迦が娑羅双樹の下で涅槃に入る時、頭を北に向け、西に面し、右脇を下にして横になって寝る姿を描く仏涅槃図。まわりには、弟子たちをはじめ菩薩や動物たちがのたうちまわるほど、釈迦の死を悲しむ様子があらわされている。

芳幾の「新板毛物づくし」をご紹介したときに、江戸の庶民は釈迦涅槃図で外国産の動物を知った、というお話にも触れたのですが、具体的には上のようなものだったかと思われます。

記事を読む   森徹山「仏涅槃図」

芳幾「毛物づくし」の羊と獬豸

ひつじ話

落合芳幾「新板毛物づくし」
「新板毛物づくし」(部分)
 「新板毛物づくし」(国立歴史民俗博物館所蔵)は芳幾画となっている。芳幾―落合幾次郎(1833?1904年)は、歌川国芳門の浮世絵師でその画作は明治期にも及ぶが、本図は1850年代ないし70年代の作であろう。(略)江戸時代の末から明治初期に多くの人に好まれ普及した一枚刷りの錦絵で、江戸時代人の意識した獣類一覧といえよう。
(略)
 動物園や写真のない時代の画家と絵の利用者(読者)にとって、直接見ることがない動物と架空の想像上の動物との区別はなかった。江戸時代には、外国からしばしば珍獣の渡来があり、見せ物として人気をよんでその絵が刷り物になることも多く、架空動物と区別された実在動物が増加していった。幕末、明治初年と推定されるこの時期には、外国産動物についてかなり写実的な図も生まれていたが、ひろく大衆に普及したこの種の図では、そうした知識は浸透しなかったことを思わせる。民衆の目に入る外国産動物像としては、多くの寺院に所蔵され涅槃会に公開される釈迦涅槃図の動物図であったろう。

幕末・明治の絵師落合芳幾の「新板毛物づくし」です。羊と、先日お話した獬豸(カイチ)が、ほぼ一対というか、同列に扱われています。似たようなものだと思われていたんでしょうか。

記事を読む   芳幾「毛物づくし ...

羊の歩み

ひつじ話

 羊に関する記述は、漢詩文や仏典を踏まえたものが多く、その典型的な例が経典に見える「屠所の羊」に基づいた、無常を表す「羊の歩み」である。
『源氏物語』浮舟巻には、薫と匂宮との二人への愛情の板挟みになり、切羽詰って入水を決意した浮舟の心中を述べた、「明けたてば川の方を見遣りつつ、羊の歩みよりも程なき心地す」がある。
類例は多く、『狭衣物語』巻二の狭衣の子を懐妊した女二の宮の胸中の心細さ、『栄花物語』初花巻の彰子の出産を間近に控えた土御門殿のあわただしく日々を過ごすさまなども「羊の歩み」とされている。
(略)
 古代以来、羊は高温多湿で狭隘な日本に定着しなかったが、仏典や漢籍を通じてもたらされた羊に関する情報は、諺などとして伝承されてきている。(略)これは「羊の屠所に赴くが如し」などが知識としてあってのことである。

おとつい「十二類絵巻」をご紹介したときに触れた「羊の歩み」について、少しだけ。
平安期の日本では、羊といえば無常、だったのですね。

記事を読む   羊の歩み

ヒツジゴケ

ひつじ話

ケヒツジゴケ

以前、羊の名が入った花として、ギシギシとヒツジグサをご紹介したことがありますが、今回は、羊の名の入ったコケ「ヒツジゴケ」です。
コケ写真サイト「コケの写真鑑」様から、アオギヌゴケ科のケヒツジゴケを引用させていただきました。

記事を読む   ヒツジゴケ

「十二類絵巻」

ひつじ話

「十二類絵巻」(部分)
「十二類絵巻」(羊)
四番  左  羊
めくりきて、月みる秋に、又なりぬ、これや未の、あゆみなるらむ
     右  牛
むら雲の、空さたまらぬ、月をみて、夜半の時雨を、丑とこそ思へ
 判云
 左の哥、月みる秋をむかへては、まつこれを、もてなすへきに、ひつしのあゆみ、よにいとわしく、きこゆる心ちしておほゆ、右の哥、月をみて、夜半の時雨をかなしむ心、まことにやさし、我もぬれて、ひとりなきてこそ侍しか、右を勝とや申へからむ

「十二類絵巻」は、室町時代に成立した御伽草子のひとつです。十二支の動物たちの歌合にまぜてもらおうとして追い出された狸が、彼らに復讐戦をしかける、というお話で、上はその歌合の場面なのですが、・・・負けてますね、羊。「ひつじのあゆみ」は屠所に引かれる羊の様子を表す言葉ですから、月を愛でるにふさわしくなかったのでしょうけれど、いやでも、そういわれても。

記事を読む   「十二類絵巻」

裁判獣「獬豸(カイチ)」

ひつじ話

南京・明孝陵の獬豸
古代中国の書物には、神でもなければ、妖怪でもない「非日常的な生き物」が多く記述されている。
(略)
角を一つしか持たない獣は麒麟のほかにも多くいる。古代の一角獣幻想においては、獬豸(かいち)も重要な存在の一つだった。
(略)
獬豸の外見についてはおおよそ三通りの説明がある。(略)三つ目は「神羊」説である。『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』続集巻八「支動(しどう)」には「開元二十一年(七三三年)、富平(ふへい)県に角が一本ある神羊が生まれた。肉の角が頂にあり、白い毛が上にさかだっていた。論者は、獬豸であるといった」(今村与志雄訳)とある。しかし、「神羊」にしては、あまり崇敬されていなかったようだ。
(略)
この幻想動物は(略)性格が実直で、正義心が強い。とくに注目すべきは、善悪を見分けることができることだ。世の中に争いごとが起きるときにあらわれ、まちがっている方を角で突く。それで「任法獣」の異名を持っている。「任法」とは法をおもんじ、法に拠って政を行うというほどの意味である。つまり、「任法獣」とは裁判官ならぬ「裁判獣」である。『後漢書』巻四十「輿服志」によると、法を執行する者は裁判官専用の帽子「獬豸冠」を被る、という。

以前ご紹介した羊を使った神判について、もう少し。本来は、羊というより、羊似の聖獣だったようですね。羊似とも限らないようですし。上の引用では略しましたが、牛や熊、鹿という説もあるようです。写真は南京・明孝陵の参道にいる石像ですが、そのどれにも似てないような・・・。
なお、羊似で一角獣というと、トウトウというのもご紹介してますので、ついでに。

記事を読む   裁判獣「獬 ...

「伊豆海島風土記」

ひつじ話

大島
 一、享保の頃
 (略)
 又羊の多き事其数難斗、五疋七疋或は貳三拾疋つゝ打むれて、人家近くも出、作物を盗み喰ひ、山奥には一群に百も貳百も打集りて遊ぶ、然るに此羊も昔上より二疋とり渡させられしが、子を生し、年を追て数弥増、又享保の頃御用ひの事有迚三疋生捕にして奉りける事も有りける故、羊を殺たる者は重き罪を蒙事と言習せて、追散らす事もせさる故、猶増長し、徘徊すると云ふ、

江戸期、天明初年頃の、伊豆諸島の調査記録です。大島に持ち込まれた羊が野良化のあげく大繁殖したことがあった、という内容の記事なのですが、イノシシサルはともかく、羊の獣害が日本にあったとは。

記事を読む   「伊豆海島風土記」

「十二支の動物たち―和田誠 日高敏隆の動物断想」

ひつじ話

 そもそもウサギはあまり人に馴れない。せいぜい人をこわがらなくなる程度で、ネコのようにまつわりついたり甘えたりする面白さはないようである。なぜだろうか?
 ウサギは草食動物である。親は出産期が近づくと草で巣を作って子どもを産む。子どもの発育はかなり早く、まもなく子どもは離乳する。そうなると、子どもはもう一人で食べていける。草はそこらじゅうにあるし、特別の努力をしなくても手に入る。(略) ウサギの子には甘えの構造がないのである。
 (略)
 子羊はかわいいが大人の羊は退屈だ、というのは大方の人々の印象であろう。それも致しかたのないことだ。つまり、ヒツジもウサギと同じく草食獣で親が子に餌を与えて育てるということがない。ふつう、家畜化された動物は大人になっても幼児的な性質を保つ(人間はその最たるものである)。けれど、幼時のときから親への依存度が低いヒツジのような動物では、多くの人が期待する幼時っぽさが、あまりそなわっていないからである。

和田誠のイラストと日高敏隆のエッセイの組み合わせが絶妙な、動物雑学本です。

記事を読む   「十二支の動物た ...

酒見賢一「陋巷に在り」の墳羊

ひつじ話

 ある事をきっかけに李桓子は孔子を訪問している。「史記」孔子世家のこの部分も、孔子の真意を図りかねる記述であるとして物議を醸すことになる。
 ある日、李桓子が井戸を掘っていると土製の瓶が出てきた。その瓶の中には羊のような動物が入っていた。李桓子はその奇怪な動物の死骸を羊ではなく狗だと思った。
 (略)
「という次第で妙な狗を得たのだが。仲尼殿にはどう思われましょうか」
 こういう妖しい話を孔子に持ち込むということ自体、李桓子が孔子をどういう目で見ていたか分かろうというものだ。
 (略)
「丘の聞く所によりますと、それは狗ではなく羊でありましょう。こう伝え聞いております。『木石(山)の妖怪は(き)(一本足の怪物)と魍魎であり、水の妖怪は龍と罔象(もうしょう)(人食いの怪物)であり、土の妖怪は墳羊(頭が大きく雌雄の分化がされてない畸形の怪物)である』と。だからそれは狗ではなく羊のはずです」
 孔子に似合わない奇怪な返答である。
 (略)
孔子は「霊的な力を振るう」などという事をしりぞけようとした人である。孔子学団にそのようなものを期待されるのは御門違いというべきだった。しかし、この場合は李桓子の歓心を買うために敢えてそれらしい答えをしてみせる必要があったのであろう。

酒見賢一の伝奇小説「陋巷に在り」の中で、以前ご紹介した墳羊のエピソードが使われています。

記事を読む   酒見賢一「陋巷に在り」の墳羊

羊が詠み込まれた短歌など

ひつじ話

まきの夫が犬を指揮して千万の羊逐ひくる野のうす曇

 伊藤左千夫・伊藤左千夫全短歌 

病院の羊が庭に逃げ入りてとらはれし日の落葉のみだれ

はる日さす病院のにはに、緬羊のくろきがふたつ くさの芽食むも。

羊煮て兵を労う霜夜かな

動物限定の歳時記「短歌俳句 動物表現辞典」の、「羊」の項に挙げられている短歌や俳句です。

記事を読む   羊が詠み込まれた短歌など

フランス民話 「目をつぶされたタタール人」

ひつじ話

 昔、ひとりのタタール人がいたが、人間の顔をもつ巨人で、おそろしい力をもち、額のまんなかに目玉がひとつしかなかった。
 (略)
 やがて巨人がもどった。戸を閉めるなり、「ここにはキリスト教徒の肉があるぞ」と叫んだ。
 (略)
 ぐずぐずしてはいられないと思った若者は、敵の力をくじくのは今が絶好のチャンスだと判断した。炉端の焼き串を手にとると、真っ赤に焼いて巨人の目玉に突き通した。
 (略)
 巨人は手探りで追いかけたが、若者は羊の群れのなかにもぐりこんだ。むだな追跡に疲れた巨人は計略を思いついた。羊を一頭つかまえては外へ出すことにして、入り口に立って一頭ずつていねいにさわってから自分の両足のあいだをくぐらせて通すというやりかただった。身の危険を察した若者は、羊の皮をかぶって四つばいになり、群れのまんなかにもぐった。
 ●注釈
 1875年頃ピレネ=アトランティック県のエスキュールでティルーという名の76歳の羊飼いにより語られた。
 ホメロスの『オデュッセイア』の中の一つ目巨人ポリュペーモスの話で、『ドロパトス』や『千一夜物語』にも記されている。グリムの「強盗とその息子たち」がこのテーマで書かれており、口承ではスカンジナビア諸国からベルベル人の国まで広く分布し、しばしばもっと長く、こみいった話として語られる。

 フランスの民話集から。ほぼ「オデュッセイアー」なんですが、タタール人って・・・。

記事を読む   フランス民話 「 ...

江戸風俗語のひつじ

ひつじ話

ひつじ
髪結のこと。髪で喰べているところから紙を食う未と洒落て云ったので、其頃の通り言葉。
大津絵節の十二支芝居づくしにも「羊はお駒さんの色男」とあり、城木屋の娘お駒の情人才三が、浪人して髪結となっているところから唄ったもの。

歌舞伎狂言の脚本をもとにした江戸語事典から、「ひつじ」を引いてみました。例として挙げられているのは、「恋娘昔八丈」ですね。先日、「誹風柳多留」をご紹介しましたが、羊といえば紙、というのは、どうもよほど強力なイメージのようです。

記事を読む   江戸風俗語のひつじ

PAGE TOP