澁澤龍彦「幻想博物誌」のスキタイの羊

ひつじ話

「このテーマについては」とボルヘスはさらに言う、「抜き取ると人間のような叫び声を発するマンドラゴラや、傷つけられた幹から血と言葉とを同時に出す、ダンテの『地獄篇』第七圏における悲惨な≪自殺者たちの森≫をも思い出しておこう」と。
ボルヘスは書いていないが、私はさらに、この系列に属する植物の怪異として、中世のペルシア詩人の作品によってヨーロッパに伝えられた、支那海の果てにあるというワクワク島の伝説をも付け加えなければならないと思う。
ワクワク島では、イチジクに似た植物の果実から、羊ではなくて、人間の若い娘が生じるのである。果実が熟すると、娘は完全な肉体を揃えて、髪の毛で枝からぶら下がり、やがて熟し切ると、「ワクワク」という悲しげな叫び声をあげながら、枝から落ちて死んでしまう。

バロメッツ、植物羊、またはスキタイの羊と呼ばれる幻想動物については、マンデヴィル「東方旅行記」ボルヘス「幻獣辞典」和漢三才図会などにからんで何度かお話してますが、こちらは澁澤龍彦のエッセイです。マンデヴィルやボルヘスのほか、オデリコの『東方紀行』、ヴァンサンの『自然の鏡』、南方熊楠の『十二支考』等々を渉猟し、最後にボルヘスによる「植物界と動物界とが結びついている」という一文について、考察がなされています。

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捜神記 「幽霊を売った男」

ひつじ話

南陽(河南省)の宋定伯が若いころ、夜道を歩いていると幽霊に出会った。
「お前は誰だ」
と尋ねると、
「俺は幽霊さ」
と答える。幽霊も、
「ところでお前は誰だ?」
と尋ねるので、定伯はひとつかついでやろうと、
「俺も幽霊だよ」
と嘘をついた。
(略)
定伯が、
「俺は新米なんで、幽霊がなにを嫌いか知らないんだが?」
と尋ねると、幽霊は、
「人間の唾だけが嫌いなのだ」
と答えた。
(略)
やがてもうすぐ宛の町に着くというとき、定伯は幽霊を肩にかつぎあげて、きゅっとおさえつけた。幽霊は大声をあげてきいきいと騒ぎ、おろしてくれと頼んだが、耳をかさない。さっさと宛の町にはいって、地面におろすと、幽霊は一匹の羊に化けた。そこでそれを売り飛ばしてしまったが、あとでまた化けると困るので、唾をつけておき、千五百貫の金をもうけて立ち去った。

「消えた羊」「墳羊」をご紹介した「捜神記」から、さらにもう一話を。「消えた羊」に勝るシュールさです。

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カラヴァッジオ、バーゼルの「洗礼者ヨハネ」

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カラヴァッジオ「洗礼者ヨハネ」
  カラヴァッジオ「洗礼者ヨハネ」(部分)

カラヴァッジオの洗礼者ヨハネの続きです。前回はカピトリーニ美術館のものでしたが、こちらはバーゼル美術館です。
なお、カラヴァッジオについては、この他に「イサクの犠牲」をふたつご紹介しています。ラ・トゥールのヨハネをご紹介したときに、比較のために出したものも。

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孟子 「以羊易牛 (羊をもって牛にかえる)」

ひつじ話

王堂上に坐(いま)せるとき、牛を牽きて堂下を過ぐる者有り。王之を見て曰く、牛何くにか之(ゆ)く。対(こた)えて曰く、将に以て鐘に釁(ちぬ)らんとす。王曰く、之を舎(お)け。吾その觳觫若(こくそくじょ)として罪無くして死地に就くに忍びざるなり。対えて曰く、然らば則ち鐘に釁ることを廃(や)めんか。曰く、何ぞ廃むべけんや。羊を以て之に易(か)えよと
※ 釁(きん)、 鐘鼎・軍器・廟社など重要な物ができたとき、犠牲の動物を殺してその血を塗って、災、穢をのぞき不祥を祓い、神聖にする儀式。
※ 觳觫若は觳觫然と同じ。おどおどと恐れる形容。
王様がいつぞや御殿におられたとき、牛をひいて御殿の下を通るものがあった。王様はそれをご覧になって『その牛はどこへつれていくのじゃ』とおたずねになると、その男から『こんど新しく鐘をつくったので、この牛を殺してその血を鐘に塗り、お祭をするのです』ときかれて、『止めてくれ。道理で牛は物こそ言わぬが、罪もないのに刑場へ曳かれてゆくかのようにオドオドと恐れている。可愛想だ、助けてやれ』とおっしゃったでしょう。『それでは、鐘に血を塗るお祭はやめにしましょうか』とその男が申しあげると、『なんで〔大切な〕祭がやめられようぞ。牛の代りに羊にしたらよかろう』とおっしゃられたとか。

孟子」の「梁恵王章句上」にある、斉の宣王と孟子の会話から、小さなもので大きなものの代用とすることを意味する故事成語、「以羊易牛」の元になったエピソードを。羊の立場が無さすぎですが、これは、惻隠の心には段階があって、目の前の牛はその第一歩だ、というお話なので、しかたないようです。でも悲しい・・・。

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ミレー 「羊飼いの少女と羊の群れ」

ひつじ話

ミレー 「羊飼いの少女と羊の群れ」

少女の羊飼いを描いたジャン=フランソワ・ミレーの絵は、「羊飼いの少女」エッチングのものをご紹介していますが、こちらは水彩です。季節のせいか、少女の手仕事も、編みものではなく糸紡ぎの模様。

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「ひつじ探偵団」

ひつじ話

「ひつじ探偵団」表紙
「モップル」 彼女は小声で言ったが、リーダーの牡羊みたいに決然としていた。 「ゼラニウムを食べなさい。とにかく食べて、ゼラニウムに穴をこしらえてちょうだい。早く」 モップルはグレンキル一、早食いだった。
(略)
「食えよ」 オテロは歯を食いしばって、うなった。
まもなく、今までゼラニウムが植わっていた場所は砂漠状態となった。その砂漠の向こうに、テーブルを前にすわっているベスとレベッカが見えた。内側からは、三個の羊の頭がプランターに植わっているように見えたに違いない。幸いにも、二人の女のどちらも、窓の外を見ようとはしなかった。

本文より

ひつじファン必読! むくむく可愛いひつじ小説
つぶらな瞳、ふわふわの毛、そして天才的な推理力。見るものを虜にするカリスマひつじのメイプルが、仲間のひつじとともに難事件に挑む。ドイツでベストセラーとなったとってもキュートな物語。

最新刊情報より

早川書房から出たばかりの、レオニー・スヴァンの小説です。上は、窓辺のプランターを荒らしながら事件捜査(盗み聞き)をする主人公たち。
それにしても、「ひつじファン」! 「ひつじ小説」! それは一定の経済効果をもたらしうるものなのか、気になってしかたがありません。
ちなみに、英訳版のタイトルは、「Three Bags Full」。マザーグースの「バァ、バァ、ブラックシープ」からとられたものと思われます。主人公のミス・メイプルは、クリスティのミス・マープルがモデル(?)らしいので、タイトルも洒落たのですね。でも、日本語版の「ひつじ探偵団」のほうが、じつは小説の内容に近いような気がします。
なお、単行本の帯についた応募券を送るとひつじ柄トートバッグが10名様にあたるキャンペーンが、2007年2月28日まで行われているようです。
こちらの情報は、カーター卿さんからいただきました。ありがとうございますー!

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捜神記 「墳羊」

ひつじ話

李桓子が井戸を掘っていると、土缶(がめ)のような物が出て来た。なかには羊がはいっている。そこで人をやって仲尼に尋ねさせた。
「わしは井戸を掘って犬を手に入れたが、いったいどうしたわけだろう」
すると仲尼は、
「私の知識から判断すれば、それは羊です。木石の精怪はとか魍魎(※実際の表記は虫偏。引用者注)などと申し、水中の精怪は竜とか罔象などと申し、土中の精怪は墳羊と申すのだと聞いております」
と答えた。
※注   李桓子  春秋時代の魯の大夫
     仲尼   孔子の字

「消えた羊」に続いて、「捜神記」からもうひとつ。これだけだと何の話だかわかりませんが、史記の孔子世家によると、李桓子によるいやがらせを孔子が撃退したときのエピソードのようです。以前ご紹介した和漢三才図会でもとりあげられています。

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ビュフォンの博物画

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ビュフォン「博物誌」より

18世紀の大博物学者ビュフォンの、「一般と個別の博物誌」から、羊の博物画を。ツノがー。

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エジプト美術の羊

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コンスラーネプのパピルス、『冥界にあるものの書』、アメンの雄羊
リーダーの雄羊にひきいられて歩く羊たちは、ナイル川の氾濫が残していった泥にまかれた穀物の種をしっかりと踏みかためた。おそらく農業におけるこの役割と、そして生殖力が旺盛だというもっと明白な理由から、雄羊は各地で豊穣の象徴とされ、いろいろな雄羊の神が非常に古くから信仰されていた。中でも重視されていたのが、ヘラクレオポリスのヘリシェフ、メンデスの雄羊神、そしてなんといってもエスナをはじめとする各地で信仰されていた偉大な雄羊のクヌムである。これらの神々にささげられた雄羊はそれぞれの信仰の中心地でミイラにされたが、そういったミイラを描いた絵画は早くも第一王朝のころに現れている。雄羊が太陽と結びつけられたのはわりと早く、新王国時代には最高神アメンも雄羊の姿をとっていた。
エジプト美術に登場する雄羊には二種類あり、種類によってどの神を象徴しているかがわかるようになっていた。最初にエジプトで飼育されたのはオヴィス・ロンギペスという、がんじょうな体格と波形で水平にのびた長い角をもつ種である。クヌムなどの比較的初期の雄羊神や、太陽に関連した姿を描いたものに、この種の羊が使われている。図1はコンスラーネプの葬祭パピルスに、聖なる雄羊として描かれたオヴィス・ロンギペスである。 (略) 『冥界にあるものの書』では、古い大地の神タテネンを、冠をつけた四頭の聖なる雄羊の姿で描いている(図2)が、この雄羊はヒエログリフと同じ形である。
(略)
しかし、このロンギペス種は、後には曲がった角をもつオヴィス・プラティラにとってかわられた。アメン神を描いた絵画などに登場するのはこちらの種である。図3は、カイロ・エジプト博物館にある彩色石灰岩の断片で、下向きの角とほっそりした体格―ロンギペス種よりかなりやせている―をもったプラティラ種の雄羊が描かれ、その上にはいくつかのヒエログリフが書きこまれている。このアメンの雄羊のうつぶせになった姿勢も構図としては独特で、ルクソールのカルナク神殿複合体の、雄羊頭をしたクリオスフィンクスがならぶ参道には、このポーズのアメン神が描かれている。

古代エジプト美術理解のための手引き書から、「雄羊」をひいてみました。
エジプトのひつじイメージについては、ゾロアスター教シュメル文明のお話をしたときに、ちょっとずつ触れてます。アメン神のお話は単独でしてますね。あと、アンモナイトのお話も。

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捜神記の「消えた羊」

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漢のころ、斉国に梁文という男がいて、道術を好み、家に祠を建てた。祠には三、四間の部屋をつくり、神座には黒い帳を張りめぐらして、いつもその前に坐っていた。
こうして十年あまりたつうち、文が祭りをしていると、帳のなかからとつぜん人声が聞こえた。自分で高山君と名のり、供物をさかんに食べるが、病気平癒を祈願すれば必ず効果がある。文はしごくまじめに奉仕していた。
それからまた数年たったある日、文は帳のなかにはいり込む機会を得た。神は酒に酔っていたところで、文が尊顔を拝したいと言うと、
「手を出してみろ」
と言う。そこで、文が帳の中に手をさし入れると、その手が神のあごに触れた。おそろしく長いあご鬚が生えている。文はその鬚を少しずつ手にからませてから、さっと手を引っこめた。すると羊の鳴き声が聞こえたので、いあわせた人びともびっくりして立ち上がり、文に力を貸して、神を帳の外へ引き出した。そして見れば、袁公路の家の羊だったのである。七、八年前に逃げたきり、行方が知れなくなっていたもので、それを殺したら、怪異も消滅してしまった。

・・・どこからどうツッコんだらいいんでしょう、これは。
「捜神記」は、中国六朝時代の志怪小説です。以前ご紹介した、「列仙伝」の葛由や「神仙伝」の左慈のエピソードもありますが、今回はこちらを。

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シャルル=エミール・ジャック 「羊飼いの少女」

ひつじ話

ジャック「羊飼いの少女」

「羊飼いと羊の群」、「羊飼い」、「夕暮れの羊飼いと羊」や、「森の中の羊の群れ」をご紹介している、シャルル=エミール・ジャックの「羊飼いの少女」です。ジャックはもとは版画家で、そのためか明暗の表現に特徴があります。こちらはその典型になるでしょうか。

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西條八十 「トミノの地獄」

ひつじ話

「トミノの地獄」
姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、可愛いトミノは寶玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が氣にかかる。
叩け叩きやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内(あない)をたのむ、金の羊に、鶯に。
革の嚢(ふくろ)にやいくらほど入れよ、無間地獄の旅仕度。
春が來て候(そろ)林に谿(たに)に、くらい地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ鶯、林の雨に妹戀しと聲かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて來てたもれ、針の御山の留針を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。

先日、「羊」をご紹介した西條八十を、もうひとつ。詩集「砂金」におさめられた「トミノの地獄」です。声に出してフシつけて読むと、気持ち良いですよ?(←すこしいわくのある詩らしいので音読はやめておいた方が無難かも。kura さんご指摘ありがとうございました)

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石仏のひつじたち

ひつじ話

喜多院五百羅漢
羅漢場は人間が人間を見つめるところである。冷たい石であるが撫でるとホカホカと温かく、どれもなかなかの「ひょうきんもの」である。
亥と遊ぶ羅漢はどうしてもみつからなかったが、他の十二支は揃っていた。全国に羅漢場は数多くあるが、十二支の揃っているのは川越をおいて他にないようである。
東京都港区願生寺

 「石佛十二支・神獣・神使」 

狛犬、狐、猫、猿、象まで、あらゆる石仏の動物たちが集められたこちらの本、少数ながらひつじもひそんでました。上は川越喜多院の五百羅漢、下は東京都港区の願生寺です。森山隆平著。

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ミレーと羊飼いテーマ

ひつじ話

バルビゾンは、彼の故郷の人々よりも、もっと力強い、特徴的人物―羊飼い―をミレーにもたらした。
羊飼いは、田畑の耕作や他の働きをする農家の人々とは異なり、得体のしれない、神秘的な存在である。彼は一人で暮らし、番犬と羊以外に友もいない。サン=マルタンの復活祭の時には、車輪のついたあばら屋に入り、羊たちの番をして星空の下で眠り込む。冬には、少しでも多くの牧草を見つけるため、じめじめした湿地にも入って行く。春になると、子羊を産もうとしている牝羊を助け、産まれた子羊の面倒をみる。彼は羊の群れの案内人であり、友人であり、そして医者でもある。その上、さらに注意深い自然の観察者である。彼は星の運行を調べ、天空を探り、時刻を当てる。大気の全生命と日常的に慣れ親しんでいる。
この隠者にも似た羊飼いが、ミレーの興味をひいた。

「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」「羊飼いの少女」などをご紹介した、ジャン=フランソワ・ミレーの伝記から、ミレーと「羊飼い」テーマとの関わりについて。「カルパチアの城」といい、「星」といい、19世紀フランスの羊飼いイメージは、なんだか奥が深そうです。

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ゴネストロップの大釜

ひつじ話

ゴネストロップの大釜、ケルヌンノス神 羊頭の蛇アップ
ゴネストロップ(デンマーク)で発見された大釜 ― 分解され、奉納物として沼地に埋められていた。おそらくはケルト世界の東端に位置するバルカン半島産のもので、その地の神話が集約的に表現されている。直径69センチ、部分的に黄金を使っている以外は銀製で、BC1世紀のもの。外板は、程度の差こそあれ恐ろしげな神の顔を描いた7枚のパネルからなる。内板は楽師を含む賑やかな行列や犠牲の儀式を含む、祭祀の場面を描いている。上は、その1枚で、ケルヌンノス神を描いたもの。あぐらをかいた神が左手に羊頭の蛇(大地の豊穣と、攻撃力の象徴)、右手に自分がしているのと同じ、螺旋状のトルクをもっている。

わかりにくいですが、しっかり巻き角がついてます。トルクの螺旋と対?

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