大垣祭のやま行事。

ひつじ話

先々月の近江八幡左義長まつりにつづいて、岐阜県に行ってまいりました。
目的は、国の重要無形民俗文化財に指定されたばかりの「大垣祭のやま行事」。5月9、10日に岐阜県大垣市にて行われた山車行事です。

360年余の伝統を誇る大垣まつり
大垣まつりのやまの起源は、慶安元年(1648)に大垣城下町の総氏神であった八幡神社が、大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを御輿3社の寄付で表し、大垣10か町が10両のやま(出しもの)を造って曳回したのが始まりといわれています。

全十三両の「やま」のうち、「相生(あいおい)やま」と「榊(さかき)やま」に十二支の動物たちが彫刻されていると聞きまして、これは見に行かねばと。
ともあれ、まずは大垣八幡神社にお参りです。
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干支絵馬もかわいいものがありました。絵馬も少しだけ集まってまいりましたので、こちらでぜひ。
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JR大垣駅に着いたのは9日土曜のお昼どきだったのですが、やまは市街地一帯を自由巡行中との由。夕方に八幡神社に集結するまでは、目当てのやまは自力で発見せねばなりません。
案内所のテントまで行けば(あるいはスマホを持っていれば)リアルタイムで居場所確認ができるようになっているのですが、これが思いのほか難易度の高いミッションで、相生やまと榊やまに運命の出会いを果たしたのはじつに三時間後でした。
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上が相生やまのヒツジで、下のが榊やまのヒツジです。やっと会えたー!会いたかったよー!
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相生やまは近年になって復元されたものとのこと。ヒツジが丸々してヒツジらしいのはそのためでしょうか。
大垣まつりは、大垣の街中が沸き返るたいへん盛大なお祭でした。ご縁があれば、来年、ぜひぜひ。

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愛知県陶磁美術館 「耀きの静と動 ボヘミアン・グラス」展

ひつじ話

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16世紀から17世紀にかけてハプスブルグ家の庇護の下、プラハは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」の帝都としてヨーロッパ随一の文化都市に発展しました。
そうした中で、続く18世紀、無色透明のガラスに複雑なカットと精緻な彫り文様を施す加工技術で、ボヘミアン・グラスは最高級ガラス工芸品としての名声を確立します。
会期 2015年4月11日(土)─5月24日(日)
会場 愛知県陶磁美術館 本館1階
開館時間 午前9時30分─午後4時30分 (入館は閉館の30分前まで)
休館日 毎週月曜日
愛知県陶磁美術館公式HP 内 プラハ国立美術工芸博物館所蔵 耀きの静と動 ボヘミアン・グラス

愛知県陶磁美術館で開催中の「ボヘミアン・グラス」展に行ってまいりましたら、ヒツジが数頭ひそんでましたので、ご注進を。
羊のいる田園風景を彫り込んだゴブレット、金羊毛勲章を紋章とするハラフ伯爵家のゴブレット、黄道十二宮を描いた12個のビーカー一揃いなど。
こちらの展覧会は、このあと、神戸市立博物館に巡回の模様。お近くならば、ぜひ。

会期 平成27年6月6日(土)─8月30日(日)
開館時間 10時から17時まで(入館は16時30分まで)※土曜日は19時まで開館(入館は18時30分まで)
休館日 月曜日(ただし、7月20日(月・祝)は開館)、7月21日(火)
神戸市立博物館公式HP 内 プラハ国立美術工芸博物館所蔵 耀きの静と動 ボヘミアン・グラス

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寺田寅彦 「先生への通信」

ひつじ話

ローマへ来て累々たる廃墟の間を彷徨しています。
きょうは市街を離れてアルバノの湖からロッカディパパのほうへ古い火山の跡を見に参りました。
至るところの山腹にはオリーブの実が熟して、その下には羊の群れが遊んでいます。
山路で、大原女のように頭の上へ枯れ枝と蝙蝠傘を一度に束ねたのを載っけて、靴下をあみながら歩いて来る女に会いました。

 「寺田寅彦随筆集 第1巻」 

寺田寅彦の旅行記『先生への通信』より、「ローマから」の一章を。
「靴下をあみながら歩いて来る女」というのが、ちょっとミレーの描く少女羊飼いみたいで、想像をかきたてられます。
夏目漱石の高弟としても知られた人物なので、あるいは「先生」というのは漱石のことでしょうか。
漱石は「三四郎」を、
他の同時代の人々として、幸田露伴「羊のはなし」南方熊楠の「十二支考」和辻哲郎「イタリア古寺巡礼」をご紹介しています。

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日本最古のフェルトは羊毛製であることが判明。

ひつじ話

正倉院の毛氈素材は羊毛 科学的根拠で証明
宮内庁正倉院事務所(奈良市)は、正倉院所蔵の敷物「毛氈(もうせん)」(フェルト)の素材が、従来考えられていたカシミヤに似た山羊(やぎ)の毛ではなく、羊毛であることが分かったと発表した。
毛氈は、動物の毛に熱や圧力を加えて繊維をからませ、フェルト化したもの。
紀元前から、中央アジアの遊牧民が敷物や壁掛けなどとして使用していた。
正倉院に伝わる毛氈も中国などからの輸入品と考えられ、聖武天皇が愛用した華やかな文様の「花氈(かせん)」や「色氈(しきせん)」などが残っている。
今回、新たにマイクロスコープや電子顕微鏡を使い、剥落した毛を縦に切った断面図も調査。
結果、これまで「カシミヤに似た古品種の山羊毛」とみていた素材は、中央アジアや中国の羊の毛に類似していることが分かった。
実際に試作してみると、カシミヤは耐久性に乏しく、フェルト化しにくいことも確認された。

日本史に出てくる羊毛製品については、ずっと江戸期の羅紗の話ばかりをしていたのですが、このたびak様に教えていただいたこのニュースで、一気に時代をさかのぼってしまいました。ありがとうございます。
羊を描いた正倉院宝物はいろいろご紹介したことがあるのですが、素材が羊毛のものについてお話するのは初めてです。羊の姿だけが入ってきていて羊毛製品が無いというのは、どうにも落ち着かなかったので、こちらのニュースを見てなんだかほっとしました。
調査結果は、「正倉院ホームページ」にて全文閲覧可能です。ぜひ。

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ヘンリー・ジャトサム 「橋を渡る羊のいる森の風景」

ひつじ話

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ジャトサムは、ヴィクトリア朝の風景画家の原型のような人物であり、いかなる流派や運動にも参加せず、着実にかなりの仕事をし、立派な油彩画や水彩画を毎年展覧会に出品していた。

「バーミンガム市立美術館所蔵 イギリスの水彩1750─1900展」カタログ

19世紀イギリス、ヘンリー・ジャトサムの「橋を渡る羊のいる森の風景」です。

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伝雪舟 「国々人物図巻」より

ひつじ話

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雪舟が中国滞在中に目にした人々や畜獣を描いたものといわれ、王・百姓・僧・道士など、さまざまな身分の中国人や外国人、動物などが表されている。

 「没後五百年 特別展 雪舟」カタログ 

雪舟、「国々人物図巻」の部分を。雪舟が明に渡ったときに描いたものの模写本とされています。京都国立博物館蔵。
雪舟は、同じく京都国立博物館にある「倣梁楷黄初平図」をご紹介しています。

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シモン・ヴーエ 「聖エリザベツ、幼児の姿の洗礼者聖ヨハネ、聖カタリナを伴う聖母子」

ひつじ話

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17世紀フランス、シモン・ヴーエの「聖エリザベツ、幼児の姿の洗礼者聖ヨハネ、聖カタリナを伴う聖母子」です。左下に、聖ヨハネの子羊が。
洗礼者聖ヨハネのお話はよくしておりますので、こちらで。

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京都国立博物館「東の庭」の石羊。

ひつじ話

さて、せっかく京都に来たのですから、もうひとつくらい羊スポットをまわっていきましょう。
京阪七条駅から東へ徒歩十分足らず、京都国立博物館の庭園です。

墳墓表飾石造遺物
朝鮮半島では、高貴な人びとの墳墓のまわりを石彫像で装飾することが、古代より伝統的に行われてきました。
現在当館で展示しているものは、朝鮮時代(1392−1910)につくられたものです。

南門から入ってすぐ右に曲がり、少し歩いた先に、一対の石羊が置かれているのです。
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桜の花びらを背に受けて、ひっそりたたずむ羊たち。
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南側の羊と、
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北側の羊。
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ついでにアップも。
石羊は、これまでに、同じく京都の野仏庵のものと、東京国立博物館前庭のもの根津美術館のものをご紹介しています。ご縁があれば、ぜひ。

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本法寺 長谷川等伯の大涅槃図

ひつじ話

桜が散り始めたので、そろそろ人も少なかろうと、京都へ行ってまいりました。
目的は、本法寺の春季特別寺宝展。その目玉展示である、長谷川等伯の巨大涅槃図です。

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長谷川等伯 大涅槃図開帳
平成二十七年三月十四日(土)─四月十五日(水)
午前十時─午後四時
日蓮宗本山 京都本法寺・涅槃会館
本法寺の佛涅槃図(重要文化財)は京都三大涅槃図のひとつに数えられ、その大きさは縦約十メートル横約六メートルにおよびます。
作者は安土桃山時代から江戸初期を代表する絵師長谷川等伯(1539─1610)で、自身の家族や心を寄せた日蓮宗僧侶らの供養を目的に、六十一歳のときにこの絵を描き本法寺に奉献しました。
(略)
当山では通常、佛涅槃図の複製を展示していますが、春季特別寺宝展の一ヶ月間限定で等伯の正筆をご覧いただけます。

茶道資料館「光悦・等伯ゆかりの寺 本法寺の名宝」展図録

この「佛涅槃図」の右下に、お釈迦さまを失って悲しむ羊の姿が描きこまれているのです。
さらに、寺宝展のチラシにこっそり混じってさえいます。気にならずにおられましょうか。

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 同上チラシ 

というわけで、本法寺です。京都駅から地下鉄烏丸線に乗り換えて、鞍馬口駅下車、西へ徒歩十五分、といったところでしょうか。桜散り染める境内が美しいところでした。
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等伯正筆が見られるのはあと5日です。お近くならば、ぜひ。
なお、涅槃図は、これまでに英一蝶のもの森徹山のものをご紹介しています。

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ワーズワース 「比いなき輝やきと美との夕べに作れる」

ひつじ話

この光はその触れるすべてを、宝玉のごとき色をもて染める。
巧みにも清らかなる幻の内に、
牛の群は山腹をうねり、
夕日にきらめく鹿の角も見え、
黄金色に染められし羊はあらわに見ゆる。
紫の夕べよ、この静けき時は汝のもの、
されど神のごとき願い、聖なる希望が
わが心霊を活かす間は、
この壮麗はなべて汝のものなりと信ずるをえず。
この世の太陽に輝らされぬ世界より
この賜物の一部はえられたり。
英国の羊飼の辿る山地に
天の栄華が混りてひろがれり。

「マイケル」「序曲」をご紹介している、ウィリアム・ワーズワースを。「比いなき輝やきと美との夕べに作れる」からの抜粋です。

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古代ギリシャの鏡と蓋

ひつじ話

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紀元前350年頃  コリントス製、同地出土(?)
ブロンズ  鏡径18.5、蓋径19.0
鏡と蓋は、もともと蝶番でつながれていた。
磨かれた鏡面にはもちろん装飾はないが、蓋には外側にレリーフ、内側に線刻が施されている。
(略)
線刻の流麗な描写は、彫刻家ではなく画家の手になると考えられる。
エロスを従えたアフロディテがパンとお手玉遊び(動物の関節骨のさいころ、アストラガロス)に興じている様子をあらわしている。

 「大英博物館 芸術と人間展」カタログ 

古代ギリシャの鏡の蓋を。アストラガロス(アストラガルス)に興じる女神たちが描かれているようです。
羊の距骨を使ったこうした遊びについては時々お話しておりますので、こちらでぜひ。

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雛屋立圃 「十二類歌合」

ひつじ話

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江戸・寛文元年(1661)
装束をつけた十二支の動物たちが歌仙に見立てられ左右の組に分かれ、動物の名を読み込んだ発句を競います。
「十二類合戦絵巻」にヒントを得た作品です。
作者の雛屋立圃(ひなやりゅうほ)は俳画の祖といわれています。

 大阪市立美術館「十二支の動物たち」展カタログ 

先日お話した『十二類絵巻』関連で、さらにもう少し。
十二類絵巻の影響を受けて作られた「十二類歌合」です。いやしかし、このツノはいったい……。

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ゴヤ 「狩りの装いのカルロス3世」

ひつじ話

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18世紀スペイン、フランシスコ・デ・ゴヤの「狩りの装いのカルロス3世」です。胸元に金羊毛騎士団勲章が。
これまでにご紹介しているゴヤは、こちらで。
金羊毛騎士団勲章をつけた人々の肖像画は、こちらで、ぜひ。

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三河国府跡出土の羊形硯。

ひつじ話

愛知県豊川市にある、三河国分尼寺跡史跡公園に行ってきました。
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豊川市公式HP 内 三河国分尼寺跡史跡公園

こちらの公園に併設された「三河天平の里資料館」内に、なんどかお話したことのある羊形硯が展示されているのです。

この羊形硯は、三河国府国庁跡の東約200メートルの地点で出土したもので、全国で7点しか出土していないものです。
三河国府跡以外では、平城京跡(奈良県奈良市)で2点、斎宮跡(三重県明和町)、尾崎遺跡(岐阜県美濃加茂市)、正木町遺跡(名古屋市)、ハガ遺跡(岡山県岡山市)で各1点出土しています。
三河国府跡で出土したものは、平城京跡出土のものとよく似た、丁寧なつくりのものです。

 三河天平の里資料館 解説パネルより 

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後ろに、平城京跡出土品等を参考にした復元品(解説パネルより)と、正倉院宝物の羊木臈纈屏風の写真が添えられています。
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せっかくなので、もう一枚。
羊のいない国で愛用された、羊のかたちの硯。ご縁があれば、ぜひ一度ご覧くださいますよう。

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金羊毛の正体(続き)。

ひつじ話

ギリシア人はもともと商才にたけた民族だった。
男どもは早くから海へ乗り出して交易に従事すると同時に、各地に植民市を建設した。
わけても前750─前550年は「大植民時代」といわれるほど、おおぜいの人間が本土をはなれて、小アジア・黒海沿岸・西部地中海北岸などへと植民した。
(略)
ギリシアの交易商人たちは、じつは、彼らの活動の黎明の時期から、毛皮に対しては格別な関心を持っていたと思わせる証拠がある。
それは、あのアルゴー船の伝説である。
ギリシア神話のなかでもとくに古いと考えられているこの伝説は、イアソンがいわゆる<金羊毛>を求めて同志とともにコルキスの国へ渡ったという筋書きであることは、ご承知のところだろう。
<金羊毛>を文字通り黄金色をした羊の毛皮と解する向きもあるが、羊ではなくクロテンの毛皮だとする、はなはだ魅力的な意見も提案されている。
事実、クロテンのなかには黄褐色の被毛のなかに銀毛をまじえて、黄金色に見えるものがある。
そして、一行が出かけていったコルキスというのは、現在の黒海南東岸地方のことで、ヴォルガ川からカスピ海の水運を利用して運ばれてきたウラルからの商品が、カフカス山脈南面の陸路を越えて黒海に達する場所にあたっていた。

アポロドーロスの「ギリシア神話」アポロニオス「アルゴナウティカ」オウィディウスの「転身物語」などでお話している、ギリシア神話の金羊毛伝説。
この「金羊毛」の正体について砂金説などをご紹介しているのですが、こちらの「毛皮と人間の歴史」によると、クロテンの毛皮説というものもあるようです。

記事を読む   金羊毛の正体(続き)。

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