東京都北区王子の旧王子製紙株式会社工場跡に建てられている、洋紙製造に関した碑は、羊の石像の上に載せられている。これは羊が紙を食べるというより、洋紙の前身の一つに「羊皮紙」が存在していたことを物語っているといえよう。
目を閉じたひつじが四頭がかりで碑をささえているようです。
お江戸案内サイト「江戸旧聞」さん に、地図がありました。 → 江戸旧聞 内 今昔飛鳥山、王子界隈(飛鳥山公園)
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
東京都北区王子の旧王子製紙株式会社工場跡に建てられている、洋紙製造に関した碑は、羊の石像の上に載せられている。これは羊が紙を食べるというより、洋紙の前身の一つに「羊皮紙」が存在していたことを物語っているといえよう。
目を閉じたひつじが四頭がかりで碑をささえているようです。
お江戸案内サイト「江戸旧聞」さん に、地図がありました。 → 江戸旧聞 内 今昔飛鳥山、王子界隈(飛鳥山公園)
家畜がより人々の生活に近かった時代の反映として、マザーグースにはいろいろな動物が登場する。その代表の一つとして、羊をとり上げることにしよう。 (中略) 中世以来の英国では、羊毛を原料とする織物工業が大切な産業であった。まず、「Baa,Baa,Black sheep」である。
Baa,Baa,Black sheep, めえー、めえー、黒羊さん、
Have you any wool? Yas,sir,yes,sir, 羊毛はありますか? ありますとも、ありますとも、
Three bags full; 三つの袋にいっぱいね、
One for the master, 一つはご主人様のため、
And one for the dame, そして一つは奥様のため、
And one for the little boy それから一つは路地に住む
Who lives down the lane. 男の子のため。
渡辺茂 訳
(中略)
この唄の背後には、1275年に課せられた輸出税に対する反抗があるという。税額は高く、「master」は国王、「dame」は貴族階級。これで三分の二をとられることになる。そして三分の一が庶民を意味する「the little boy」に残されたのだそうである。 (中略) これは、アメリカの子供たちが「ABCDEFG」を歌うのと同じメロディーで歌われる。 (中略) また、鳥山淳子氏は、 「映画の中のマザーグース」の中で、「風と共に去りぬ」の題名がこの「Gone with the Wind」に決まる前には24個の候補があり、その中には「Baa,Baa,Black Sheep」もあったという興味深いエピソードを紹介しておられる。 (中略) 黒い羊は数としては多いものではなく、ふつうの羊100匹に対し一匹くらいしか生まれないものだといわれている。この数の少なさのためか、「ブラック・シープ」という表現は、「除け者」や「問題児」としても使われる。
(中略)
日本でも有名な「オズの魔法使い」の著者フランク・ボーム(L.Frank Baum)は、(中略)Mother Goose in Prose という本を書いている。韻文の詩からヒントを得て、散文でストーリーを書いたのだ。「ザ・ブラック・シープ」では、ここに登場する黒羊は、いじわるなどでは全くない。オーバーを買えない貧しい少年のために、一生懸命に草を食べ、日光浴をして毛をたくさんつけようとする。黒羊の主人が必要としているのは一つの羊につき二袋。もう一袋分余計にとれたら少年にあげてほしいという申し出を主人は快く承知し、結果はそうなるという話である。
以前、虹色羊問題としてご紹介したマザーグースの「バァ、バァ、ブラックシープ」について、いろいろ。除け者かぁ。あ、でも、swatchの黒羊はこっそりと楽しそうなので、良しです。
ところで、テネシー州の農場主が、失神ヤギでぼろもうけした話を知ってるかい?
1930年代に、パットン将軍ひきいる戦車部隊が、大演習のために、彼の農場の脇を通りすぎたときのこと。ものものしい戦車がぞろぞろと行進するのを見て、ヤギたちはいっせいにバタバタと気絶した。農場主はすかさず軍に抗議して、賠償金をがっぽりせしめたもんだ。
去年ご紹介したヤギ話に後追いネタを。
あと、こんなのも。失神ヤギ協会(!)や映像にリンクしてますので、ひとつ。 → Wikipedia(English) : Fainting goat
おなじく「動物 ウソ? ホントの話」から。
アメリカ西部の一部地域で、牧羊農場主たちが破産寸前になった。
毎年、羊の群れの四分の一近くを、コヨーテに盗まれてしまうからだ。(中略)
そうこうしているうちに、ジョージとペギー・バード夫妻の頭に、斬新なアイデアがひらめいた―そうだ、ラマにガードさせてみよう!
ラマのオスは、コヨーテを追いかけるのが大好きな動物で、コヨーテのにおいを嗅ぎつけたとたん、トランペットみたいなけたたましい声をあげながら突進し、前脚と後脚と歯をつかって猛攻撃する。(中略)
もちろん、コヨーテは二度と<バード農場>を悩ますことはなくなった。
ラマがひつじを・・・・。
もうひとつ。
イギリスのサウスウェールズで、ヒツジたちが囲いの網を破る天才的な方法を考えつき、まんまと野原へ脱出した。
どうやったかって? まず、集団で網に向かって長い長い助走をし、直前にみんなでボールのように固まって、転がりながら網を突破したのさ!
とりあえず、映像が欲しいところですが。以前ご紹介したコレとは、また違うワザですよ・・・ね?
玉(ぎょく)。 ―中国人が愛した宝石は、キラキラ光るものではなく、潤いのある、おちついた、あたたか味のある玉であった。古来、それは奇しき霊力があるとされた。
―清明の玉気は能く神と通ず。
といわれ、玉は人間と霊界とを媒介するものとされていたのである。
(中略)
清末の蕭雄(しょうゆう)という人に、玉の詩がある。彼はヤクブ・ベクの乱に赴いた左宗棠(さそうとう)に従って新彊へ行き、一八六三年から一八七八年までシルクロードに滞在し、「西彊雑述詩」をあらわした。玉の詩はそのなかの一首である。
玉は羊脂に擬して温且つ腴
昆岡の気脈 本来殊なり
六城の人は擁す双河の畔
水に入るは径寸珠を求むるに非ず
玉は羊脂にたとえられている。白く、そしてなめらかで艶がある。げんに玉の高級なものには「脂玉」という名がつけられている。「腴」とは肥えていることにほかならない。
鉱物や宝石の情報サイト「鉱物たちの庭」様に、この白い玉についての詳細がありました。
「史記」によると、黄帝はまた風后、力牧、常先、大鴻の四人を大臣にひき上げて、政治を行わせたという。このうち風后、力牧には、黄帝が夢のお告げによって、民間から見つけ出したという伝説がある。或る夜黄帝は、大風が吹いて天下の塵垢を全部払って清潔になったさま、また或る武士が千斤の重い弩を軽々と手にもって、一万頭の羊群を駆っているのを夢にみた。さめてから黄帝はいたく感動して、
「風というものは、息を大きくはいて号令するもので、政治家になることである。垢という字の土偏をとると后という字になる。姓は風、名は后、つまり風后という男にあたる。千斤の弩をもつことはつまり力の持ち主ということ、万頭の羊を駆ることは牧することである。これは力牧という姓名をあらわしている。皆々ども、これからさっそく、風后、力牧という名の男をさがしてまいれ。大臣に任命するのじゃ。」
とおおせられた。該当者が探し出され大臣に登用されたが、果して治績大いに見るべきものがあったと書かれている。
中国の神話上の帝王である黄帝は、また、夢判断の大家との伝説を持っています。一万頭の羊の夢なら、お告げでなくても見てみたいです。
起源の時期に関する学説はまちまちであるが、いずれにしても、スペインという土地にすばらしいメリノ種ひつじの原産といえる羊が生まれたことは事実である。 (中略)
この羊はあまり力を入れられることなく衰退していった。しかし八世紀初頭、イスラム人がスペインを征服するに及んで、この羊の一族は往年の繁栄と力とを取り戻すことができたのである。イスラムの征服者たちは、(中略)スペインという国を世界中で最大の羊飼養の国、最大の織師たちの国、という位置に高めてしまった。 (中略)
十四世紀に、イスラム人がスペインの国土からすべて追放されてしまうと同時に、スペインは次第に羊毛を中心とする世界貿易の力を失っていった。 (中略)
「ひつじ」はスペイン全土の富であった。このメリノ種ひつじの独占生産から得られる富が、世界のすみずみにまで航海をしてゆく遠征者たちを経済的に賄ったのであり、これによってスペインは、イスラム人追放のため衰微して行った国力を恢復し、ついに、世界各地にまたがる大スペイン帝国を樹立することができたのだった。 (中略)
1786年まで、スペインはメリノ種ひつじ輸出禁止、という厳しい制限をゆるめなかった。(中略)しかし、スペインにフランス軍が侵入したとき、(中略)フランス王ルイ十六世は386頭のメリノ種ひつじをスペイン国土から持ち帰らせ、これをランブイエの領地でフランス種の羊と交配させて新種を生み出させた。 (中略)
つづいて、1880年には、イングランドに2000頭、アメリカ合衆国にも英国をうわまわる数の羊をスペインは売り渡した。この羊によって、英国は最良質の羊毛を生産する大工業の国家となることができたのである。
くるくるでむくむくの可愛いやつの来歴をちょっと調べようと思っただけなのに、なんだかだんだん、ひつじは歴史の影の主役、とか、世界を動かす黒幕、みたいな気分になってきました。
コッツウォルズには、イギリス人が「心の故郷」として憧れる小さなイングリッシュ・ビレッジが点在している。標高250メートル以下のなだらかな丘を越え、草を食む牛や羊の群れを横目に走り続けるドライブは、まるで絵画を見ているような心地良さを感じる。
コッツウォルズの名前は、羊を囲い込む柵やまたは羊小屋を「コッツ」と呼んでいたこと、そして田舎にある牧草地の丘を「ウォルズ」と呼んだことに由来する。そして「羊小屋のある丘」という呼び名がいつの間にか「コッツウォルズ」となっていったのである。
ロンドンから西へ車で2時間行くと、ひつじ天国に着けるのですね。 「英国とアイルランドの田舎へ行こう」で少しご紹介済みですが。良いなぁ。行きたいなぁ。行かねば(ねばかい)。 写真は、町のひとつ、サイレンセスターのウールマーケットにある羊の銅像。
オーストラリア主要産業のひとつ「羊毛」の品質向上のため、州政府機関などの研究者がこのほど、「醜い羊」探しに着手した。どんなに皺(しわ)だらけでも毛が薄くても、でこぼこした体つきでもヘンな顔でもいいから、「羊毛には向かない」として処分せず、研究者に受け渡して欲しいと、生産者に呼び掛けている。
オーストラリアの羊毛産業規模は、年間28億オーストラリア・ドル(約2375億円)。各方面で利用が進む合成繊維に対抗するため、研究者らは羊毛の品種改良に努めている。
「醜い羊」探しを始めたのは、アデレード大学と、南オーストラリア州機関のSARDI。見た目や毛の質が悪い羊の遺伝子を調べることで、質の高い羊毛に向けた羊の品種改良が、より容易になるという。
アデレード大学の研究者、ポール・ハンイドさんは、「遺伝子に何か異常が生じた場合、その異常が現れている部分から、遺伝子の特定が簡単になる。逆説的だが、羊に何かおかしい部分があれば、そのおかしい部分に関係する遺伝子解析が飛躍的に進む」と話している。
また、「最新の遺伝子工学を使えば、『醜い羊』こそが、より伸縮性が高く、ちくちくしない、滑らかで紡ぎやすい羊毛の生産につながる」としている。
生産者は一般的に、羊が生まれた時点で、毛が強くよじれていたり、毛が薄い部分があったりすると、羊毛生産に向かないとして処分することが多い。しかし、ハインドさんは、「一見、役に立ちそうにない羊こそ、羊毛産業にとって重要だ」と強調し、生産者に『醜い羊』の提供を求めている。
駒を上下左右から挟んで動けなくするのが包囲ゲーム。 多数の駒が少数の駒を追いつめるタイプのものを狩猟ゲームとも呼んでいる。 「キツネとガチョウ」 「子羊と虎」のように、家畜と、家畜に害をおよぼす動物の組み合わせが駒になっているのが特徴。 日本の「囲碁」 「八道行成(やすかり)」 「十六むさし」も代表的な包囲ゲームである。
ゲームは、神託を授かる祭儀に起源をもとめられる長い歴史を持った文化なので、そのジャンルも細かく分化し、それぞれに洗練されたものが生まれています。上の「包囲ゲーム」もそのひとつ。残念ながら、中央の写真は「山羊と獅子」で、右下のが「子羊と虎」なのですが。
なお、この「ゲームのデザイン」に、以前ご紹介した羊のくるぶしの骨を使ったサイコロについて書かれた一文がありましたので、それも。
最も原始的な遊戯盤は紀元前7000年頃につくられたといわれている。駒を動かす「さいころ」として、表裏のある物体とともに、羊や山羊―犠牲として神に捧げられた後、食料や道具をつくるために利用された―の踝の骨の一部分も利用された。いびつな立方体で、ふると4面のうちのいずれかが上を向くので、4つの選択肢があることからアストラガルスと呼ばれて長期にわたって用いられた。
ルネサンス、ヴェネツィア派の巨匠ヤコポ・バッサーノの「楽園」です。エデンの園ですね。右下あたりにひつじたちが。
サン=テグジュペリと「星の王子さま」にまつわる土地をめぐるビジュアル・ブック「星の王子さまのはるかな旅」から。トゥアレグは、「ぼく」と王子さまが出会ったサハラ砂漠に生きるベルベル系の民族。読めないんですけど、たぶんこのシーンじゃないかと。
「こいつぁ箱だよ。あんたのほしいヒツジ、その中にいるよ」
ぶっきらぼうにそういいましたが、見ると、ぼっちゃんの顔が、ぱっと明るくなったので、ぼくは、ひどくめんくらいました。
「うん、こんなのが、ぼく、ほしくてたまらなかったんだ。このヒツジ、たくさん草をたべる?」
すると、今度は羊力大仙が、
「わが師兄、死んだとて畜生の姿になるわけがありません。これまたあの坊主め、幻術を弄しわれらをたぶらかしているのです。師兄の仇をとってごらんにいれまする」
国王、「どんな法力で勝つつもりなのだ」 「煮えたぎった油の釜に入浴するのでござる」
(中略)
道士は煮えたぎった油釜のなかでもがいております。はい出ようとしても出られぬまま、つるりとすべり、みるまに骨は脱け皮は焦げ肉はただれてしまいました。
検視の役人がまたもや奏上いたしますに、
「陛下、三国師は油揚になってしまいました」
「西遊記」の第四十四回から第四十六回にかけて、三蔵法師一行の前にたちふさがる車遅国の三仙人。その名も虎力大仙、鹿力大仙、羊力大仙。正体は獣です。孫悟空との術比べの果てに、羊力大仙は油揚になってほろぼされます。
ひつじの丸揚げかぁ、と一瞬うっとりするわけですが、じつは羊ではなく羚羊らしいです。
チベットカモシカです。こんなんだったんでしょうか? あんまり(というか全然)羊じゃないですね・・・。
子貢欲去告朔之氣(食偏に氣)羊、子曰、賜也、爾愛其羊、我愛其禮、
子貢告朔の氣(食偏に氣)羊を去らんと欲す。子曰はく、賜や、爾(なんじ)はその羊を愛しむも、我は其の礼を愛しむ。
子貢さんが告朔(という形式だけが残って意義が忘れられている古礼)に羊の犠牲を(費やすのを)やめようとした。先生、「賜よ、おまえはその羊がもったいないと思っているが、わたしはその古礼が(形式さえも失われることが)もったいないと思う。」
「告朔」とは周の時代の諸侯が天子から暦を受ける儀礼、「氣羊」とはその時に犠牲にする羊のこと、そして「告朔氣羊」とは、虚礼、または、虚礼であろうと伝統を尊重する態度を意味する言葉です。出典は「論語」。
形式にどう対するかは現在でも意見のわかれる問題ですが、孔子のころも同じだったのですね。ムダの塊みたいなひつじNews的には、ムダを承知でそれを惜しむというのは心強いお言葉なのですが、いかんせん、そこで犠牲になるのが羊なので、・・・・・どうしましょう。
コルマールのウンターリンデン美術館にある、マティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」。パウル・ヒンデミットの交響曲「画家マティス」の霊感源としても知られているようです。
パネルの開閉によって第三面まで見られるのですが、こちらは一番外側の第一面。中央パネルのキリスト磔刑図の中に、洗礼者ヨハネのアトリビュートとして羊がいます。
人類最古の都市文明であるシュメル文明の、主な家畜は羊でした。それはつまり、多くの遺物に羊が描かれているということです。
この毛羊は古代エジプトでは彫像に見られ、また聖刻文字にもなっている。エジプトではパピルスに墨をつけた筆で文字を書くから、曲線が可能であった。 (中略) シュメル人は羊を頭部や角では表現せずに、古拙文字の「羊」は肛門の形で表した。
多産とか豊穣とかいったことを、より重要視したのですね。パピルスならぬ粘土板で羊のツノを表現するのは、たしかに大変そうですし。
目で見る形の史料といえば、碑はわずかしか残っていないが、円筒印章が多数残っている。円筒印章とは、我が国の印鑑ぐらいの大きさをした、円筒形の石材などの周囲に陰刻で図柄を彫り、柔らかい粘土の上にころがして図柄を残す印章である。 (中略) 図1はウルク市(現代名ワルカ)付近から出土した大理石製円筒印章で、つまみの部分には羊がついている。高さ五.四センチメートルと大きな印章で、ベルリン国立博物館に収蔵されている。
シュメルで用いられた占いの一つは内臓占いであった。あらかじめ、うかがう内容を決めておき、羊や山羊の内臓を観察して、色、形、こぶの有無なので吉凶を判断した。
シュメル文明に関しては、カウナケス(だいぶ下がった時代についてお話しちゃってますが、シュメル文明において最もよく見られるもののようです)とウルのスタンダード(饗宴の場面)についてご紹介ずみですね。 なお、ウルのスタンダードですが、これは全体は、
こんなんでして、正体は楽器の共鳴箱かもしれないのだとか。そういわれるとそう・・・・?