羊蹄山登山歴史
はじめて羊蹄山に登った人は最上徳内で寛永十年(1798年)7月25日虻田に到着、それより羊蹄山登山を試みたようであるが、記録にはない。定説には松浦武四郎が最初の登山者として寛永五年の登山が常識となっている。明治38年蝦夷富士登山会が発足、高山万次郎など倶知安町の政財界人が中心となり羊蹄山登山の啓蒙に勤めた。後に登山会は明治45年レルヒ中佐の一本杖のスキー登山、登山道の整備、石室(雲上閣)の建設、半月湖の臨湖亭(売店、食堂)を昭和10年代まで続けており、羊蹄山登山は当時のブームになっていた。
伝説「神神の住む羊蹄山」..開拓使明治25年刊行「蝦夷風俗」蝦夷起原の事より
今の後方羊蹄岳..いかにも皇国の不二峰に似て、四時ともに雪のきゆるひまなし。上には一つの大池ありて、神霊常に是に住給ひて、その昔は島人みなここに登りて、幣とりせし由なるに、今は土人皆皇国人と物食い合わせ風俗の乱れて...日に減し月に損し、いつとなく神意にそむき、神の怒りをおそれ、近頃では誰一人登るものもなくなりたるぞと、言い伝へぬれど..
この山を羊蹄山と略して呼ぶことに私は強く反対する。古く「日本書紀」斉明朝五年(六五九年)にすでに後方羊蹄山(しりべしやま)と記された歴史的な名前である。その前年、阿倍比羅夫(あべのひらふ)が蝦夷を討って、この地に政所を置いた。後方羊蹄山の後方を「しりへ」(すなわちウシロの意)、羊蹄を「し」と読ませたのである。
手元の「日本百名山」(深田久弥)によると「羊蹄山(ようていざん)」ではなく
『後方羊蹄山(しりべしやま)』と読むのが本来のようです。“羊蹄=し”と二字に一音が当たるのを避けて現在の呼び方になったのでしょうか。
古来の別名が「蝦夷富士」。
名前のいわれ
後方羊蹄山または羊蹄山(ようていざん、1893m)は美しい円すい型の成層火山です。 別名蝦夷(えぞ)富士とも呼ばれ、 西南北海道で一番の高さを誇っています。 国土地理院発行の5万分の1地形図「留寿都」では、 羊蹄山という名の下に括弧付きで 蝦夷富士と書かれており、 さらにそのすぐ下に「後方羊蹄山の高山植物帯」という記載があります。 明治30年に山頂に設置された一等三角点の名が、 シリ・ペッの別名マク・カリ・ベツ(山の・後ろを回る・川)から 真狩岳と名づけられたこともありました。 これらのことから想像できるように、この山の名の由来はちょっと複雑です。
この山は、もともとはアイヌ語でマテネシリ(女山)と呼ばれていました。 羊蹄山の麓を流れる尻別川の名はアイヌ語名のシリ・ペッ (山に沿って下る・川)に由来しますが、 これがなまって、和人はこの川の周辺の地域名(現在の支庁名)を後方・羊蹄 (しりへ・し=しりべし)と呼ぶようになり、 そこにあるひときわ目立つ大きな山を後方羊蹄山(しりべしやま)と名づけました。 この名が簡略化されたうえ、読み方まで変化して、 いつの間にか羊蹄山(ようていざん)となってしまいました。
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