セラマノは、以前ご紹介したバルビゾンのひつじ画家、シャルル=エミール・ジャックの弟子にあたる動物画家です。やっぱり羊をやまほど描いています。
羊に乗った仙人、葛由
葛由は羌の人であった。周の成王のころ、よく木の羊を刻んで売っていた。
あるとき羊に乗って蜀の地にやってきた。蜀の国内の王侯貴人たちが、これを追いかけていってすい(糸偏に妥)山に登った。すい山は峨媚山の西南にあって、きりもなく高い。跡からついていったものは二度と帰らず、みな仙道を得た。
中国の羊車ふたたび
羊は人力車を引いて、ぼろ儲けをする
前にも紹介しましたが、中国の羊車です。久しぶりにCNSPHOTOを見ていたら羊な写真が増えていました。
新疆カザフの牧畜民は夏季場を回転する 車は羊の群れの道を譲る
……こちらは羊車ではなく羊と車ですが。大変そうです。
野生動物:狩猟する権利が競売に、賛成わずか4%
野生動物の狩猟を行う権利が中国で初めてオークションにかけられることになった。オークションへの参加が認められるのは外国人だけとの報道もあり、インターネット上で実施されているアンケートでは反対意見が圧倒的だ。北京青年報などが伝えた。
オークションは国家林業局の委託を受けて、四川省の成都市で13日に実施される予定。狩猟の対象となるのは四川省、新疆ウイグル自治区、青海省、甘粛省、陝西省、寧夏回族自治区、内モンゴル自治区、湖南省などに分布するヤセイヤク、アルガリヒツジ(盤羊)、バーラル、アカシカ、オオカミなど14種、計289頭。
狩猟の基本価格はオオカミが最も安く1匹200ドルで、最も高いのが1頭4万ドルのヤセイヤク。北京青年報は「13日のオークションは外国人のみを対象にして行われる」と報じている。
インターネットの大手ポータルサイト「捜狐」は、この問題に関してアンケートを実施している。10日午前11時40分(日本時間)の時点でのべ3567人が参加。「良いことだ。野生動物のバランスを保つために役立つ」との回答が4.52%、「反対だ。中国は適度な狩猟を行う段階にまだ達していない」が43.60%、「よくないと思う。乱獲などの懸念が拭い去れない」が11.64%、「不満だ。なぜ外国人にのみ狩猟を認めるのか」が39.64%などとなっている。
野生動物保護協会の担当者は「狩猟は虐殺ではない。野生動物保護法の枠内に限定されたものとなる」とコメントしている。
アルガリ(盤羊/Ovis ammon)は(絶滅)危急種(VU A2cde)……らしいんですが中国はおおらかというか適当というか。狐狩り禁止された英国の人に怒られそうです。
上記の記事では触れられてませんが、アルガリなどへの外国人狩猟自体は1985年から行われている模様。
新疆のアルタイ地区では、それまでに毎年地元の狩猟者の手によって殺された盤羊が百頭以上に達していたが、渉外狩猟が始まった後に、違法狩猟が少なくなり、外国人狩猟者の捕獲頭数を加えても、毎年減少する盤羊は十頭にも至らないありさまである。
いや、減ってちゃ駄目なんじゃないでしょうか?
「あてがはずれたおおかみ」
「これは、なんて書いてあるの?」と、フレッドがききました。
「左の立て札には<こっちへ>、右の立て札には<あっちへ>と書いてある。」
「きみって、ほんとに頭がいいんだねぇ!」
ひつじたちは、<あっちへ>のほうへ歩いていきました。
ジェイムズ・マーシャル作・絵の児童文学「やねのうかれねずみたち」所収の、「あてがはずれたおおかみ」です。
二頭のひつじ、フレッドとモンティの、のんきな冒険譚。のんきすぎて、命にかかわってますが。
中山君、都の士大夫を饗す。
本文
中山君、都の士大夫を饗す。 司馬司期在り。 羊羹、遍からず。 司馬司期、怒って楚に走り、楚王に説いて中山を伐たしむ。 中山君亡ぐ。 二人、戈をひっさげて其の後に随う者有り。 中山君、顧みて二人に謂う、「子はなんする者ぞや。」と。 二人対えて曰わく、「臣、父有り、嘗て餓えてまさに死せんとす。君、壺さん(にすいに食)を下す。臣が父、まさに死せんとして曰わく、「中山に事有らば、汝必ず之に死せよ。」と。故に来って、君に死するなり。」と。 中山君、き(口偏に胃)然として仰ぎ歎じて曰わく、「与うるは衆少を期せず、其れ厄に当たるに於てす。怨は深浅を期せず、其れ心を傷つくるに於いてす。吾、一杯の羊羹を以て国を滅ぼし、一壺のさん(にすいに食)を以て士二人を得たり。」と。
解釈
中山君が都の士大夫をもてなしたときのこと、司馬司期もその一人であった。 が、羊の吸い物が行きわたらず、彼のところへ来なかったので、司馬司期は怒って楚に逃げ出し、楚王を説得して中山国を伐たせた。 中山君は国から逃亡した。 そのとき、ほこを引っさげて彼の後を追う者がいるので、中山君は振り返ってその二人に尋ねた、「あなたたちは、何者ですか。」と。 二人が答えて言うには、「私たちには父がいましたが、かつて餓死しそうなところを、我が君が一壺の食べ物をお与え下さり、そのため生きながらえました。 私たちの父が死ぬ間際に、「中山に戦があった時は、おまえたちは必ず命を差し出すのだ。」と申しました。そのため、こうしてついてきて我が君のために死のうと思っているのです。」と。 中山君は「ああ」とため息をもらし、天を仰いで嘆いて言った、「人に物を施すというのは、多い少ないは問題ではない。その人が困っているそのときにするかどうかだ。人から恨みを買うのは、深い浅いは問題にならない。その人の心を傷つけたかどうかによるものだ。私はたった一杯の羊の吸い物のせいで国を滅ぼし、わずか一壺の食べ物のおかげで二人の士を得た。」と。
前漢のころにまとめられた中国の戦国時代史「戦国策」に記された、中山国についての一幕です。
羊羹というのは、羊の羮(あつもの)、つまりスープのことですね。羊肉入りの。ごちそうだったんでしょうか。
黄初平の根付け
黄初平仙人は十五歳の時に山羊の群れを連れて山に入り、瞑想に耽っているところを四十年後に兄によって見つけられた。その時兄が山羊がいなくなっていることに驚くと、仙人は杖で傍らにころがっていた石に触れ、石を山羊に変えたという。 19世紀 無銘 4.0? ウエーバー旧蔵32図7番掲載
昔の羊が小さい話でご紹介した、応挙や雪舟によって描かれた黄初平は、根付けの題材としても好まれているようです。・・・けど、これは・・・羊でいいんでしょうか。 こちらの「根付の題材」では、日本では、羊と山羊は代替可ということらしいのですが。
牧羊用石造サイロ(滝川)
滝川市の丸加高原展望台そばに、石造りのサイロがひっそりと建っている。
サイロは1923年(大正12年)に滝川種羊場に建設された「第一サイロ」。サイレージ容量は100トン、高さ11・5メートル、直径5・45メートルの円筒形。綿羊1000頭分の冬季用飼料庫として建てられ、札幌軟石が使用された。デントコーンなど飼料作物を貯蔵して発酵させ、サイレージに調製する。
道内で現存する最古の石造サイロは、北海道大(札幌)にある。12年に建設された旧札幌農学校のサイロで、「大正時代の石造サイロは道内で数例しかなく、滝川のような巨大サイロは珍しい。本道酪農史でも貴重な遺構」(池上重康・北大大学院助手)という。
滝川と羊のかかわりは、06年の農商務省月寒種牛牧場の創設に始まる。第1次世界大戦に伴い、国が軍需羊毛の確保を図るため、綿羊100万頭を増殖しようと18年、全国5か所に種羊牧場を設置。滝川は道内で月寒(現札幌市豊平区)とともに選ばれた。世界恐慌で計画が縮小され、実質的に滝川だけが存続(月寒は滝川の分場)した。
その後、道への移管を経て、戦後、道立畜産試験場(畜試)になった。羊毛・羊肉の輸入で役割も縮小、2000年に十勝・新得町の道立畜試に統合されるまで、国内最大の研究施設だった。数千頭の羊がいて、放牧風景など、滝川を代表する観光地でもあった。
畜試は農家への綿羊の払い下げや品種改良などの研究を行った。元畜試場長米田裕紀さん(64)は「滝川は頭数や羊舎の規模など、研究拠点としては全国でも有数だった。品種改良のほか季節外繁殖、飼養などの研究を行ったが、輸入に押され、羊の需要が減少した」とさみしそうに語る。
畜試は道民生活にも大きな影響を与えた。手織り機などで衣類を作るホームスパンや味付きジンギスカンの普及を担った。味付きジンギスカンで有名な松尾ジンギスカンの滝川創業にもつながった。
サイロは72年まで使用された。解体話が持ち上がったが、地域のシンボルであることから、市が譲り受けて丸加高原に移設した。当時、畜試の管財係長だった北照夫さん(77)は「石造りの大型サイロが作れるのは官庁か民間の大農場だけ。保存されてほっとした」と思い入れを語る。
畜試が統合されて数年を経て、羊舎など羊の面影は市内にほとんど残っていない。「綿羊王国・滝川」を象徴する数少ない建物は、今、丸加高原に放牧される羊を静かに見守っている。
滝川市内の羊は、丸加高原に放牧されている10頭程度。サイロには展望用階段が設置されており、内部見学の申し込みは丸加高原伝習館へ。有名な松尾ジンギスカンのほか、市内の別の販売店でも味付きジンギスカンを扱っている。
テレビ父さん、羊ヶ丘を行く。
北海道旅行に行かれたカーター卿さんから、謎の絵はがきをいただきました。
羊ヶ丘でひつじにからまれる、さっぽろテレビ塔のキャラクター「テレビ父さん」。公式ホームページの通販コーナーにある、「絵はがきセットB」の一枚ですね。仲間に時計大臣とかいるし。札幌って。
ムリーリョ「貝殻の子供たち」
大阪市立美術館で2006年10月15日(日)まで開催されている「プラド美術館展」に、バルトロメ・エステバン・ムリーリョの「貝殻の子供たち」が来ています。しかも目玉扱いぽいですね。ムリーリョならではの、愛らしい幼児姿のキリストと洗礼者ヨハネと、そしてひつじ。
ムリーリョは、前に「善き羊飼い」と「羊飼いの礼拝」をご紹介しています。
「ラルーシとひつじのぼうや」
ラルーシと ひつじのぼうやは いつも いっしょです。
ラルーシが こっそり おつかいに いっても
とことこ とことこ
ひつじのぼうやは かならず あとから やってきます。
サゾン・スラザーコフ作、ベーラ・フレーブニコワ絵の絵本。部屋でも外でもおつかいにも、とことこついてくるこひつじが、もう。
「司母辛」兕觥(「しぼしん」じこう 酒を注ぐ器 青銅製)
商時代 後期
高36? 長46.5? 重8.5?
1976年河南省安陽市殷墟5号墓出土
中国社会科学院考古研究所蔵
幅の広い注口、扁平で長い体、四足、牛頭の取っ手。注口の先端に小さな孔がある。前肢は馬の足に似て、外側に龍文を飾る。後肢は鳥の足に似て、太くたくましく、羽毛文を飾る。 (略) 蓋の先端は馬頭に作られ、小さな耳が斜めにつき、巻いた角は羊の角のようである。角の後ろに魚頭を鋳出する。「黄河文明展」(1986年、名古屋市博物館)図録
いろいろな生き物が混ざっているわけですが、巻き角ひとつで、どうにもひつじに見えてしまいます。
修羊公
修羊公は魏の人であった。華陰山上の石室の中に住んでいた。 (略) 景帝はこれを礼遇して王族の邸に住まわせた。数年たっても、どんな術があるのか、さっぱりつかめない。ご下問があって、「修羊公には、いつになれば技倆をお示しになられるのか」というと、言いも終らぬうちに、寝台の上で化して白い石の羊になってしまった。そして、脇腹には「修羊公、天子に謝す」と書かれてあった。
その後、石の羊を霊台の上に安置しておいたところ、羊はのちにどこかへ去って、所在が知れなくなった。
左慈につづいて、羊に化ける仙人を。
なんかこう、仙人というのは、基本的に困った人たちなのでしょうか。すごく楽しそうではあるのですが。
2メートル巨体“カップル” 猿撃退にダチョウ切り札
県農業技術振興センター栽培研究部湖北分場(木之本町)は獣害対策の一環として、2001年度から、木之本町内の山際で牛を放った。イノシシ、次いで猿の出没が止まった。牛が雑草を食べることで野生獣の好むヤブが消え、虫や根などの餌も減る。それが要因と同センターは分析する。
だが、のんびりした牛が猿に突進することはない。センターの担当者らは「そのうち、慣れてしまうのでは。番犬のように威嚇する存在が必要」と考えた。
猿は同ランド内のブドウ園(約150アール)で実を狙う。センターは昨年度、ヤギ、羊、子豚など5種類の動物を連れてきて、状況を観察。ヤギが猿に「にらみ」をきかす様子を、撮影した映像で確認した。
さらに「攻撃的な特性」に着目し、県畜産技術振興センター(日野町)で飼育していたダチョウのつがいを放牧することに。逃げないよう、幅約5メートル、長さ約120メートルにわたって防護ネット(高さ約2メートル)を張り巡らせ、餌小屋を設けた。実験は9月末まで続ける。
滋賀県です。「イノシシ撃退にヒツジ効果は!?」という記事を以前紹介しましたが、サル相手にさらに強力な助っ人が……。
いまいちなんでしょうか、ヒツジ。