前5?前3世紀
毛
1枚 78?×55?
チェルチェン県 ザーホンルック1号墓地3号墓
1985年出土
褐色の毛織物。白・黄・赤の毛の緯糸で下段に大きな角をもった羊文様、全面には漢字の「五」に似た三角形を2つ合わせた蝶形を散らし、さらに中央には駱駝のような動物文を織り出している。「新シルクロード展 ―幻の都楼蘭から永遠の都西安へ―」カタログ
タクラマカン砂漠の南、西域南道のオアシス都市チェルチェンで出土した毛織物です。
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
前5?前3世紀
毛
1枚 78?×55?
チェルチェン県 ザーホンルック1号墓地3号墓
1985年出土
褐色の毛織物。白・黄・赤の毛の緯糸で下段に大きな角をもった羊文様、全面には漢字の「五」に似た三角形を2つ合わせた蝶形を散らし、さらに中央には駱駝のような動物文を織り出している。「新シルクロード展 ―幻の都楼蘭から永遠の都西安へ―」カタログ
タクラマカン砂漠の南、西域南道のオアシス都市チェルチェンで出土した毛織物です。
オーストラリアのシドニーでこのほど、動物愛護のキャンペーンが行われた。
カーター卿さんから、タレコミをいただきました。ありがとうございますー。
どっかで見たひつじ着ぐるみだと思ったら、この人たちですね。とりあえず・・・とりあえず、寒そうです。
ずいぶん以前にご紹介したファン・エイク兄弟の「神秘の仔羊の祭壇画」(「ヘント祭壇画」)。前回はパネルを開いたところのご紹介だったのですが、閉じたときの、外側のパネルにも羊がいました。彫刻のような単色画の洗礼者ヨハネです。
神・ダイがここに住む。その状は人面の如く、羊の角、虎の爪。つねにスイショウの淵に遊び、出入するときは光を放つ。
ながらくひっぱってきた「山海経」のひつじシリーズも、このあたりでいったん打ち止めを。最後は、中山経に出てくるダイです。
殷・後期
高37.5、口径31.8、深26.7?
瓿(ほう)も酒を入れておく器。本器は強く肩が張り、そこに大きな浮き彫り状の羊の犠首(ぎしゅ。いけにえの首)と、薄作りの鳥形鰭飾りとが交互に並んでいるのが特徴である。
殷の青銅器です。台北の故宮博物院蔵。羊の目がつぶらでかわいい・・・かも。
でもまだまだおどろいてはいけません。なぜって“はてなし牧場”には数えきれないほどの牛や馬が飼われていたのです。とくに羊は牧場主のお気に入りで、たいせつにあつかわれていました。
パブロ・ゴンサレス作、フリエタ・V・ワールマン絵の絵本です。南米の広大な牧場を舞台にした昔話。主人公の牧場主が変で良いのです。
中世末期、社会変動の嵐が広くヨーロッパをおおっていた時代に、フランスではヴァロア朝の宮廷文化が花開いた。聖職者階級にかわって台頭し始めた王侯貴族たちは、芸術の擁護者として大きな役割を担う。
フランス国王ジャン二世の第三王子ベリー公ジャンは、三百冊近い写本を有した稀代の蔵書家として知られ、公の注文によってランブール兄弟の制作した『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は、当時を代表する彩飾写本の白眉である。
特に冒頭の月暦図には、初期中世以来の農事暦の伝統が清新な自然景の中に描き出され、上部の半円形の部分を飾る太陽神と黄道十二宮の星座と共に、中世の「時」の図像として雄弁に時代を物語る。
7月の毛刈りの図をご紹介したことのある「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」の、2月の図です。
李公はふしぎの思いをして、いくらかこの僧を信用するようになり、そこでたずねてみた。
「南へ行く運命がまことに避けられぬとすれば、そのまま帰れなくなるであろうか」
すると僧は、
「お帰りになるはずでございます」
李公がそのわけをたずねると、僧は答えた。
「閣下には一生に一万匹の羊を召しあがるはずでございます。今までに召しあがったのは九千五百匹ですから、お帰りになるはずと申したのは、五百匹の羊がまだ残っているためです」
以前、「柳毅伝」をご紹介したときに参考にした「唐代伝奇集」ですが、こんな羊ばなしも。
左遷された元宰相の李徳裕が、有徳の僧に自分の運命をたずねます。結局このあと羊五百匹を送られて、うっかり受け取ってしまい、南の地に没することになるのですが、・・・それ以前に、どう考えても食い過ぎです。
最初のころは1本の巨大な木の幹を破城槌として使い、町の城門を倒すこともありましたが、これはたいていの場合、城壁にゆさぶりをかけて亀裂を作り、壁そのものを倒すことが主要な用途でした。この方法をさらに発展させて複雑な兵器に改良したのが、アッシリア人であり、さらにペルシア人、ギリシア人がそれに続きました。
これらの先人に続いたのが、ローマ人でした。破城槌は、敵が放つ石や矢にさらされているわけですから、この操作にあたる兵士の安全確保が先決問題でした。そこで、車輪のついた小屋のようなものが考案され、その表面には火がつきにくいように皮張りの頑丈な屋根をかぶせました。槌本体は、その先端部がしばしば鉄で牡羊(ベリエ)の顔の形につくられていたので、ベリエとよばれていました。
バタリングラムについて、わかりやすく説明してある本を見つけましたので、追加記事です。
のりちゃんは、こんや なかなか ねむれません。
それで、ひつじを かぞえる ことに しました。
「ピッピ、おやすみ。」
「モコモコ、おやすみ。」
あべはじめの絵本です。
ねむれない夜に数えるひつじたちに、みんな名前をつけているのりちゃん。ある晩、その中の一匹がいなくなって・・・?
水差しの多くは陶製で、たいてい中世特有の緑の釉がかかっていた。陶工たちはデザインに変化をつけるため、人面や動物の装飾を加えることもあった。この水差しは、注ぎ口を動物の顔形にしている。
ヨーロッパ各地に今なお残る中世の城と当時の人々の暮らしぶりをわかりやすく紹介するビジュアルブック(紹介文より引用)「古城事典」から、「台所」の章にある「陶製の羊頭水差し」です。