「ドイツルネサンス版画の最高峰 デューラー版画展」カタログ
アルブレヒト・デューラーの木版画シリーズ『黙示録』より、「子羊のような二本の角を持つ獣」です。
「ヨハネの黙示録」第十三章にある、「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには子羊のような角が二つあって、龍のように物を言った」のくだりを描いたものかと。
これまでにご紹介しているデューラーは、こちらで。
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
「ドイツルネサンス版画の最高峰 デューラー版画展」カタログ
アルブレヒト・デューラーの木版画シリーズ『黙示録』より、「子羊のような二本の角を持つ獣」です。
「ヨハネの黙示録」第十三章にある、「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには子羊のような角が二つあって、龍のように物を言った」のくだりを描いたものかと。
これまでにご紹介しているデューラーは、こちらで。
《羊毛の皮を着た雌鳥》、マンデヴィル
先日お話した「中世の妖怪、悪魔、奇跡」に、以前、ジョン・アシュトンの「奇怪動物百科」をご紹介したときに触れた「羊毛めんどり」の絵がおさめられていましたので、あらためて。
カナダではほかに「迷い羊」が好んで人狼譚として語られる。
夜遅く家路を急いでいると羊が一頭道ばたにはぐれている。
そのあたりの農園の羊が迷ってしまったのだろうが、このままでは狼の餌食になる。
かついでいって、あしたになったら近所の家で心当たりがないかどうか聞いてみよう。
そこで肩にかついでゆくと、はじめは軽かったのがだんだん重くなる。
やがて家がすぐそこというところまで来ると、かついでもらってありがとうといって逃げてゆく。
近くの農園の男が羊に化けて「ただ乗り」をしたのだ。
人狼にかかわる伝承を大量におさめた「人狼変身譚」に、なんだか愉快なお話が混じってました。
人狼というか、おんぶおばけというか、しかも正体はご近所さんって……ありがとうって……。
アッシジの聖フランチェスコは、フレデリックが生涯繰り返し描いたテーマである。
(略)
描かれている自然は、イタリアのアッシジではなく、フレデリックが生涯愛した、ベルギー南部ワロニーのアルデンヌ地方の風景と考えられている。「象徴派─夢幻美の使徒たち」展カタログ
何の気なしに岐阜県美術館の「象徴派」展を訪れてみると、羊の絵と遭遇してしまいましたので、泡を食ってご報告です。
レオン・フレデリックによる「アッシジの聖フランチェスコ」、姫路市立美術館所蔵。
2012年8月26日までの開催です。あさってでおしまいなのですが、ご縁がおありでしたら、ぜひ。
岐阜県美術館のあとは、2012年9月8日?10月21日の期間に新潟県立近代美術館、2012年11月3日?12月16日は姫路市立美術館を巡回するようです。
なお、聖フランチェスコを描いたものは、以前、フランシスコ・リバルタの「奏楽の天使に慰められる聖フランチェスコ」をご紹介したことがあります。
大アイアスの霊のこと
家畜の群れに生じる災害は全てアイアスが原因だと人々は言っています。
たぶん彼の狂気に関する話のせいでしょう。
彼は家畜たちに襲いかかって略奪し、あたかも武器の裁定のことでギリシア人たちを殺害しようとするような振舞いに及んだわけですから。
また彼の墓の周りで放牧する者もいません。
そこに生え出る草は有害で、家畜を養うのにはよくないということで、その草を恐れているのです。
こんな話があります。
トロイアの羊飼いたちが、家畜に病が生じたとき、アイアスを侮辱するため墓の周りに立って、この英雄はヘクトルの敵だ、トロイアとその家畜の敵だと叫び、ある者は、彼は狂人だったと、またある者は、今でも狂っていると口走りました。
さらに別のいちばん不敵な羊飼いが、彼に向かって叙事詩の句を
アイアスはもうとどまらなかった
という箇所までそらんじて、彼を臆病者とそしったところ、墓の中から彼が、
いや、俺はとどまった
と、恐ろしいはっきりした声で叫び返したのです。
3世紀のギリシア人ピロストラトスによる、トロイア戦争で死んだ英雄がよみがえって戦の真相を語る物語「英雄が語るトロイア戦争」から、以前、ソポクレスの悲劇「アイアス」でお話した大アイアスにまつわる一章を。
マンデヴィルはこの話を取り上げて、次のような結論を下す。
「だが私は、彼らにそれは大した奇跡だとは思わないと言った。
なぜなら、我々の国のある種の木は、鳥が出てくる実をつけ、しかもその実は、非常においしいからだ。
この場合、地上に落ちた鳥はまもなく死んでしまう」
オドリックと同様マンデヴィルも、一つの奇跡を正当化するために別の奇跡を使う。
というより、二人はともに、植物性の羊の奇跡があるのはアイルランドにガチョウを産む木があるからだと考えている……。
ときどきお話している植物羊関係でひとつ。
マンデヴィル「東方旅行記」の中で、植物羊と、それに対応するとされるアイルランドのガチョウのなる木の伝説を説明する挿画です。
そこで一匹の亀を見つけたが、これは大層な宝を手に入れたというもの、
ヘルメースこそが、最初に亀を歌奏でる具としたのだから。
(略)
葦の茎をそれぞれ程よい長さに切ると、
亀の甲羅を差し貫いてしっかり取りつけた。
その上から巧みをこらして牛の皮を張りまわし、
腕木を造りつけ、横木を渡して固くとめ、
よく鳴り響く羊腸の弦を七本そろえて張った。
さて、神はこうして愛らしい玩具を仕上げると、
それを手にとって、撥で弦を順番に試してみた。
すると竪琴は神の手の下で、驚嘆すべき音を立てた。
ヴァイキングの笛に続いて、羊素材つながりでもうひとつ。
「ヘルメースを讃め歌え、キューレーネーと羊多いアルカディアを統べる神」とのフレーズではじまる、古代ギリシアのホメーロス風讃歌「ヘルメース讃歌」から、ヘルメースによる竪琴の発明を語るエピソードです。
先日のブリューゲルの「子どもの遊戯」や距骨のサイコロについてなど、羊の骨をつかった遊びについてはなんどかお話しているのですが、娯楽つながりということでもうひとつ。スウェーデン出土のヴァイキングの笛のようです。
もりもとさんから、よくできたコントみたいな頭突きひつじ映像を教えていただきました。ありがとうございます。
こうしてみると、頭突き羊って、おもいのほか普通にいるんですね。うかつに背中を見せてはいけない相手なのかもしれません、羊。
彼はしばしば羊の小腸を念入りに脱脂し、洗い浄めてたいへん薄いものにし、手のひらに納まるようにした。
それから隣の部屋に鍛冶屋が使うふいごを置き、腸の先をこれにつけて空気を吹き入れた。
するとそれは、たいへん大きなレオナルドの部屋いっぱいにふくらみ、居合わせた人々は隅の方に押しやられ、小さくならなければならなかった。
そして彼は、初めは小さかったのに大きな空間をしめることになった透明で空気のいっぱい詰まったこの腸を示し、徳もまたこれと同じことだと言った。
以前、ジョットの評伝をご紹介したジョルジョ・ヴァザーリによる、レオナルド・ダ・ヴィンチについてのエピソードです。
他にも、友人たちを驚かすためにおそろしげな装飾をつけた蜥蜴を飼っていたとか、部屋に資料として持ち込んだ動物の死骸の悪臭に気が付かなかったとか、はた迷惑そうなお話が満載されてます。ほんとにこんな人だったんでしょうか。
先日ご紹介した「変身物語」にあるアラクネのお話のなかで、一行だけの挿話として記されるイセとアポロンのエピソードが、フランソワ・ブーシェによる華やかな神話画になっていました。
まず、この挿話をもとにしたオペラが存在し、それにあわせた装飾画であるとのことなのですが、いやでも、どうやってあれがこれに……。
これまでのブーシェは、こちらで。
アラクネは、織り進む。
ユピテルが、こんどはサテュロスに身をやつして、美しいアンティオペに双生児を見ごもらせたこと、(略)羊飼いとなってムネモシュネを、まだらの蛇となってプロセルピナをだましたこと─そんな場面が加えられてゆく。
海神ネプトゥーヌスも、あらあらしい雄牛に変じて、アイオロスの娘を籠絡し、河神エニペウスの姿でアロエウスの妻を身ごもらせ、雄羊となってビサルテスの娘をたぶらかした。
(略)
そこには、アポロンも登場する。
野人の姿をしているかとおもうと、隼の翼に包まれたり、獅子の皮をかぶったりもしている。
マカレウスの娘イッセをだましたときは、羊飼いに化けてもいた。
オウィディウス『変身物語』から、アラクネとミネルウァ女神の機織り勝負の物語を。
神々の非行を描いたタペストリーを織り上げ、女神に懲罰を受ける織手アラクネのお話ですが、どうも神々は悪事をはたらくときに羊飼いに化けがちのようです。
ネプトゥーヌスとビサルテスの娘のお話は、以前触れたことがありますね。
オイディプス ここにいるこの男のことだ。会ったおぼえがあるか?
羊飼いの男 はて、すぐには思い出せませぬが。
使者 無理もございませぬ、王さま。それではこのわたくしめが、わかりかねているこの男に、はっきりと思い出させるようにいたしましょう。あのころのことを、どうしてこの男が、まったく忘れてしまったはずがありましょう。
─そのころわたしどもはキタイロンの山間で、この男は二群れの羊たちの番をし、わたくしは一群れの羊に草を食ませながら、共に日を送ったものでございます。春からはじまって、アルクトゥロスの星が、暁の空に瞬きはじめる秋がやって来るまで、たっぷり半年のあいだを、わたくしはそのようにして、彼といっしょに三度びもくりかえし過ごしました。そして、やがて冬になると、わたしくは自分の羊たちを追って故郷の羊舎へ、この男はこの男で、ライオスさまのところの囲いの中へ、それぞれ連れ帰るならわしになっておりました。
[羊飼いの男に]そうであったな? それともわしは、ありもしなかったことを申しておるか?
羊飼いの男 たしかにお前の言うとおりだ。遠いむかしのことではあるが─。
使者 さあそれでは、いまこそ答えてくれ。あのころお前は、ひとりの赤子をわしに渡したのを、覚えているであろうな─これをわが子同様に、育ててくれと申して?
ソポクレスの悲劇「オイディプス王」を。
自らの出生の秘密を明らかにすることで、それと知らず破滅へと近づくオイディプス王と、真実を知りながら告白をためらう羊飼いの男とのやりとりです。
ソポクレスについては、以前、「アイアス」をご紹介しています。
ピーテル・パウル・ルーベンスのエルミタージュ美術館所蔵「虹のある風景」が、現在、日本を巡回中です!
会期 2012年7月28日(土)?9月30日(日)
開館時間 午前9時30分?午後5時、金曜日は午後8時まで。(入場は閉館の30分前まで)
休館日 毎週月曜日(ただし9月17日(月・祝)開館、9月18日(火)休館)
特別開館 8月13日(月)、9月24日(月)
10月10日(水)?12月6日(木)
午前9時から午後5時まで(入場は午後4時30分まで)
*10月26日(金)?10月28日(日)は午後8時まで開館(入場は午後7時30分まで)
休館日 月曜日
お近くならば、ぜひぜひ。
展覧会カタログには、オウィディウス『変身物語』における「黄金時代」のイメージを描いたものであるとの解説がありましたので、相当すると思われる部分の引用を下に。
常春の季節がつづくのだった。
そよと吹く西風が、なまあたたかいその息吹で、種もなしに自生した花々を愛撫していた。
やがて、大地は、耕されもしないのに、穀物をさえもたらすのであった。
田畑は、掘り返されないでも、豊かな穂先で白く光っていた。
乳の河が流れるかとおもえば、甘露(ネクタル)の流れが走り、青々したひいらぎからは、黄金色の蜜がしたたっていた。
なお、これまでにご紹介しているルーベンスについては、こちらで。
ひとつかうじを とゝりかうとる ひつじ
(略)一つきりしかない柑子(こうじ)を、取ったり置いたり、大切がってなかなか食べようとはしないとの意。
(略)解は、ヒトツカウジからト・カウを取ると、ヒツジ。なそたてひつじ 何ぞ 馬の尾
羊に対して馬を置いたのが、働き。解、十二支の未は午のあと。寒川入道筆記
16,7世紀頃に作られたなぞなぞ集録本を網羅した「中世なぞなぞ集」から、ひつじの出てくるものを。