「ミレーとバルビゾン派の画家たち」展カタログ
バルビゾン派を。ジャン=フェルディナン・シェノー(シェニョー)の「宵の明星」です。
シェノーはなんどかご紹介しておりますが、なかでも「夕暮れ」が似た雰囲気ですね。
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
「ミレーとバルビゾン派の画家たち」展カタログ
バルビゾン派を。ジャン=フェルディナン・シェノー(シェニョー)の「宵の明星」です。
シェノーはなんどかご紹介しておりますが、なかでも「夕暮れ」が似た雰囲気ですね。
江戸後期の浮世絵師、遠浪斎重光の「寿という獣」です。十二支の動物を合成しためでたい獣「寿」、という趣向。あごひげが「未」とのこと。やっぱりヤギと混ざってるんですね、江戸の羊認識って……。
浮世絵は、これまでに歌川国芳などをご紹介しています。ご参考にぜひ。
西山公、むかしより、禽獣草木の類までも、日本になき物をば、唐土より御取よせなされ、又日本の中にても、其國にありて、此國になきものをば、其國より此國へ御うつし被成候、其思し召すゑに記す、
草之類
朝鮮人參 江戸駒込の御屋敷、并水戸にても御植候 薩摩人參 闌
(略)
獣の類
麞(ノロ) 北領の山に御はなち候 豪豬(ヤマアラシ) 山林に御はなち候
羊 年々子を生、餘多になり候、 綿羊 右同斷
(以下略)「桃源遺事」
西山公こと第二代水戸藩主徳川光圀の言行録である、「桃源遺事」から。
先日の「日本幽囚記」にあるように、江戸期、外来の羅紗(ウール)がそれなりに流通しつつも、日本人の羊に対する知識はとぼしいものでした。なんとか産業として成立させようとした平賀源内の例についてはお話をしておりますが、さらに時代をさかのぼって、水戸光圀公も挑戦していたようです。しかも増やしてるし。ただ、羅紗を織ったりはしていないようですね。食用かな?
それはそうと、「羊」と「綿羊」が別なのが気になります。「環海異聞」もそうでしたが、なんなんでしょう、これ。
「西洋では何の毛で羅紗を織るか」
日本側に羊の話をすると、ムール君は牡羊を描かされ、それから山羊を描き、遂には驢馬や、騾馬や、馬車や、橇などまで描かされた。
一口に云ふと、日本側では日本に居なくて、実物を見られない物は何でも紙に描いてくれと云ふのであつた。
しかし日本側ではいつでも非常に鄭重に頼むので、ムール君もその依頼をすつかり満足させるのは退屈で辛いことではあつたが、拒む気にならなかつた。
ムール君が非常に速く、自由に絵を描けたのは、同君のために幸ひであつた。
以前、江戸期にロシアへ漂流した日本人たちの記録である「環海異聞」や「北槎聞略」をご紹介したことがあるのですが、同時代に日本にとらわれたロシア人の記録もまた存在し、ヴァーシリー・ゴローニンの「日本幽囚記」として知られています。
上の引用は、抑留中に受けた尋問(と呼ぶにはあまりに楽しそうな質問)のひとつ。絵心のある部下がえらい目にあってます。
19世紀イギリス、ラファエル前派のひとりトーマス・セドンの「悪しき評議の丘から眺めたエルサレムとヨシャパテの谷」です。ロンドン、テート蔵。
ルノワールは、モネら印象派の仲間とともに1870年代には市民たちの憩うパリ周辺の風景に熱中していた。
しかし1880年代半ばには積極的に田舎風をめざすようになり、ブルターニュ滞在はまさにその意識の現れととらえることができる。
この作品にはほぼ同じ大きさ、同じ構図のややスケッチ的な油彩作品があり(フィッツウィリアム美術館)、そちらの方が現地で描かれ、こちらはその後翌年にかけてパリのアトリエで仕上げられたと見られる。「ルノワール 異端児から巨匠への道1870-1892」展カタログ
以前ご紹介した、ピエール=オーギュスト・ルノワールの「畑からの帰り道」の別バージョンです。
「ダリ展 創造する多面体」カタログ
20世紀スペイン、サルバドール・ダリの「雄羊(雌牛の亡霊)」です。
アレクサンドル・ドフォー
1826年9月27日にベルシーに生まれる。コローの弟子である。
(略)
風景画家、動物画家として、特に農村生活の様々な場面を好み、油彩と水彩で描写。
フォンテーヌブローの森の他に、オワーズやノルマンディでも制作した。1900年、パリに没す。「ミレーとバルビゾン派の画家たち」展カタログ
19世紀フランス、アレクサンドル・ドフォーの「農家の庭」です。
この羊なのである、カスティーリア・レオン地方などの中央部高地(メセタ)スペインを形成したものは。
従ってそれはスペイン自体を形成した、と言っても、それはほんの少しの誇張ということで許容量のなかに含まれるであろう。
スペイン・カトリックが追い詰められて南征の根拠地とした北部は山だらけの、何も生んではくれぬ土地である。
しかも、その山地から南へ打って出ても、中部高原もまた、地味の痩せた農耕不適地である。
そこで、羊を主とする牧畜が可能なほとんど唯一の生業であった。
農耕は多くの人手を必要とするが、牧畜となれば、一人で数十、数百匹くらいはまかなえるであろう。
食べさせる草がなくなればあるところに移動して行けばよろしい。
かくて、この国の歴史に大きな刻印を残すことになるメスタという制度が出来上った。
メスタとは、いわば牧羊協同組合のようなものであるが、これに入れるのは貴紳だけであって、これが王室と結んで様々な特権をもっていた。
その特権中最大のものは、羊の群れの通行権である。
百姓は農地に垣をつくってはならなかった。羊のお通りの邪魔になるからである。
(略)
この羊の大群からとれるいわゆるメリノ羊毛が、王室の収入源中最大のものであった。
しかしそれも要するに他のヨーロッパ諸国に対する原料提供というにとどまり、羊毛産業自体が成長するのはずっと後になってからのことであった。
羊毛の密輸出は死をもって罰せられた。
この羊毛の最大のお得意先は、英国とフランスであった。
堀田善衞の「スペイン断章」の中に、以前お話したスペインの移牧について触れられた章がありましたので、ご紹介を。
メリノ種については、こちらをご参考にぜひ。
Dr.アスリープ
ASLEEP BEDROOM PROJECTのプロジェクトリーダー。
日本の眠りの問題を解決するため、眠りを研究し続けている。
寝装品ブランド「ASLEEP」のキャラクター「Dr.アスリープ」が、白衣をまとった羊です。サイト内で「睡眠力チェック」などもしてくれます。
羊鍋はまず食べる羊を選ぶところからはじまる。
羊を飼っている牧民だからあたりは羊だらけである。
アユーシが一匹を選んだ。選定基準は一番近くにいたから、のようだ。
プロレスのヘッドロックのようにしてゲルの裏の草はらに連れてくる。
前肢と頭を腕でかかえ込むと、羊は人間の進む方向へ自分の肢で歩く。
そうするしかほかにやることがないからである。
椎名誠のモンゴル大草原紀行、「草の海」です。「肉の中で羊が一番好き」(本文より)という椎名氏が、訪れた先で受けた歓待を描く一章から。