カラヴァッジオの数多い「洗礼者ヨハネ」のうち、ローマのボルゲーゼ美術館のものです。
カラヴァッジオの聖ヨハネは、これまでにカピトリーノ美術館のものや、バーゼル市立美術館のものなどをご紹介しています。
カラヴァッジオ、ボルゲーゼの「洗礼者ヨハネ」
多岐亡羊
楊先生の隣人が羊を一匹逃がしてしまった。
そこで彼は家中の者どもを引きつれた上に、先生のところの召使まで借りていって、羊のあとを追っかけるという騒ぎ。
先生が「ああ、たった一匹の羊を逃がしただけなのに、どうしてそんなに大勢の人間をかり出して追っかけるのだ」ときかれると、その隣人がこたえた。「なにぶん枝路が多いので。」
やがて一同が帰ってきたから、先生が「羊をつかまえたか」ときかれると、「いや、逃がしてしまいました」という。
「どうして逃がしてしまったのか」ときかれると、「枝路の途中にまた枝路があって、どっちへ逃げたのか分かりません。それで帰ってきたのです」とこたえた。
(略)
「つまりこうだよ。大きな道は、枝路が多いから羊をとり逃がしてしまうし、学問をする者も、やり方がいろいろあるから生き方が分からなくなってしまう。
(略)
ただ根本はみな同じであり一つである原点に立ち帰りさえすれば、「道」と一体となって、利害得失の煩わしさから免れることができるのだ。」
故事成語「多岐亡羊(岐路亡羊)」の出典、列子説符篇の一章です。
ヒヒが羊を守る ナミビアの珍事
「あのね、ムツさん、ヒヒが羊を守るというのよ。ライオンがいるし、チーターがいるし、こんな所で羊を放牧してると危ないでしょ。ヨーロッパでは犬が羊を守ってきたけど、ヒヒが守るってのは面白いよ」
それは初耳だった。ヒヒは、サルの仲間だ。大きな群れをつくり、岩山などに住み、猛獣とだって闘う勇敢な動物である。
行ってみた。私は叫んだ。
「ジェルミ、ありがとう!さすが、ジェルミ!」
嘘ではなかった。なんと羊の上にヒヒがのって、辺りをへいげいしていた。
和辻哲郎 「イタリア古寺巡礼」
もう一つ注意をひいたのは、絵の構図の簡素なことである。
六面の絵のうちでは<よき羊飼い>の図が一番複雑で、あとはもっと簡単にできている。
(略)
この図が複雑になっているのは、羊や草や岩などを並べたからであって、人物を組み合わせたからではない。
これでも羊が多すぎるといえばいえないこともないが、しかし牧場に動いている羊の群れのことを思うと、これはまず極度の簡単化だといってよいであろう。
その羊や草が背景として人物よりも引っ込んだ別の層になっているのでなく、人物と同じ層に人物を囲んで置かれていることも、ほかにないことである。
このように自然を重く取り扱うということ、自然と人物とがちょうど平衡に釣り合っているということは、どうもヨーロッパ風の感じでない。むしろ東洋風といってよいものであろう。
和辻哲郎の「イタリア古寺巡礼」より、ガラ・プラキディア廟堂のモザイク「善き羊飼い」について語られた部分です。
クチャ 石窟寺壁画
天山南路最大のオアシス、クチャ。
七世紀初め、玄奘が「伽藍百余か所、僧徒五千余」と記したように、この周辺には仏教遺跡が少なくない。
著名なものにクムトラ、キジル、スバシなどの石窟寺群がある。
仏教は、パミールの高嶺を越えた西域で独自の仏教美術を生んだ。
石窟寺の壁画の内容には西域色の強いものがあり、美術・風俗史上の好資料となっている。
エルミタージュ美術館におさめられた、クチャの石窟壁画。
天井に描かれた黄道十二宮の、牡羊座と牡牛座のあたりです。
ウィリアム・J.ウェッブ 「迷える羊」
ウィリアム・ホルマン・ハントに強い影響を受けたラファエル前派の一人、ウィリアム・J.ウェッブの「迷える羊」です。
ハントは、以前「雇われ羊飼い」をご紹介しています。ウェッブが受けた影響のうちに、「羊好き」というのもあるようですね。
「迷える羊」というモチーフについては、こちらやこちらでどうぞ。
祇園祭山鉾 保昌山前掛
保昌山(ほうしょうやま)
恋のために花を手折ってくる姿を表しているので、明治初年までは『花盗人山』と呼ばれ、親しまれてきた山。
前掛と両胴掛が円山応挙の下絵として特に有名である。
また、その下絵が三点共屏風に仕立てられて大切に保存されている。
祇園祭の山鉾のひとつ「保昌山」の前掛、「蘇武牧羊図」です。
「蘇武牧羊」については、李白の「蘇武」を、
円山応挙は、「群獣図屏風」と「黄初平図」をご紹介しています。
ミレー 「二人の羊飼いの少女」
ジャン=フランソワ・ミレーの「二人の羊飼いの少女」です。
ミレーの少女羊飼いを描いたものは、「雁」、「小さな羊飼い」、「羊飼いの少女」などをご紹介しています。
旧約聖書 雅歌
あなたの歯は洗い場から上ってきた
雌羊の群れのようだ。
みな二子を産んで、一匹も子のないものはない。旧約聖書 雅歌 第四章及び第六章
旧約聖書の雅歌より。
愛する人を賛美しつくした詩のなかで、その歯が羊にたとえられています。真っ白なのですね。
「ちいさなひつじフリスカ」
また いいことを おもいつきました。
さくらの きのしたにいって
はなびらを どっさり のせてみたのです。
ロブ・ルイスの絵本、「ちいさなひつじフリスカ」です。
羊のフリスカは、自分が小柄なのを気にしています。冬は雪をのせたり、春は花びらをのせたりして、体を大きくみせようとしますが、うまくいきません。そんなある日、羊たちは狼に狙われてしまうのですが……?
トマス・ゲインズバラ 「羊飼いと羊のいる風景」
18世紀イギリスの肖像画家にして風景画家、トマス・ゲインズバラの「羊飼いと羊のいる風景」です。マンチェスター市立美術館所蔵。
荘子 内篇 逍遙遊篇
窮髪之北有冥海者、天池也、
有魚焉、其廣數千里、未有知其脩者、
其名爲鯤、
有鳥焉、其名爲鵬、
背若泰山、翼若垂天之雲、
搏扶搖羊角而上者九萬里、
絶雲氣負?天、然後圖南、
且適南冥也、
窮髪(きゅうはつ)の北に冥海ある者、天池なり。
魚あり、其の広(はば)は数千里、未だ其の修(なが)さを知る者あらず。
其の名を鯤(こん)と為す。
鳥あり、其の名を鵬(ほう)と為す。
背は泰山の若く、翼は垂天の雲の若し。
扶搖(ふよう)に搏(はう)ち羊角(ようかく)して上ること九万里、
雲気を絶(超)え青天を負いて然る後に南を図り、
且(まさ)に南冥に適(ゆ)かんとするなり。
北極不毛の地のさらに北に大きな海があるのは、天の池である。
そこに魚がいて、その体のはばは数千里、その長さの方はだれにも見当がつかない。
その名は鯤(こん)という。
そこにまた鳥がいて、その名は鳳(ほう)という。
背中はまるで泰山のようであり、翼はまるで大空いっぱいに広がった雲のようである。
〔さてこの大鳳は、〕はげしいつむじ風に羽ばたきをすると、くるくる螺旋を描いて九万里もの上空に舞い上がり、
雲気の層を越え出て青い大空を背負うと、そこで始めて南方を目ざして
南の海へと天翔ろうとするのである。
「荘子」冒頭の逍遙遊篇より。
図南鵬翼の寓話の中で、螺旋を表現するために「羊角」という言葉が使われています。