「荒野の羊飼い」

ひつじ話

ケパは羊の一隊を見わたした。先頭の羊はちゃんと先頭に立っていた。黒羊は決められた場所にいた。
列の中ほどを行く羊は中ほどに、一番あとから行く羊は一番あとについていた。
羊たちを見ても、生きた羊毛のよせ集めではなく、一頭一頭、がつくようになるだろうと、ティオ・マルコはいっていたが、そのとおりだった。
羊飼いはどうやって羊たちの区別がつくようになるのだろうか、とケパは思った。
ぼくが区別がつくようになったのはいつだったろう? 何に教わったのだろう?
ケパは考えてみたが、答えられなかった。
それは羊飼いが通る羊の道のなぞだった。

アン・ノーラン・クラークの児童文学「荒野の羊飼い」です。
スペインのバスク人である主人公の少年は、牧羊業者として成功した名づけ親を頼って単身アメリカへ渡ります。
アイダホの大草原が少年に与えた多くの試練は、彼を大きく成長させ、そして。

記事を読む   「荒野の羊飼い」

仰向けに転がって命を落とす羊

ひつじ話

羊は仰向けに転がって命を落とすことがある。
この行動は伸びた毛を刈るまえの初夏、ただならぬ数のノミにたかられてかゆみに苦しんでいるときのものだ。
羊は背中を掻くために地面に転がるが、羊毛の重さで、立ち上がれなくなる。
その状態で動けなくなると、ふたつの理由のいずれかで命を落とす。
ひとつはカササギやカモメに襲われて目玉をえぐられるというもの。
もうひとつは体内で発生したガスが羊の胃を熱気球のように膨張させるというものだ。

動物雑学集「なぜ、パンダは逆立ちするのか? 」より。
想像するだけで、頭を抱えて転げ回りたくなるわけですが。

記事を読む   仰向けに転がって命を落とす羊

「奇怪動物百科」

ひつじ話

小人族(ピュグマエイ)
小人族(ピュグマエイ)
彼らはすでに最古の古典、ホメロス『イーリアス』で言及されている。
(略)
アリストテレスによると、(略)背丈にあった山羊や子羊に乗って鳥たちとの戦闘に出かける。
(略)
プリニウスも小人族については何度か語っているが、とくに次の一節―「(略)毎年、春になると、彼らは山羊に乗り、矢をたずさえ、大集団をなして海岸へ行き、鶴の卵や雛を殺すということだ。
羊毛めんどり
ジョン・マンデヴィル卿は「世界で最上の王国であるマンジ(中国の揚子江の南部地方)で、白いめんどりを見たが、それには羽根がなく、かわりに羊のような毛をつけていた」という。

ジョン アシュトン「奇怪動物百科」より、「小人族(ピュグマエイ)」と「羊毛めんどり」を。
小人族のお話は、オラウス・マグヌス「北方民族文化誌」で、一度ご紹介しています。
マンデヴィルについては、植物羊関係でなんどかお話しているのですが、ほかにもこんなことが書かれていたのですね。

記事を読む   「奇怪動物百科」

ボッティチェッリ システィナ礼拝堂フレスコ画

ひつじ話

ボッティチェッリ 「モーゼの生涯から」 「モーゼの生涯から」(部分)
さて、ミデヤンの祭司に七人の娘があった。
彼女たちはきて水をくみ、水槽にみたして父の羊の群れに飲ませようとしたが、羊飼たちがきて彼女らを追い払ったので、モーゼは立ち上がって彼女たちを助け、その羊の群れに水を飲ませた。

 「旧約聖書」出エジプト記

サンドロ・ボッティチェッリによる、モーゼの生涯を描いたシスティナ礼拝堂のフレスコ画です。モーゼがのちに妻となる娘を助ける場面が、中央に描かれています。

記事を読む   ボッティチェッリ ...

みや こうせい 「羊と樅の木の歌」

ひつじ話

さっきまで野に放たれていた計五百五十八頭の羊たちはすべて牧柵の裏側のたよりない檻に追いこまれてひしめき、鳴き続けている。明るく華やかな雰囲気が丘の頂きには溢れている。いよいよ、ポイエニの人びとが待ちに待った羊の祭典、牧羊祭がはじまるのだ。
(略)
司祭はすばやく金色の法衣を着ると、先に着いて祈祷儀式の準備をしていた輔祭とツイカ(プラムブランデー)を飲みかわす。祈祷文を唱えるため、彼はひとつ咳をして、香りがよく乾燥した聖なるブスイオク(和名メボウキ)を右手につかみ、羊たちの檻の裏側に回った。
司祭は羊が病気にかからぬように、乳がよく出るように、また神の加護の多からんことをと唱え、ブスイオクを水にひたし、それを羊たちの背に振りかけてやる。輔祭は香炉を十字に振って、司祭の祈祷に続いて厳かに歌唱する。羊たちは早く檻の外へ出たくて、押し合いへし合いしている。

著者が「民俗学の生きた博物館」と呼ぶ、ルーマニアはマラムレシュの生活誌から、ポイエニ村の祭りの場面を。
みやこうせいは、写真集「羊の地平線」をご紹介しています。

記事を読む   みや こうせい  ...

史記 項羽本紀

ひつじ話

因りて令を軍中に下して曰く、
「猛きこと虎の如く、很(もと)ること羊の如く、貪ること狼の如く、強くして使うべからざる者は、皆これを斬らん」と。

史記、項羽本紀より。
のちに項羽によって滅ぼされる楚軍の上将軍宋義が、項羽にあてつけた指令を出す場面。
「很(もと)る」とは「ねじける」くらいの意味ですが、中国では羊に対してそんなイメージがあるのでしょうか。

記事を読む   史記 項羽本紀

安部公房 「羊腸人類」

ひつじ話

A  そうそう、シーソーゲームでしゅ。このままほうっておけば、人類は破滅するしかありましぇん。そこで、人類がすすんで、羊の盲腸の移植をすれば、草でも、ワラでも紙でも、自由に食えるようになる。人類が、飢えから、解放される。戦争もなくなる。世界の平和でしゅ!
司会者  つまり、羊の盲腸を移植すれば、紙でも、草のセンイでも、自由に消化できるわけなんですね?

安部公房のドラマ脚本、「羊腸人類」です。
人類を食糧問題から解放する画期的な手段、それは羊の盲腸を移植することだった! しかし、それは最初から大きな矛盾を含んだもので……?

記事を読む   安部公房 「羊腸人類」

日本書紀 推古天皇七年

ひつじ話

日本書紀 巻第二十二
豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと)   推古天皇
(略)
秋九月(ながづき)の癸亥(みづのとのゐ)の朔(ついたちのひ)に、百済、駱駝一匹・驢(うさぎうま)一匹・羊二頭・白雉(しろききぎす)一隻を貢(たてまつ)れり。

日本書紀、推古紀から。
上の記事によると、推古天皇即位七年に、「羊」と呼ばれる動物が百済から日本に贈られたようです。
日本で最も古い「羊」の記録なのですが、現在の我々が考える羊かどうかは微妙です。山羊かも
ちなみに、「うさぎうま」とはロバのことらしいです。

記事を読む   日本書紀 推古天皇七年

雄羊の頭蓋骨

ひつじ話

雄羊の頭蓋骨
雄羊の角は身を守るために使われるが、群れのボスを決めたり雌を獲得するためにほかの雄羊と闘うときにも使われる。
角は厚くて丈夫な前頭骨にしっかりと埋め込まれているので、激しい頭のぶつけ合いに耐えられる。

雄羊の頭蓋骨です。
……あ、そうか。って、骨なんだ(今頃なにを)。

記事を読む   雄羊の頭蓋骨

金唐革

ひつじ話

金唐革
きんからかわ(金唐革)―羊または仔牛の革に銀箔を貼ってプレス機でエンボスを作り、金色に見せるための黄色系ワニスを塗り、絵の具で百合や撫子、菊、葡萄、ざくろ、蛇、鳥、イルカ、唐草、キューピッドを描いたもの。
ヨーロッパでは壁革、ついたて、椅子革に使われ、日本ではタバコ入れ、巾着、文庫に使われた。

皮革をベースにした工芸品、金唐革について。写真はハーグ市立博物館蔵、18世紀の屏風。
日本では、輸入された本来の革製品のほかに、平賀源内が模造品である「金唐紙」を考案しています。
ウールを自足しようと羊を飼ったのと、めざした方向はたぶん同じですね。

記事を読む   金唐革

「かえでがおか農場のなかまたち」

ひつじグッズ

「かえでがおか農場のなかまたち」
メエは いつも まいごになるし、農場の入口もみつけられません。
じぶんの子ヒツジが どれかも、わからなくなるので、こまって、よくないています。
どの草はおいしくて、どの草には どくがあるかも、わかりません。だから、よく おなかをこわします。
毛をかられるときは、こわくて、きぜつします。

アリスとマーティン・プロベンセンの「かえでがおか農場」シリーズの一冊です。
農場で飼われているたくさんの動物たちのなかの一頭、羊のメエの味のあるエピソード。気絶って。

記事を読む   「かえでがおか農場のなかまたち」

「モンゴルの黒い髪」

ひつじグッズ

「モンゴルの黒い髪」
おとこたちも ぶじに かえってきました。
そうげんに モーリン・フールのねいろが ながれ
ひとびとは へいわなくらしに もどりました。

バーサンスレン・ボロルマーの絵本です。
草原を守るための戦いが終わったあとの、ひとびとの祝宴のシーンに、シュースが。
ちなみに、モーリン・フールとは、馬頭琴のこと。

記事を読む   「モンゴルの黒い髪」

シェイクスピア 「ヘンリー六世」

ひつじ話

おい、わが同胞たち! とって返せ、もう一度戦うのだ、
でなければ、おまえたちがつけているイギリスの紋章から
獅子をもぎとり、かわりに羊の紋でもつけるがいい。
羊が狼から、馬や牛が豹から逃げるときだって、
いまおまえたちが、これまでさんざんやっつけてきた
奴隷どもから逃げるような、卑怯な逃げかたはしないぞ。

シェイクスピアの史劇「ヘンリー六世 第一部」より。
オルレアンの戦いでジャンヌ・ダルクに追いつめられた、イングランド軍の勇将トールボットの台詞です。
……羊の紋、だめですかね?

記事を読む   シェイクスピア 「ヘンリー六世」

マルコ・ポーロ 「東方見聞録」

ひつじ話

パミェル地方
ヴォカンを出発してずっと山岳地帯ばかりを三日間にわたり東北行すると、世界で最高の土地だといわれる場所に至る。
(略)
とりわけ大型の野生のヒツジがおびただしく棲息している。
その角は優に六スパンにも達し、最も短いものでも三―四スパンを数える。
牧羊者たちはこのヒツジの角で食器椀を造るし、またこれを材料として柵を巡らし夜間その家畜を入れておく囲いをしつらえる。
ところで他方ではオオカミの数もおびただしく、これら野生のヒツジでその餌食となるものが多いから、至る所にその骨や角が散乱しているのを見受ける。
この遺体の骨や角を集めて道路沿いに堆積が作られており、これが積雪時における旅行者への道しるべの用をなしている。

マルコ・ポーロ「東方見聞録」より、パミール高原についての記述です。
訳注によると、スパン(span)は約23?とのこと。巨大ヒツジです。

記事を読む   マルコ・ポーロ 「東方見聞録」

金羊毛諸説

ひつじ話

『イリアド』によると、ヤソンがひきつれたアルゴノート一行は快速船アルゴノートに乗り込んで、コルチス、すなわち、今の黒海の東海岸アルメニア地方に、金羊皮を求めて遠征している。
もちろんその目的が黄金色の羊皮を得るためだけではなくて、実際は黄金を獲得するためであったという説もある。
この説によると、古代には黒海の東海岸付近から多量の砂金が産出した、そしてその砂金を採取するときには、それを含んだ水を羊皮の上を通過させ、そしてその途中で羊毛の間に沈殿した砂金をとり出した。
そのことから黄金を含んだ羊皮という意味で金羊皮といわれていた。
したがって羊皮よりはむしろ黄金獲得が、アルゴノート遠征の目的であった。
(略)
ところで金羊皮そのものの獲得が目的であったとする説によると、当時前アジア地方の羊毛は未だ完全な白色ではなく、その毛の色はむしろ黄色であったため、この金羊皮の名が生れたという。
この両者の説のいずれが正しいかは、ここでは問題ではない。ただ黒海の東海岸、すなわちアルメニア地方に羊毛がすでに古い時代に産出されていた事実が明らかにされればよい。

加茂儀一「家畜文化史」より、人による羊毛利用の発生地についての考察のなかに、興味深い一文が。
アルゴノート遠征については、「転身物語」をご紹介しておりますので、ご参照ください。

記事を読む   金羊毛諸説

PAGE TOP