蘇武について、『十八史略』から紹介する。
武帝の天漢元年、中郎将蘇武を遣わし、匈奴に使いせしむ。単于(ぜんう)之を降さんと欲す。武を幽して大窖(たいこう)の中に置き、絶えて飲食せしめず。武雪を嚼み栴毛(せんもう)と併せて之を咽む。数日なるも死せず。匈奴以って神と為し、武を北海の上の人無き処にうつし、羝(てい)を牧わしむ。曰わく、「羝乳せば乃ち帰るを得ん。」と。
武帝の天漢元年(前100)、中郎将の官にある蘇武を派遣し、匈奴に使いさせた。単于は彼を降伏させようと思った。しかし、匈奴に降伏しないため蘇武を大きな穴蔵に閉じこめ、まったく飲食させなかった。しかし、蘇武は雪と毛織物の毛を嚼み、いっしょに飲み下して食をつないだ。だから数日しても死ななかった。匈奴は蘇武を常人ではなく神であろうと思い、蘇武を北海のほとりの人の住まない場所に移し、雄羊を飼わせた。そして言うには、「子を産むことのない雄羊が子を産んだら帰してやろう。」と。
蘇武は、囚われの身にありながら本国への忠節を全うしたことで知られる、前漢の武人です。帰国に至る長い期間を羊飼いとして過ごしたことから、「蘇武牧羊」という成語が生まれました。
こちらの「漢詩の旅2 シルクロード」には、李白のうたった「蘇武」が収録されていますので、下に。
蘇 武 在 匈 奴 蘇武 匈奴に在り
十 年 持 漢 節 十年 漢節を持す
白 雁 上 林 飛 白雁 上林に飛び
空 伝 一 書 札 空しく伝う 一書札
蘇武は匈奴に捕らえられること十年、
その間、漢節を手放さなかった。
白い雁が、天子の狩り場、上林苑に飛来し、
雁の足に結ばれていた一通の手紙によって蘇武の生存が判明した。
牧 羊 辺 地 苦 羊を牧して 辺地に苦しみ
落 日 帰 心 絶 落日 帰心 絶ゆ
渇 飲 月 窟 水 渇しては 月窟の水を飲み
飢 餐 天 上 雪 飢えては 天上の雪を餐す
蘇武は羊の放牧をしながら、辺境の地で苦しみ、
夕日を見ては、漢への帰還の夢も絶えてしまっていた。
のどが渇いては、月の洞窟の水を飲み、
飢えては、大空から降る雪を食べて命をつないだ。
東 還 沙 塞 遠 東に還って 沙塞 遠く
北 愴 河 梁 別 北に愴む 河梁の別
泣 把 李 陵 衣 泣いて李陵の衣を把って
相 看 涙 成 血 相看て 涙 血を成す
匈奴から東の都に帰ることになったが、沙漠の漢の砦は遠く、
北を振り返っては、川にかかる橋の付近で別れた李陵が痛ましく思われる。
泣きながら匈奴に残る李陵の衣服を握って、
互いに見合いながら血の涙を流した別れが、いつまでも思い出される。