獣がいる、その状は羊の如く、九つの尾、四つの耳、その目は背なかにあり、その名はハクイ。これを佩びると畏(ものおじ)しない。
山海経シリーズです。今回はハクイ。キツネならぬ九尾の羊です。
山海経からは、今までに、土螻、ホウキョウ、葱聾、シンヨウをご紹介しています。
ひつじ(ヒツジ、羊)のニュース、画像(写真)、グッズ、サイト、牧場などを紹介するひつじサイト。あなたの好きな羊もたぶん見つかります。
獣がいる、その状は羊の如く、九つの尾、四つの耳、その目は背なかにあり、その名はハクイ。これを佩びると畏(ものおじ)しない。
山海経シリーズです。今回はハクイ。キツネならぬ九尾の羊です。
山海経からは、今までに、土螻、ホウキョウ、葱聾、シンヨウをご紹介しています。
ゾロアスター教には、変身譚の他に、シャーマニズムとの関連で気をつけて見ていかなければならぬものが、もう一つあります。それは『アヴェスタ』の「ザームヤズド・ヤシュト」に出てくる、クワルナフ(光輪)というものです。クワルナフはある英雄から飛び去って次の英雄に付く、それからまた飛び去るという事をいたします。
(略)
次に羊、これはゾロアスター教の光輪、すなわちクワルナフに関係します。ところで、カウィとは、イラン最古のペーシュダード朝に次ぐ、伝説的な王朝の名ですが、後には帝王の代名詞的意義をもって使用される。そして、カウィのクワルナフは、帝王権そのものを指すようになります。例えば、中世ペルシア語の文献に『アルダシールの行伝』というのがあります。そこで、アルダシールが、パルティアのアルタバノス五世の女を誘惑して逃亡する場面があります。この逃亡者の後を、羊が追いかけて行く。そして羊は追いついて、アルダシールと一緒になる。アルダシールは、アルタバノス五世を破って、ササン朝を開くわけですから、その時に、パルティアにあったクワルナフが、ササン朝のアルダシールに移ったと解釈すべきです。そこで、羊はクワルナフの象徴であるわけです。
何故、羊は王朝と結びつくのでしょうか。これも、エジプト的な背景を考えることが可能です。エジプトの王様の持つ笞や笏は、元来、羊飼いの蠅払いと杖に起源があるとされます。また、雄羊は生殖力が強いので、その象徴として、雄羊の頭をした神があります。ナイル川の神、クヌームです。この神は、国王を捏ね上げて作ったとされ、それを示す浮彫もあります。ギリシア語ではアルサペースと称される、ハリシェフ神も、やはり羊頭で表されます。このアルサペースは、ギリシア人により、ヘラクレスと同一視されました。ヘラクレスとウルスラグナの関係を考えれば、この神も無視できません。
ウルスラグナは、古代イランで崇拝され、ヘラクレスとも同一視された、ゾロアスター教の戦勝神です。この神様は、牛や馬、ラクダ、雄羊といった動物に変身するのですが、上はそのうち、なぜ羊なんかに化けるのかについての、解説の抜粋です。・・・ええと、ということは、ササン朝は、羊が憑いて成立した、ということで良いんでしょうか。
新ひだか町三石富沢のトミオカ農場(富岡協(きょう)代表)で、珍しいヒツジの四つ子が誕生し、すくすくと育っている。
母ヒツジは今年六月に購入したばかり。その当時から妊娠しており、十四日夜、出産した。ヒツジは乳房が二つしかなく、通常は多くても三つ子まで。同農場でも四つ子は初めてという。
四つ子は雌雄、二頭ずつ。体重一・五?二・五キロと平均よりも小さいが、いずれも元気。わらの上をよちよちと歩いては、農場の人たちのほほ笑みを誘っている。
富岡さんは昨年、農場の名刺に幸運を呼ぶ四葉のクローバーのイラストを入れたばかりで、四つ子の誕生に「クローバーのおかげかな」と喜んでいる。
“人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ!”
あの月面着陸は田舎町(羊の町)から発信された。
いつか取り上げようと思いつつ忘れていましたが、ジャケットでのヒツジ存在感が強い「月のひつじ」(原題:The Dish)です。
アポロの月面着陸を中継するのに、南半球にはNASAのパラボラアンテナ(Dish)がないためオーストラリアの田舎にあるアンテナから中継を行う――という話なんですが。
そのアンテナの周囲に羊しかいません。が、こんなに主張するほど画面にヒツジは出てきません。主にオヤジたちばっかり出てきて進行する映画なのです。ひつじものとしては微妙……?
(ガサガサっ)
警備員「……そこにいるのは誰だっ!?」
ヒツジ「Baaaaaaaaaaa!」 (走り去る)
というシーンがあったりします。夜なので鳴き声だけなのですが。
ジャン=フランソワ・ミレーの「羊飼いの少女」です。オルセー美術館所蔵。
こちらをふくむ、ミレーの羊飼いを描いた作品についての興味深い解説を見つけましたので、下に。
冬近い季節らしく厚い頭巾や肩掛けをまとって広い野面を背に、編みものや糸紡ぎをしながら羊の番をしている。 (略) 男の牧人の場合、当時は「得体の知れない、神秘的な存在」とか、星の運行を調べ、天体を探り、時刻を当てる「注意深い自然の観察者」とみなされていたようだが、娘たちはもっと単純で、作者のあたたかな視線が感じとられ、つねに可憐で親しみ深い。
「ゴッホ、ミレーとバルビゾンの画家たち」展図録
ミレーの描く「神秘的な男の牧人」としては、以前ご紹介した「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」がその代表になるでしょうか。神秘的で、崇高で、・・・ちょっと怖い?
羊飼いというものを、もしもその理想的な面だけを見るとしたら、想像でその羊飼いは、わけもなくひとりの夢想家、瞑想的な人物に仕立てられてしまう。いくつもの遊星とことばをかわす。彼は星々と話しあう。彼は天空を読む。が、ほんとうのところは、彼は無学でうすぼんやりした動物にも近い人間なのだ。しかし、世間は、羊飼いなるものには超自然的な資質がある、といともたやすく信じこむ。彼は呪いを知っている。自分の気分のおもむくままに、呪いを育て、人びとや獣らに―いずれも同じように―呪いをかける。彼はご自慢の火薬を売る。人は彼から、媚薬と処方箋を買う。彼は田野に魔法の石を投げて、不毛なものに変えてしまうかもしれない。ただ左目で見つめるだけで、牝羊に仔ができないようにしてしまうのではあるまいか?
ジュール・ヴェルヌの小説「カルパチアの城」から、登場人物のひとりである羊飼いについての描写です。前にドーデーの「星」ををご紹介しましたが、似てます・・・ね。こういう共通のイメージがあるのですね。
なお、「カルパチアの城」を原作にした、 「カルパテ城の謎」というコメディ映画があるそうです。・・・コメディというのが気になりますね。観てみたいです。
「芸術の秋」が深まる中、陶芸の里で知られる滋賀県甲賀市信楽町で、ひと味違った陶芸の作品展が開かれ、訪れる人を楽しませている。
■電灯模様映す
「まあ、きれい」。同町長野の陶成アートギャラリーで「陶あかり展」が開かれ、ロマンチックな陶器の照明に感嘆の声が上がっている。
東近江市の陶芸家大久保弥一さん(54)が手がけた。縫い針などで細かい穴を開けて星空の下の羊などさまざまな模様を描いた陶器を焼き、内部の電灯で模様を影絵のように映し出している。
信楽焼の照明器具でもここまで繊細なものはないといい「神戸のルミナリエのよう」との声も。26日まで。無料。
大久保 弥一 陶あかり展 展示風景
スペインでは今、都市化が伝統としてきた酪農産業に深刻な影響を与えています。こうしたなか、ある動物を「動員」してこんなパフォーマンスが行われました。
スペインの首都、マドリードに突如現れた羊の群れ。実はこれ、今年で13回目を迎える羊と羊飼いたちの抗議運動の様子です。
スペインでは酪農産業を伝統としてきましたが、年々都市化が進み、羊などの家畜が季節がわりに牧草地を移動するための道が減っているそうです。
スペイン国内には12万5000キロにもおよぶ家畜用の道があり、中には800年の歴史を持つものあります。しかし、都市化の影響で住宅や高速道路などに変わってしまった道も少なくありません。
今年はおよそ700頭の羊が参加、マドリードの中心部はメーメーという羊たちの抗議の鳴き声で溢れ、思わず交通も一時とまってしまうほどの熱気に包まれました。
スペインの首都・マドリードの中心部で12日、一風変わった抗議パレードが行われた。
大都会の道路を埋め尽くしたのは、約700頭の羊。都市部の拡大に抗議する酪農家の団体が毎年行っているパレードで、年々減少する牧草地の保護を訴えた。
スペインでは、季節の変化に合わせて家畜を移動させる「移牧」が行われるが、近年、高速道路の建設や住宅地の拡大で、昔からのルートが阻まれつつあるという。
暇さえあればひつじなものを撮っていますので、たまには載せておこうかと思います。
いや、いつもいつも文字ばっかりなのもアレですし。
Shepherd 羊飼い、牧者
羊飼いは、あらゆる群集を導き保護する者、救済者、である。羊飼いは死者の魂の導者でもあり、そこから死者を支配する神と結びつけられるが、この神は羊飼いの牧杖を持物とする。<善き牧者>は、シュメール、イラン(ゾロアスター教)、ユダヤ、オルフェウス教、ヘルメス思想、ピタゴラス主義、チベット、キリスト教など、多くの伝統文化に見られる。
【古代近東】 植物の神でありまた羊飼いであるタンムズは、群れの保護者である。アミュノスとマゴスは、フェニキア人に牧畜を教えた。
【チベット仏教】ダライ・ラマは、いわば<いと慈悲深き善き牧者>たる観音菩薩の化身といわれる。
【キリスト教】羊飼いは、<善き牧者>キリストとして、キリストの人間性と憐れみの心をあらわし、さらにまた迷える者のとりもどし、を象徴する。
【エジプト】神ラーは「万人の<牧者>」である。エジプト王はその民を導く羊飼いである。
【ギリシア】羊飼いオルフェウスは<善き牧者>で、持物として肩に牡羊あるいは仔山羊を載せている。ヘルメス・クリオフォロスすなわち「雄羊を抱く」ヘルメスも、<善き牧者>である。牧神パンは牧夫であり、神ヘルメス/メルクリウスは魂の牧者である。
【ヒンドゥー教】シヴァ神は牧夫であり、神クリシュナは牛飼いや牛の世話をする若い女たちと結びつけられる。
【イラン】<黄金時代>の王イマは、太陽の目をもつ<善き牧者>で、不死の秘密を握っている。
【イスラム】「「神の栄光は羊飼いたちのあいだにある」。
羊を肩にのせた羊飼いの姿がとても気に入ったので、「世界シンボル辞典」で「羊飼い」を引いてみたら、たいへんなことになってしまいました。羊飼いイメージは、世界中に満ち満ちているようです。うう、どこから手をつけたものか。
●アスモデ
破壊魔神。 (略) 遊戯場の総監を務め、放蕩や過ちの種をまきちらす。 (略) トビアは若い娘サラの体にとりついたアスモデを、魚の肝汁の煙を使って追い払い、天使ラファエルがこれをエジプトの果てに幽閉したという〔旧約聖書『トビア書』〕。 (略) アスモデは地獄で権力を誇る強大な王の一人で、三つの頭を持ち、一つは牡牛、一つは人間、一つは牡羊に似る。尾は蛇、足はガチョウ、炎のような息を吐く。 (略) アスモデは人間に“星まわりの指輪”を与え、透明になる術を教え、幾何学や算術や天文学や工芸術を教授する。宝のありかにも詳しく、かれに宝の発見を強いることもできる。
●説教
悪魔は教会の習慣をなにからなにまで真似るのが好きなので、サバトでは説教も行わせる。魔法使いはみんなこれを聞かねばならない。説教師の役はいつもアスモデが務め、魔女たちの証言によれば卑劣な悪行を説き勧めるという。
怪奇趣味全盛の19世紀フランスで読まれた、コラン・ド・プランシーの「地獄の辞典」から、一部がひつじな悪魔アスモデをご紹介。人に知恵を与え、放蕩を教え、苦手なものは魚の肝です。
サイズ:20cm×20cm
羊動説。宇宙の中心には月があり、羊を含めてすべての天体はその周りを公転しているのです。色違いもあったり。 |
ウール混のふわふわの甘織り糸で、長いリング編みしたボディ♪
しっぽ部分につぶらな瞳のついたひつじさんの顔を通してくださいね
どうかするとサンショウウオにも見えますが……ヒツジらしいです。 |
オックス動物プリントのキルトです。
白いのは誰だ。 |
ミュージアムグッズコレクション うちわ
重要文化財 倣梁楷黄初平図(雪舟筆)
前に紹介した小さな羊?倣梁楷黄初平図をうちわにしたものです。グッズなのか……。 |
何に用いられたものであろうか、石版の断片である。場面は、同じ考古館に保存されている類似した石版との比較によって、『創世記』第20章に記されている「イサクの犠牲」の左端の部分であろうと推測されている。 (略)
聖書によると、この羊は「藪に角を引掛けた牡羊」であるが、この石版では、羊はただ立っているだけである。そしてその背中から椰子らしい樹が、大きい葉を三枚つけて突き出ている。
動物の背中から樹が生え伸びているのは、実は東方文化圏で古くから発達した一つの型なのである。 (略)
このような表現は、おそらく動物と植物との間の輪廻転生を意味するのであろう。動物は植物を食べて生き、死んで地に還りまた植物を育てる。
イスタンブール出土の、7世紀の石灰岩浮彫です。前に樹下動物文様のお話をしたことがあるのですが、これはその続きになるでしょうか。
なお、「イサクの犠牲」についてはこちらに。