ピエールもその仲間も、たえず長旅をしていて、妻子も家も持たない。
動産(貨幣・羊群……)については、比較的に豊かであるが、多くの家財を買いためるわけにいかない。
足手まといの財産も定住者なら身辺に集めるが、羊飼いは移動しなければならないから限度がある。
ピエールはいつも「ものを持ち運びできるぎりぎりの範囲で」動いており、品物を集めず、むしろわずかを望むだけで、自分の欲望なり「消費志向」を他の形の「豊かさ」─これが家庭の代用となる─に変える道を選んだ。
すなわち、高原の放牧場や居酒屋での愛人とのかりそめの出会い、生れながらの兄弟や義兄弟、あい親、純粋の友情、仲間の結成に基づくゆたかな人間関係の網が心をたのしませる。
完全に心を開いて運命を受け入れた─そもそも、これが恩寵の定義ではなかっただろうか─からこそ成立つ、このような生活様式は善き羊飼いの気にいっている。
運命とは、目的地である。
彼にとって、自由とは羊のことなのだ。
(略)
この自由とは、気が向けば、異端審問が衣服に縫いつけさせた黄色の十字架を、高地の斜面の藪に投げ捨てることでもある。
ピエールには閑暇があるし、時には持場も離れる。
病気、寒気、苦しい旅など、みじめな日常を理想視するわけにはゆかないが、しかし羊群にも、自分や仲間にも、いつでも食物は見つかる。
乳、肉、チーズなど、蛋白質が不足することはない。
多くのカタリ派帰依者を出し、異端審問の悲劇を味わった、14世紀ピレネーの小村モンタイユー。しかしながらその審問記録は、過剰なほど尋問を重視した異端審問官ジャック・フルニエによって、結果的に社会史の貴重な史料ともなりました。
引用は、異端として記録に残されたモンタイユーの人々のうち、羊飼いのピエール・モリの生活を語る「羊飼いの気質」の章から。魅力的な人物とその人生観は、本書のなかで、ある種の救いとして描かれているように思われます。