善き羊飼い(続き)

ひつじ話

善き牧者》(および牧者のテーマ)
3?4世紀を通じ、《善き羊飼い》、《牧者》の姿を借りて使徒の魂の守り手、導き手を表現する図像が発達した。
(略)
ここに《善き牧者》と特に限定して指すのは、正面立像の牧者(若者又は老人)が肩に羊をかつぐ型のことである。(ルカ伝15章5節参照)。
これと同じ型は、すでに古代東方美術中に、生けにえを運ぶ供養者の姿として、またギリシア美術では《牡羊をかつぐヘルメス》として、表されている。
牧杖、牧笛その他牧人の持物や服装をそなえていることは勿論である。
他方、(略)牧人の田園生活を表す主題が、文学におけるのみならず、古代末期異教美術のレパトリーの重要な部分を占めていた。
《善き牧者》図像の登場と同時に、こうした異教起源の牧人のモティーフが大量にキリスト教美術中にも導入された。
山羊の乳をしぼり、牧笛を吹き、牧杖に体をもたせかけ、あるいは水辺に横たわって、休息する牧者たちの周りには、樹木や小丘、草を食む羊の群れ、番犬、藁小屋などが配され、牧歌的雰囲気をかもし出す。
迫害時代には、この種のローマ世界に慣例化していた牧歌的モティーフを意識的に利用することにより、信者のみにその意味を啓示する像として《善き牧者》の姿が巧みにおおい隠されていたのだと解釈してもよかろう。

カタコンベのフレスコ画ヴァチカン美術館の彫像をご紹介している、羊を肩にかつぐ羊飼いのテーマについて、良い解説がありましたので、あらためて。
聖書における羊飼いイメージの典拠として、福音書詩編もご参考にどうぞ。

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ラヴェンナの石棺

ひつじ話

石棺彫刻
(上) キリストの象徴としての仔羊。石棺。5世紀。ラヴェンナ、ガラ・プラキディア廟
(下) 象徴としての仔羊と十字架。石棺。5世紀。ラヴェンナ、ガラ・プラキディア廟。

イコノロジーの入門書「シンボルの遺産」の一章、「石棺のアルケオロジー」から。

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アルチンボルド「四大元素」(続き)

ひつじ話

アルチンボルドの絵に政治的な意味がひそんでいることにひとたび気づくと、そのほかの多くの細部までが特別な意味を持つものとしてたちあらわれてくる。
そのため、あるレヴェルでは四大元素に言及していると解釈できるような絵の要素が、別のレヴェルではハプスブルク家に対する引喩となる。
(略)
一方では、「火」の首の周囲に巻きついている金羊毛は、フォンテオによれば、その鎖が、いっしょになると炎を発する火打石や打ち金でできているように、「火」そのものを暗示している。
他方では、金羊毛はとりわけハプスブルク帝国の秩序をあらわし、中でも特に王家の秩序をあらわすと考えてよいのである。
「火」はまた大砲、火薬、芯などといっしょにされていることから、軍事に関係するものとみなすこともできる。
(略)
同様に「土」の絵もまたハプスブルク家の特徴をよくそなえている。
その肩には、コマニーニがライオンの皮と羊毛皮の勲章とみなしたものがのっている。
この二つはどちらもハプスブルク家のシンボルとして名高い。

以前ご紹介したアルチンボルドの連作「四大元素」の「火」および「土」について、画家の仕えたルドルフ2世の世界の解説書から。

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ペロー童話 「グリゼリディス」

ひつじ話

暇をみつけるとすぐ、大公はまた狩りに出て、
巧みにまいて
供の一行から逃げ出し、
首尾よく道に迷います。
念入りに観察しておいた
木々の梢、山々の高い頂、
忠実な恋心のひそかな忠告が、
見事な案内役をつとめたため、百もの交叉する道を
通り抜けたにもかかわらず、
羊飼いの娘の家を見つけました。
娘には一緒に住んでいる父親しかいないこと、
名はグリゼリディスであること、
羊の乳をしぼって静かに暮していること、
娘がだれの手もかりずに紡ぐ羊の毛で、
町に出かけるまでもなく、自力で
服をつくっていることを知りました。

シャルル・ペローの童話「グリゼリディス」を。
貞淑な妻の忍耐心を試そうとする暴君と、苦労の末に和解を果たす妃グリゼリディスのお話。引用はその冒頭、つつましい羊飼い娘だったグリゼリディスが大公に見初められる場面です。

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ヴェルレーヌ 「知恵」

ひつじ話

生け垣はむっくりした群羊の長い列、
やわらかに、どこまでも。
青いスグリの実の匂う
霞の奥には明るい海。
若草のみどりの上に爽やかに
遠見の木立、水車小屋、
ころげまわって戯れる
身軽な仔馬の群れもいる。
今日、駘蕩の日曜日、
よく肥えた仔羊たちも遊んでる
あくまでやさしく
まっ白く。
さきがた鐘が鳴っていた、
笛の音ほども澄んだ音を
ミルクのようにおだやかな
空いっぱいにみなぎらせ。

ヴェルレーヌの詩集「知恵」(堀口大学訳)から。

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毛織物産地 津島

ひつじ春夏秋冬

泉大津市で目の当たりにした「織物産業の町はひつじ好き」の法則は、他の町にはあてはまるのか。
というわけで、津島にやってまいりました。

愛知県の南西部に位置する津島市は、
古くから津島神社への参拝等で賑わいを見せ、
独自の華やかな文化を育てた由緒ある街です。
かの織田信長も愛したこの街を是非散策して、伝統の香りを感じて下さい。

うーん。観光の対象にはなってなさそうです。残念。
いやいやしかし、津島にはこれがあるのですよ。以前にも一度ご紹介しましたが、あらためて。天王川公園内に屹立する創業者像の足もとに、味のある顔をしたひつじたちが。

尾張地域の西南部には我が国最大の毛織物産地が形成されている。
この地域に毛織物業が誕生したのは明治38年津島の片岡春吉氏による純毛織物の創製に始まり、従来綿・絹・麻の機業地であったこの地方が、これを契機に順次毛織物産地へ変貌してきた。
毛織物を中心とする繊維工業は、 依然として当地域の基幹産業として地域経済に大きな影響を持ち続けている。

天王川公園内銅像 銅像(部分)
これで終わるのもなんですので、もうひとつ。
津島神社でお受けしてきた十二支のお守りです。石の色は、こちらの赤いもののほかに、緑とピンクと水色がありました。
津島神社お守り

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コクトー 「自画像」

ひつじ話

ギリシャ
そこでは大理石も海も、羊のように縮れていた、
そこでは絡み合った蛇が杖の飾りになっていた、
そこでは残酷な鳥たちが謎をかけてきた、
そこでは牧人が放縦な鷲を追った、

ジャン・コクトーの詩「自画像」より。
羊のような大理石と海、……って、なに? と思っていたら、澁澤龍彦のエッセイに以下のような一節が。

「ギリシア。そこでは大理石も海も、羊のように縮れていた」というジャン・コクトーの詩句があり、その洒落た言い回しが大いに私の気に入っているのだが、こうしたギリシアの印象を実感として把握するには、やはり実際に現地に足を運んでみる必要があるだろう。
アクロポリス美術館のアテナ・ニケ像も、エレクテイオンの屋根を支える少女たちの像も、その大理石の長衣の裾がおびただしい襞となって、まさに「羊のように縮れている」のである。
いや、ギリシアの神殿の円柱そのものが、縦に彫られた数多の条溝によって、縮れているといえるかもしれない。
それは、スーニオン岬から眺めるサロニカ湾の青い海が、微風に細波を立てて、やはり「羊のように縮れている」のと同様である。

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アイリアノス 「ギリシア奇談集」

ひつじ話

羊がライオンを生むこと
コスの人々の伝えるところでは、コス島の僭主ニキアスの羊の群の中で羊が仔を生んだ。
ところが、生まれたのは仔羊ではなくライオンだった。
これは、その時まだ野に在ったニキアスが将来僭主になるという前兆であった、という。

2世紀頃のローマ人アイリアノスによる、軽い読み物を大量に集めた「奇談集」から。

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国立科学博物館 「大哺乳類展 陸のなかまたち」

ひつじグッズ

「大哺乳類展」ポスター
会期 2010年3月13日(土)?6月13日(日)
会場 国立科学博物館(東京・上野公園)
開館時間 午前9時?午後5時(金曜日のみ午後8時まで)
*ゴールデンウイーク特別延長開館:4月29日(木・祝)?5月5日(水・祝)は午後6時まで(ただし4月30日(金)は午後8時まで)
※いずれも入館は各閉館時間の30分前まで
休館日 毎週月曜日(ただし5月3日(月)は開館)

ひつじnewsはまだ見に行っていないのですが(そしてもちろん行く気満々ですが)、ともかくも情報だけでも先に。

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コプト織りの「イサクの犠牲」

ひつじ話

コプト織り
「イサクの犠牲」 コプト製 4?5世紀 羊毛と亜麻 リヨン織物美術館蔵
コプトとはエジプトのキリスト教徒を指すもので、クレオパトラが没して古代エジプト王朝が絶滅し、ローマの支配下に入った紀元後に早くもキリスト教がエジプトにも伝わった。
ローマから東ローマ統治の後、短期間のペルシア支配を経て七世紀にイスラムの占領を受けることとなった。
コプト人のキリスト教は今もつづいているが、三世紀からイスラム時代初期の八世紀までがコプトの織物の盛期であった。

4?5世紀エジプトのつづれ織りです。乾燥地帯ならではの保存状態。
これまでご紹介した「イサクの犠牲」については、こちらで。

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カラヴァッジオ、カピトリーノの「洗礼者ヨハネ」(続き)

ひつじ話

ジローラモ・マッティ枢機卿と兄のチリアーコ、弟アズドゥルバーレもカラヴァッジョの熱心なパトロンとなり、カラヴァッジョは、1601年夏にはデル・モンテ枢機卿のパラッツォ・マダマを出て、マッティ家の邸館に移った。
(略)
チリアーコ・マッティの息子は洗礼者ヨハネを意味するジョヴァンニ・バッティスタという名であったため、これはチリアーコが息子のために注文したものであると考えられてきたが、洗礼者ヨハネにしては、十字架状の杖や洗礼用の椀など、ヨハネであることを示す持物(アトリビュート)が見当たらないのが不自然である。
少年が抱くのが、子羊でなくて角の伸びた牡羊であることも図像の伝統に反する。
そのため、近年では、これはヨハネではないとする説があいついで唱えられ、とくに「解放されたイサク」であるとする説が有力になった。
犠牲に捧げられそうになったイサクが救われて、代わりに犠牲となる牡羊を抱いて喜んでいる場面であるというのである。
少年の座っているのが祭壇であることを示すように、画面左下には火の点いた薪のようなものも見える。

ずいぶん以前にご紹介した、カラヴァッジオの、カピトリーノ美術館蔵の「洗礼者ヨハネ」について、カラヴァッジオの解説本にこのようなお話が。そ、そうだったんですか?
洗礼者ヨハネ関連はこちら、イサクの犠牲についてはまとめてこちらで。イサクの犠牲の聖書該当部分は、これもカラヴァッジオの絵とからめてご紹介しておりますので、こちらでぜひ。

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「陽気なギャングが地球を回す」

ひつじ話

「これが終わったら、ニュージーランドに行くんだ」久遠が嬉しそうに声を上げている。
「また行くのか」助手席の成瀬が苦笑する。
「行くよ。いいところなんだよ、羊は多いしさ」
「羊の肉はうまいか?」と響野。
「食うことばかり考える人は、羊に食べられればいいんだ」久遠が不服そうに言う。

伊坂幸太郎「陽気なギャングが地球を回す」から。
主人公の銀行強盗四人組のうち、人間と動物の関係についてやや特殊な価値観を持つ久遠と、他のメンバーとの会話です。

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アフリカ神話

ひつじ話

トーゴのダゴンバ族は、太陽は市場をもっていて、それは、太陽の周りにカサがかかるときに見られるという。
市場に彼は牡羊を飼っていて、それが足踏みをすると雷が鳴り、尻尾を振ると稲妻が光るのである。
雨は牡羊の尻尾の毛が脱けるのであり、風は牡羊が市場のなかをぐるぐる疾走するときに起こる。
(略)
南部アフリカでは、もしも虹の終わる所を見つけた者がいたら、彼もしくは彼女はできるだけ速く逃げるべきで、さもなくば殺されるといわれている。
(略)しかし、ザンビアのイラ族は、虹を追い払うためにすりこぎで指す。彼らは虹のふもとには火のように燃える凶暴な牡羊がいると考えている。

数年前にドゴン族の神話をご紹介したきりのアフリカ神話ですが、こちらの「アフリカ神話」を読んで、ひつじ話の宝庫であることを知りました。不勉強を恥じ入るばかりです。
にしても、羊と天空の結びつきといえば、つい「柳毅伝」を思い出してしまいます。それぞれの土地で、偶然に似た連想がはたらいたということでしょうか。

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脱獄囚、羊の群れに身を隠し逃亡

ひつじ事件

脱獄囚、羊の群れに身を隠し逃亡
アルゼンチンにて、脱獄囚が羊の群れに身を隠し警察の捜索から逃れたそうだ 。
元ネタによると、受刑者 2 名が厳重警備の刑務所から先週脱獄、現在も逃亡中の模様。2 人は牧場から羊の毛皮を盗み羊の群れに身を隠し、警察の 300 人体制の捜索をかわしたという。地元住民による目撃情報もあったが、これも手助けとはならなかったようだ。
盗んだ毛皮には頭もついていたそうで、捜索にあたった警察官曰く「何千頭もの羊のなかから 2 人を見つけ出すのは不可能に近かった」とのことだ。

カーター卿さんが、スラッシュドット・ジャパンの記事をタレコんでくださいました。ありがとうございます。
リアル左慈! またはリアルイランの小咄! 可能だったんですね、物理的に。
いやしかし、元記事がThe Sunなのか…………それはちょっと……。

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ヴァトー 「羊飼いたち」

ひつじ話

「羊飼いたち」 「羊飼いたち」(部分)
現実から夢への移行を彼に教えたのはジョルジョーネであり、すでにその《田園の合奏》には雅宴画に必要な一切がそなわっている、とルネ・ユイグは言う。
確かにそこには女性がおり楽器があり、緑濃い自然も牧童と羊の組みあわせも認められる。
(略)
「ジョルジョニズモ」の系譜は十六世紀ヴェネツィアの群小画家たち以上にルーベンスからヴァトー、そして印象派(とりわけルノワール)へとたどるべきなのではなかろうか。

ロココ絵画の巨匠、アントワーヌ・ヴァトーの「羊飼いたち」です。
引用にあるジョルジョーネ「田園の合奏」はこちら、これまでのロココ絵画はこちらをご覧下さい。

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