曲亭馬琴 「南総里見八犬伝」

ひつじ話

「(略) 罪籍既に定りぬ。律に于(おい)て赦しがたし。彼(あれ)縛(いましめ)よ」
と喚(よばゝ)れば、雜兵等走りかゝりて、
鈍平(どんへい)戸五郎を撲地(はた)と蹴倒し、押て索(なは)を懸しかば、
件の二人は劇騒(あはてさわ)ぎて、屠処の羊と恨みつ賠話(わび)つ
只諄々(ぐとぐと)とかき口説ば、金碗(かなまり)怒れる声を激し、
「汝に出て汝に返る、悪逆の天罰は、八ざきの刑たるべし。とくとく」
といそがせば、雜兵等はうけ給はり、立じと悶掻(もがく)罪人を、
外面(とのかた)へ牽(ひき)もてゆき、時を移さずその頸ふたつを、
緑竹(あをだけ)の串に貫き、実検に備る程に、
金碗ふたゝび令(げぢ)を伝えて、「彼(かの)玉梓(たまつさ)を牽け」といふ。

曲亭馬琴「南総里見八犬伝」冒頭の、玉梓斬首のエピソードから。
玉梓に先立って処刑される逆臣たちの狼狽ぶりが、「屠所の羊」にたとえられています。
無常観を表す日本の「屠所の羊」、「羊の歩み」のイメージについては、「源平盛衰記」「砧」などでお話しています。

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陝西歴史博物館の羊形兕觥(じこう)

ひつじ話

羊形兕觥

周代の青銅器です。陝西歴史博物館蔵。兕觥(じこう)というのは、酒器の一種。藤田美術館のものをご紹介したことがあります。

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李白 「送蕭三十一魯中。兼問稚子伯禽」

ひつじ話

「送蕭三十一魯中。兼問稚子伯禽」
    蕭三十一の魯中に之くを送り、兼ねて稚子伯禽に問ふ 
六 月 南 風 吹 白 沙。  六月、南風、白沙を吹き、
呉 牛 喘 月 氣 成 霞。  呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。
水 國 鬱 蒸 不 可 處。  水國鬱蒸、處(を)るべからず、
時 炎 路 遠 無 行 車。  時炎に、路遠くして、行車なし。
夫 子 如 何 渉 江 路。  夫子如何ぞ、江路を渉る。
雲 帆 嫋 嫋 金 陵 去。  雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。
高 堂 倚 門 望 伯 魚。  高堂、門に倚って伯魚を望む、
魯 中 正 是 趨 庭 處。  魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。
我 家 寄 在 沙 丘 傍。  我が家、寄せて在り沙丘の傍、
三 年 不 歸 空 斷 腸。  三年歸らず、空しく斷腸。
君 行 既 識 伯 禽 子。  君が行、すでに識る伯禽子、
應 駕 小 車 騎 白 羊。  應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。

先日の「金華牧羊兒」に続いて、李白をもう一度。
旅立つ人を見送るついでに、三年会っていない息子の消息を尋ねてくれるよう頼む、という内容です。
我が子の伯禽は白羊の引く小車に乗っていることだろう、という最後の一行が。そういう遊びがあったんでしょうか。

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李白 「金華牧羊兒」

ひつじ話

金 華 牧 羊 兒。  金華牧羊の兒、
乃 是 紫 煙 客。  乃ち是れ紫煙の客。
我 願 従 之 遊。  我、之に従つて遊ばむことを願へども、
未 去 髪 已 白。  未だ去らざるに、髪、すでに白し。
不 知 繁 華 子。  知らず、繁華の子、
擾 擾 何 所 迫。  擾擾として、何の迫るところぞ。
崑 山 採 瓊 樹。  崑山に瓊樹を採らば、
可 以 錬 精 魄。  以て精魄を錬るべし。

李白の「金華牧羊兒」です。
金華山中で羊を牧しながら、神仙となった黄初平への憧れが主題となっています。
黄初平に憧れているうちに白髪頭になってしまった、世上はなぜこうも忙しないのか、崑崙山に行けば仙人になれるのに、といった内容。
李白の詩は、「蘇武」を、
黄初平については、小川芋銭島田元旦円山応挙などの絵をご紹介しています。

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ホアン・バウティスタ・マイーノ 「羊飼いの礼拝」

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「羊飼いの礼拝」 「羊飼いの礼拝」(部分)

17世紀スペインのホアン・バウティスタ・マイーノによる「羊飼いの礼拝」です。プラド美術館蔵。

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ヒエロニムス・ボス 「東方三博士の礼拝」

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「東方三博士の礼拝」 「東方三博士の礼拝」(部分)

ヒエロニムス・ボスの三連祭壇画です。聖母子の足下に、イサクの犠牲をかたどったとおぼしき品が。
ボスについては、「荒野の洗礼者ヨハネ」を、
「イサクの犠牲」テーマ関連では、シャガールの「イサクの犠牲」などをご紹介しています。

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亡羊補牢

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襄王曰く、寡人、先生の言を用ふること能はずして、今、事此に至れり。
之を為すこといかんせん、と。
荘辛對(こた)へて曰く、臣聞く、鄙語に曰く、兔を見て犬を顧みるも、未だ晩(おそ)しと為さず。
羊を亡うて牢を補ふも、未だ遅しと為さず、と。
通釈
襄王は言った、「わたしは、先生のおことばを用いることができなかったばかりに、いま、このような体たらくに立ち至りました。どうしたものだろう」と。
荘辛がお答えして言うには、「臣の聞くところでは、世間の諺に、『兎を見つけてから犬を探しても、まだ遅くはない、羊を取り逃がしてから囲いを修理しても、まだ遅くはない』と申します。

問題が起きてから対策をたてる様を表す故事成語、「亡羊補牢」の由来です。戦国策・楚策から。
の襄王は放蕩奢侈を諫める荘辛を退けます。その後、秦の攻勢のために楚は危うくなり、後悔した襄王は荘辛を呼び戻します。その時の、忠臣の発した言葉が、この「羊を亡うて牢を補う」。
まだ間に合う、なにもしないよりは良い、という意味が含まれていて、単なる「あとのまつり」ではないところがポイントでしょうか。
故事成語は、この他に、肉袒牽羊多岐亡羊以羊易牛、以羊易牛関連で曲亭馬琴「烹雑の記」などをご紹介しています。

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ネフェルタリ王妃墓の壁画

ひつじ話

ネフェルタリ王妃墓壁画
神のバーと二女神
人間にバーがあるように神もバーを持つと考えられた。
イシス(右)とネフティス(左)が守護しているのは、太陽神ラーのバーである。
テーベの主神アメン・ラーは牡羊の姿で表わされる事があるが、この図は、牡羊がバーと発音されたことと関係があるかもしれない。

古代エジプトのネフェルタリ王妃墓の壁画から。
バーというのは、いわゆる「魂」のこと。角に乗ってる丸いものは太陽ですね。
アメン神関連では、象嵌用牡羊頭部ヘロドトスの「歴史」などをご紹介しています。

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いもとようこ 「ノアのはこぶね」

ひつじグッズ

「ノアのはこぶね」
あるひ かみさまは ノアに いわれました。
「ノアよ わたしは おおみずを おこして すべてを ほろぼしてしまう つもりだ。
おまえは いそいで おおきな はこぶねを つくりなさい。
そして その なかに おまえの かぞくと この ちじょうに すんでいる
すべての いきものを ひとつがいずつ のせなさい。」

いもとようこの絵本です。見どころは絵。はり絵の柔らかな風合いが、動物たちの愛らしさを際立たせています。

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ヴォルテール 「バビロンの王女」

ひつじ話

「では私の恋しいあの不思議な方の国というのはどこにありますの?
あの勇ましい方の名は何といいますの?
あの方の持っていらっしゃる国は何というところですの?
だってあの方が羊飼だなんて信じられませんもの、あなたが蝙蝠だと信じられないのと同じに。」
「(略)
あの人は自分の国の人々をあまり深く愛しています。
その人々と同じくあの人も羊飼なのです。
しかし羊飼というのがあなたの国の羊飼に似ているとお想いになってはいけません。
あなた方のはボロボロの破れ着物を引っかけて自分たちより遙かに上等な着物を持っている羊たちの番をして、貧乏の重荷を背負って呻き声を出し、主人から受取るあわれな賃金の半分を税絞りの男に払うのですから。
ガンガリードの羊飼たちは、みな生れつき平等で、いつも花の咲いている牧場を蔽うている無数の羊の主人なのです。
羊を殺すことは決してありません。

ヴォルテールの「バビロンの王女」より。
千夜一夜ふうの体裁をとった、同時代に対する風刺小説。上は、羊飼いを名乗る美青年の求愛を受けたバビロンの王女が、青年の友人である霊禽フェニクスに、その正体について尋ねる場面です。

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ジュール・ルナール 「にんじん」

ひつじ話

にんじんは、最初、もやもやした丸いものが、飛んだり跳ねたりしているのしかわからなかった。
それが、けたたましい、どれがどれやらわからない声を立てる。
学校の子供が、雨天体操場で遊んでいる時のようだ。
そのうちの一つが彼の脚の間へ飛び込む。ちょいと気味が悪い。
もう一つが、天窓の明りの中を躍り上がった。仔羊だ。
にんじんは、怖かったのがおかしく、微笑む。
目がだんだん暗闇に慣れると、細かな部分がはっきりしてくる。

「博物誌」をご紹介している、ジュール・ルナールの「にんじん」から、「羊」の章を。

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「クリスマスって なあに」

ひつじグッズ

「クリスマスって なあに」
ひつじかいたちは、たちあがると ひつじたちをつれて あるきだしました。
ほしが、ひつじかいと ひつじの むれを みちびいて いきます。
ベツレヘムへ。
ベツレヘムへ。

すこし(すごく?)気が早いですが、クリスマス絵本です。
ディック・ブルーナ「クリスマスって なあに」。こちらを見ながら歩くひつじたちが。

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「牧師さんの羊を盗んだ男」

ひつじ話

まい年クリスマスになると、よく肥えた羊を盗むことにしている男がいた。
ある年のクリスマス、男は牧師さんの羊を盗み、十二、三歳になるその男の息子は村じゅう歌ってまわった―
うちの父ちゃん、牧師さんの羊を盗った
おかげてうちじゃ楽しいクリスマス
プディングだって肉だって食べほうだい
でもこいつはないしょ、ひみつの話
ところがある日、牧師さん本人がこの歌を聞いてしまった。
「坊や、なかなか歌がうまいね。この次の日曜の夜、教会へ来て、今のを歌ってくれないかね?」

「イギリス民話集」の「こっけいな話」の章から。偽善者の牧師さんがひどいめにあうお話です。この坊やが教会で歌った歌は、もちろん羊を盗んだ歌ではなくて……。

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