葛飾北斎 「麦藁細工報状」(部分)
麦藁細工報状 版画 大判 太田記念美術館
文政三年(1820)二月に、浅草奥山で興行された麦藁細工による、見世物の内容を伝えるために版行されたものである。
この時の興行では、出し物の下絵を北斎が描いて、大評判であった。
葛飾北斎の版画を。同時代人である猿猴庵の「新卑姑射文庫」には糸細工の十二支が出てきましたが、見世物のモチーフに十二支を使うというのは、この頃によくあることだったのでしょうか。
北斎は、これまでに二、三ご紹介していますので、こちらで。
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