二代歌川広重 「横濱賣物圖會之内」
横濱賣物圖會之内
万延1 大判 錦絵揃物 37.0×73.3センチ
1859年以前の横浜は湿地に位置する一介の村にすぎなかった。
1858年の日米修好通商条約に続く英、仏、露、闌の四カ国との条約締結が、この小さな村に突然の変化をもたらした。
(略)
人種の坩堝と化した横浜は、即座に日本人の好奇心をかきたて、時代に敏感に反応した浮世絵師の中には、横浜絵の制作に積極的に乗り出す者がでてきた。
横浜絵は1860年から62年にかけて盛んに制作され、500点以上の図絵に街の景観、異人やその風俗が描かれている。「キヨッソーネ東洋美術館所蔵 浮世絵展」カタログ
先日来お話している羅紗に関して、もう少し。
幕末に描かれた浮世絵の一種横浜絵に、異人の風俗として、乗馬する女性や「唐犬」とともに「ラシャメン」が描かれています。
ラシャメンとは羊の別称で、羅紗綿あるいは羅紗緬と書きます。江戸から明治にかけての日本はウール製品の国産化を目指していましたから、それを強調した呼び名ではないかと。
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