島田元旦「黄初平図」(続き)
江戸時代の羊図は、十二支図や動物図鑑として伝わったものを参考に描かれたものが少なくない。
しかし、1817年(文化14)には、巣鴨の薬園で幕府による日本初の緬羊飼育が行われたことなどから、絵師の中には実物を見たことのある者もいたと考えられる。
(略)
原本はおそらく羊飼いをテーマとした銅板だが、そのためか羊がとても可愛らしい。
江戸生まれの元旦は谷文晁の弟で、のちに島田家の養子となった。
緬羊飼育の責任者だった渋江長伯を隊長とした蝦夷地調査にも加わり、アイヌ絵を描いたことでも知られている。
江戸期のヒツジの微妙な立ち位置についてはわりとよくお話しているのですが、そちらに関連して。
以前ご紹介した島田元旦の「黄初平図」ですが、実物を見て描いた可能性が示唆されています。
渋江長伯の巣鴨の薬園についてはこちら、画題の「黄初平」についてはこちらをご参考にぜひ。
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